第百三十二話 えぐるベル
「あの、シオン王子も、こうして街のお散歩とかされるんですね?」
「ああ。国にいる時はできるだけ街の様子を見るようにしてるんだ。民の生活の様子は、為政者として知っておくべきだと思ってね」
「心がけは立派なんですけどね。きちんと護衛の手配をしていただかないと、いい加減、こっちの体がもたないですよ」
やれやれ、と肩をすくめるキースウッドにシオンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「優秀な従者がいると、気軽に街に出られて助かるよ」
「勘弁してください」
そんな二人のやり取りを、たっぷり堪能していたベルだったが、ふと首を傾げる。
「なんだか、シオン王子……、今日は少し明るいですね」
「え?」
不意なことに、瞳を瞬かせるシオンに、ベルは言った。
「なんだか、すっきりした顔をしているような気がします」
「驚いた。君は……意外と鋭いんだな……」
それから、彼はベルの顔をまじまじと見て頷いた。
「そういえば、君はミーアの血族だったな……。ふむ……」
シオンは腕組みし、少し考えてから、
「こんなことを聞いても良いものか迷うが……、君は、ミーアに所縁の娘だと聞いている。それは、本当のことなのか? 君は帝室の血を継ぐ者かな?」
その問いかけに、ベルはスッと背筋を伸ばす。
それは、彼女の根底をなすもの……、彼女の誇りにかかわる問いかけだったから。
「はい。シオン殿下。ボクは帝室の姫、ミーア・ルーナ・ティアムーンと血の繋がりを持つ者、ミーアベル・ルーナ・ティアムーンです」
その堂々たる名乗り上げに、シオンはかすかに瞠目した。普段の緩い雰囲気とはかけ離れた、それは紛れもない王者の風格。
それを認めた彼は、
「そうか……。それならば、話してあげるのも君のためなのかもしれないな……」
小さくため息を吐いてから、続ける。
「昨夜のこと、大体はミーアから聞いていると思うが……、弟のエシャールは大きな失敗をした。そして、その原因は俺だった。彼は、ずっと兄のようになれないことに悩んでいた。剣の腕や、立ち居振る舞い、いろいろなことが追い付けないと、自分で思い込んでいたんだ」
「そんな……そんなこと……、当たり前のことです」
ベルは、かつて恩師、ルードヴィッヒから受けた教えを思い出していた。
『ベルさま……。あなたは、これから先の人生において常に、帝国の叡智ミーアさまと比較されるでしょう。人はきっと、あなたに帝国の叡智たることを望み、あるいは私や、あなたの育ての親であるアンヌ、エリスの両名も、あなたにミーアさまとしての振る舞いを期待してしまうかもしれません』
ルードヴィッヒの言ったそれは……、ある意味で幸せな未来像だった。
皇女ミーアベルが再び、帝室の姫に返り咲き、帝国が彼女のもとで再建された、そんな未来の話だからだ。
それは、か細い未来の先にある、最も幸せな葛藤の話だった。
『ですが、あなたがミーアさまになる必要はありません。あなたはあなたです。ベルさま。あなたはミーアさまにはなれない。あなたはミーアベルさまだからです』
自分を戒めるようにルードヴィッヒは言った。
『だから……、まぁ、お勉強の最中に眠たくなってしまうのは、仕方のないことなのかもしれません……』
……教育者ルードヴィッヒの心が折れそうになっていた!
『まぁ、ともかく、ベルさまは、ベルさまにできる範囲で勉強を頑張るのが良いのだと思います』
その教えは、ベルの中に深く根差すものになっていた。
自分は帝国の叡智ミーアの名を傷つけないように生きなければならない。でも、自分がミーアのように振る舞う必要はない。
その、ルードヴィッヒの言葉からすると、エシャールの生き方は、間違っていると、言わざるを得なかった。
「エシャール殿下は、エシャール殿下なのに……」
「ああ……俺もそう思うよ。いつかそのことに気付いてくれるんじゃないかとも思っていたんだ。でも、その結果、最悪を招いてしまったんだ。でも……」
と、そこで、シオンは遠くを見つめた。
「普通ならば、死罪が与えられても仕方ないところだった。けれど、ミーアは死罪で終わらせることをよしとしなかった。やり直しの機会を……、立ち直る機会を弟に与えたんだ」
それを聞いたベルは、納得した、という感じで、ぽんっと手を打った。
「なるほど……。昨日の話は、そういうことだったのですね。あ! それじゃあ昨夜のパーティー会場で、ミーアお姉さまとお話されていたのは、それだったんですね!」
「…………んっ?」
シオンが、きょとーん、と首を傾げるのを尻目に、ベルは、うんうん、と頷いた。
「おかしいと思ったんです。シオン王子の告白をお断りするだなんて、そんなの、絶対におかしいですし。ねぇ、キースウッドさん」
見ると、キースウッドは……困ったような笑みを浮かべて、
「ははは。ええ、まぁ。いろいろありますね。まぁ、ともかく……」
っと、なぜか、胸を押さえて呻いているシオンを横目に、キースウッドは言った。
「シオン殿下は、弟君にやり直しのチャンスが与えられたことが嬉しかったと……、そういうお話ですよね?」
「あ……ああ。うん、そういうことだ」
なぜだか、微妙にダメージを受けた顔で、シオンは言った。
「実はね、俺自身、過去に失敗したことがあったんだ」
「えっ? シオン殿下が?」
信じられない! とばかりに瞳を瞬かせるベルに、苦笑いのシオンである。
「誤った正義を振りかざし、危うく友の命を奪うところだった。でも……、その時にもやり直しの機会を与えてくれたのはミーアだった」
懐かしげに瞳を細めてから、シオンは言った。
「俺はね、あの時、彼女から受けた恩義を忘れないように生きている。王族として、命をもって償わなければならない時があると思っていた俺に、彼女は違う形の責任の取り方を見せてくれた。そして、そのやり直しの機会は、きっと等しくすべての人に与えられるべきだと、俺は思っているんだ」
シオンはそっと拳を握りしめる。
「君が帝室に連なる姫だというなら、よく覚えておくといい。ミーアというのは、そういう人だ。彼女は諦めが悪い人なんだ」
「簡単には諦めない……、それがミーアお姉さまのやり方……」
ベルはぽつり、とつぶやく。
そうして、振り返る。
思えば……あの、冬の荒野で命を狙われた時もそうだった。ミーアは決して、命を諦めようとはしなかった。
ミーアが諦めが悪いのは、もちろん、他人に対してということもあるのだろうけど、同時にそれは自分自身に対してのことでもあるのだろう。
――ミーアお祖母さまは、ペルージャンから帰ってから、言ってました。受けた恩に報いるべく精一杯生きろ、って。
諦め悪く生き抜いて、恩に報いろ……、そう言われているように感じた。
そうして、ベルは思い出す。
あの絶望の世界……。あの追い詰められた状況に、いつか帰る時が来たとしたら……、その時、自分はどう行動するだろうか?
――それはわからないけど、でも、いつか、あの場所に帰らなければいけないとしても、絶対に投げやりに生きるのはやめよう。
生きることを諦めないこと、そして命の重みを、その使いどころを……憧れの天秤王から学ぶベルであった。
一方、その頃、ベッドの隙間から救出されたミーアであったが……。
「はて……ベルがいない?」
アンヌの報告を受けて、ちょっぴり心配になるミーアである。
まさか、ベッドの隙間に落ちているんじゃ? などと、慌てて確認していると……。
「宿屋のご主人に聞いたのだけど、どうやら、シオン王子と一緒にお散歩に行ったみたいよ」
続くラフィーナの言葉に、思わず納得の頷きを返す。
「ああ、なるほど。シオンと……」
それだけで、なんとなく事情を察してしまうミーアである。
――きっと、宿を出たところでシオンと会って、ついて行ってしまったんですわね……。
「リーナのことも誘ってくれれば良かったのに」
などと不満たっぷりに頬を膨らませるシュトリナに、ミーアは苦笑いで言った。
「きっと朝食までには帰ってきますわ。あの子も、わたくしに似て、よく食べるほうですし」
シオンが一緒だと聞いて、安心したからだろうか。ミーアのお腹がきゅうっと切なげな声を上げた。
――ふむ、先に朝食を食べて待っているのがいいんじゃないかしら?
などと、思っていると……、不意に、部屋のドアがノックされた。
「失礼いたします。ラフィーナさま、お客さまがおいでです」
「お客さま……? どなたかしら?」
首を傾げる一同の前に現れたのは、
「やあ、おはよう。ミーア。お嬢さま方もご機嫌麗しゅう」
爽やかな笑みを浮かべるアベル・レムノだった。




