第百三十六話 ミーア姫、ベテランらしい貫録を見せる!
サンクランド王都、ソル・サリエンテを出て、三日目の昼。
馬車を降り、晴れ渡った空を眺めながら、ミーアはうーん、っと伸びをした。
「ああ、実に良い天気ですわ。気持ちいいですわね」
草原を吹き抜ける秋風は爽やかで、思わずミーアは笑みを浮かべてしまう。
「これは絶好の乗馬日和ですわ」
っと、
「あ、あの、ミーアさん?」
声のほうに視線を向けると……、
「本当に、その、するの?」
ラフィーナが、ちょっぴり上目遣いで見つめていた。
今の彼女は、ドレスを着ていなかった。上は、乗馬用のシャツ、下は動きやすい、フィットしたズボンという、ラフィーナにしてはとても珍しい格好をしていた。
慣れないからだろうか、ちょっぴり恥ずかしげにもじもじしているラフィーナを見て……、
「ふむ……」
そのシュッとしたズボンを見て……、それから、自らの乗馬用の格好を見る。主に、ベルトを見て……、いつもより、一つ緩めたサイズを使用中という事実に……、ミーアは打ちのめされた。
――大変に不可思議な現象ですわ。いったいなぜ、こんなにもベルトがきついのか。まったく理解できませんわ。もしかして、サンクランドの気候のせいかしら?
などと、不都合な真実から目を背けつつも、ミーアは気合を入れる。
ともかく……運動しよう、体を動かそう、と。
「もちろんやりますわ。最高の乗馬日和ですわよ、ラフィーナさま」
にっこりと笑みを浮かべるミーアに、ラフィーナは遠慮がちに言った。
「でも……、ミーアさん、アベル王子と遠乗りがしたいのではないかしら? やっぱり、私がお邪魔したら悪いんじゃないかしら?」
――アベルと遠乗り……ふむ。
それは……、実に甘い誘惑であった。たしかに、ミーアはアベルと遠乗りしたかったし、どうせなら、思う存分イチャイチャしたかった。
まぁ、ミーアお姉さんのイチャイチャは大抵、イチャ……ぐらいで終わってしまうわけだが、それはそれ……。
アベルと甘い時間を過ごせるのであれば、そうしたい、というのは本音だった。が……、ミーアは、その想いを断ち切るように静かに首を振った。
これからの乗馬は楽しむためのものではないのだ。
ミーアにとってこれからの時間は極めてストイックなもの。すなわち、自身のコンディションを整えるためのものである。
なんのコンディションか? もちろん、騎馬王国の美味しいものを食べるためである。あんなにも美味しいバターがある国である。きっと、ほかにも山ほど美味しいものがあることだろう。
それなのに、このままお腹がきつい状態で騎馬王国に行ったとしても、きっと、罪悪感により、楽しめないに違いない。
これは、いうなれば、パンの飲みすぎによるFNY日酔いを治すための必要な運動なのだ。アベルと一緒に騎馬王国の美味しいものを楽しむための、準備なのだ。
――それに、ラフィーナさまとの約束もありますわ。
女子会のパジャマパーティーの際の約束を、ミーアは覚えている。
その時の、ラフィーナのちょっぴり嬉しそうな顔も……。
――思えば……、ラフィーナさまになにかプレゼントをして喜んでもらうのって、初めてじゃないかしら?
前の時間軸、幾度となくプレゼントを持って行っては、お近づきになることに失敗していたミーアである。
それが、まさか一緒に遠乗りをする日がこようとは……。しかも、あんなにも喜んでもらえるとは……。
思わず達成感すら覚えてしまうミーアである。
「ラフィーナさまと約束しましたし。それに遠乗りはみなで行かないと、面白くありませんでしょう? 今のままでは、ラフィーナさまにはお留守番を頼むことになってしまいますもの」
そんなミーアの言葉に、ラフィーナは、
「そう……」
小さく頷きつつも、まだ、微妙に遠慮がちな顔をしていた。そんなラフィーナを見て、ミーアはピンときた。
――ははぁん、ラフィーナさま、さては、馬に乗るのが怖いんですのね。ま、たしかに背が高いので、怖いといえば怖いですけれど……。
そう思うと、なんだか微笑ましく感じてしまうミーアである。
「この馬でしたら、大人しいですし、はじめて乗るには良いのではないかと思います。いささか、大人し過ぎるのが玉に瑕ではありますが……」
近衛兵によって、一頭の馬が連れてこられた。
どこか眠たげな目、穏やかな……、というか、どちらかというと、ヌボォっとした馬だった。
ミーアはその馬を見て……なぜか、親近感を覚える。
――他人とは思えない顔をしておりますわね。うん、いい馬なんじゃないかしら!
それから、ラフィーナのほうを見て、笑みを浮かべる。
「大丈夫ですわ。ほら、この馬、どこかの暴れ馬と違って、くしゃみを吹っかけてきませんし、素直そうですわよ」
「え……ええ、そうね」
頷くラフィーナは、やっぱり、ちょっぴり遠慮がちだった。
――ふむ、ラフィーナさまも案外、臆病なところがございますわね。ふふふ、わたくしが初めて乗った時など、余裕綽綽でしたのに。
ここは、自分がリードしてあげないといけない、と思い、ミーアは「いよぉっこいしょーっ!」と颯爽と馬に飛び乗った!
ミーアが颯爽と飛び乗れるほど、ヌボォッ! とした馬だったのだ……。
「さ、ラフィーナさま、どうぞ、わたくしの前にお乗りくださいまし」
そうして、ラフィーナの手を引いた。
近衛兵にも手伝ってもらい、なんとか馬にまたがったラフィーナに、ミーアは実に偉そうに言う。
「ラフィーナさま、しっかり掴まってないと駄目ですわよ? 知り合いや仲の良い従者を発見したとしても、決して両手を放して振ったりしてはいけませんわよ。バランスを崩して落っこちたりしたら大変ですわ」
…………まぁ、それはさておき。
「大丈夫ですわ。ちゃんと掴まっていれば、滅多なことでは落ちませんわ」
乗馬が怖くて、黙りがちになっているであろうラフィーナに、優しく声をかけてあげるミーアである。目の錯覚か、その体からはベテランらしい貫禄のような雰囲気が発散されていた。
……ミーアは気付かなかった。想像すらしなかった。
まさか、ラフィーナがいきなりのお友だちとの遠乗り体験に、緊張して委縮しているなんて……。
そうして、ドキドキ乗馬体験が始まるのだった。
そうそう、そう言えばミーアが、気付いていないことがもう一つあった。
遠く、丘の向こうで響く馬の駆ける音……。自分たちに接近しつつある、不穏な騎馬の集団……。それを、ミーアの危機察知能力が捉えることは、残念ながらできなかった。
……いろいろな意味で、ドキドキな乗馬体験は、こうして始まるのだった。