番外編 その種は実らず
シオン・ソール・サンクランドが王位を継いだのは、彼がセントノエル学園を出てすぐのことだった。奇しくもその時期は、帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンが帝位を継いだ時期に重なる。
国家を超えた機関、ミーアネットと新種の小麦の広まりも相まって、人々は、新しい時代の到来を予感していた。
そんな折、サンクランド王国内を一つのニュースが駆け巡った。
それは、彼らの若き王、シオン・ソール・サンクランドの縁談の話である。
その日、王都の酒場は、その話題でもちきりだった。
「しかし、その相手のルドルフォン辺境伯家ってのは聞いたことがないな。辺境伯なんて懐かしい名前が出てくるってことは、どこか伝統国の出身の人なのか?」
「帝国の貴族令嬢だって聞くが……。ここだけの話、名ばかりの『辺境伯』だって噂だぜ」
あたりを見回してから、声を潜めて男が言った。
「そうなのか?」
「そりゃそうだろ。なにせ、帝国には辺境伯なんて爵位はなかったんだ。あるのは、辺土伯って、田舎貴族っていう蔑称だけさ」
そうして彼らの間に、自らの王を侮辱されたという怒りが沸き起こりかけた、まさにその時……。
「けどさ、このルドルフォン家って家名は聞いたことがあるな」
誰かのつぶやきが、流れを微妙に変える。
「そういわれてみれば……」
と、そこに、新たな男が加わる。
行商人を生業とする男は、彼らの話を耳にして、呆れたように言った。
「なんだお前ら、知らないのか? あの新種の小麦の発見者がセロ・ルドルフォンさまじゃないか」
「あっ……」
大陸の歴史にとっての大きな分水嶺。
寒さに強い小麦の量産化……、それをなした英雄、セロ・ルドルフォンとアーシャ・タフリーフ・ペルージャンの名は、市井の人々の間にまで広まっていた。
「なるほどな。つまりは、セロさまの小麦の功績によって、その父親が辺境伯に任じられたってことか」
納得のつぶやきをこぼす男に、けれど、行商人が首を振る。
「いや、それがそうとばかりも言えないようでな。そのルドルフォン辺境伯って人は、女帝派の最古参の貴族で、なんでも、女帝派をまとめ上げるのに尽力した人物だそうだよ」
女帝派――帝国の四大公爵家の派閥に対抗するため、女帝ミーアが求めた新勢力。皇女ミーアを頂点とした新興の者たちは、今や四大派閥と肩を並べる第五の勢力と認識されていた。情報が命の商人の間では有名な話ではあるが、さすがにサンクランドの一般民衆の中では、あまり知られていない話である。
感心の声を上げる者たちに気をよくしたのか、事情通の行商人は続ける。
「ちなみに、辺境伯領に隣接してるベルマン伯領には、女帝陛下の町『皇女の町』がある……ってのも、ちょいと意味深だよな」
「ん? ってことは、その新種の小麦の開発に成功した、聖ミーア学園があるのも……」
「当然、そのベルマン伯爵領ってことになる」
ルドルフォン辺境伯とベルマン伯爵、いずれも女帝派の最古参として知られている人物である……、と訳知り顔で行商人は語る。
「ミーア陛下が帝位を継ぐのに尽力した女帝派ねぇ……。なるほど、功臣として、辺境伯の爵位を与えられたのか」
そうなってくると、ルドルフォン家への評価は、変わってくる。
女帝ミーアが、四大公爵家に拮抗させるべく、新たに星持ち公爵に匹敵する爵位として、特別な「辺境伯」という爵位を設けた……、などという推測が成立してしまうからだ。
そもそも「辺境伯」という名誉ある爵位を軽視されている田舎貴族に与えるだろうか? そんなことは……あり得ない(……相手が普通の皇帝であれば……)
「帝国初の『辺境伯』の爵位を与えられた重臣……その家の令嬢がお相手か……」
しかも、弟は新種の小麦の発見者、英雄セロ・ルドルフォンである。そう考えると、相手としては……、それほど悪くないのでは? という気がしてくる。
「だが、そのご令嬢自身はどんなお人柄なんだい?」
「いや、それがな。これはここだけの話、俺が庭の手入れをさせていただいてる貴族の旦那に聞いた話なんだが……」
横で聞いていた庭師の男が話に入ってきた。
「実は……前国王陛下の命を救った恩人だとか……」
「なんだと? そんな話聞いたことないぞ」
「そりゃそうだろう。そんな国家の一大事、俺ら庶民にまで知らされるわけがない」
したり顔で肩をすくめる庭師の男に、酒場の酔っぱらいたちは、なるほど、もっともだ、と頷きあった。
「ってことは、だ。シオン陛下のお相手ってのは……」
彼らは、改めて考える。
王妃候補となっている、ティオーナ・ルドルフォンは、前王エイブラムの命の恩人で、大陸の恩人セロ・ルドルフォンの姉。さらに、その父は、ティアムーンの女帝ミーアの信頼に厚い、女帝派の重鎮で、特別に新しく作った爵位である『辺境伯』を与えられた唯一の者……?
彼らは思う。それは……、まぁ、そんなに悪くないのでは?
さらに、そこに聖女ラフィーナからの祝福の言葉が届くに及び、彼らは知る。
「このティオーナ・ルドルフォンという女性は、聖女ラフィーナとも旧知の人であったか」
と。
こうして、いくつかの情報によって脚色されたティオーナを、期待半分、不安半分で迎え入れた人々は、徐々に彼女の素朴な人柄に惹かれていく。
その、大貴族にはない親しみやすさに、彼らは夢を見出した。
平民の娘や貧乏貴族の娘が身分差を乗り越えて大国の王子と婚儀を結ぶ……、いつの時代も人気で、されど、現実では決してありえないような恋物語を実現したと、ティオーナに、夢と憧れを見るようになったのだ。
こうして……、ティオーナが多少の反発を受けつつも、人々に受け入れられたことは、さらに意外なところに影響を及ぼした。
帝国内の貴族のパワーバランスである。
ルドルフォン家に与えられた『辺境伯』の爵位を、名ばかりのもの、実質を持たぬものと考えていた中央貴族たちは驚愕する。
辺境伯とサンクランド王家との間に強い血の繋がりができてしまったためだ。
当初、帝国貴族の誰もが、その報を信じなかった。
いくら学友とはいえ、たかが辺土貴族の小娘が、大国サンクランドの若き王と婚姻など、あり得ないこと、と。
けれど、彼らの予想はすぐに覆された。
サンクランドの民は、ティオーナ・ルドルフォンに対し歓迎を示したのだ。
こうなると、焦ったのは帝国中央の貴族たちだった。
なにしろ、名ばかりの辺境伯に、サンクランド王家との強固な血の繋がりができてしまったのだ。
「これでは、あの辺境伯の爵位が力をもってしまうではないか!」
名ばかりの辺境伯が、サンクランドの王族との婚姻により、実を持ち始めた。
こうなると、中央貴族は焦る。
焦るのはもちろんだが……、もっと言ってしまうと、こう……なんというか……「いいなぁ……」と彼らは思ったのだ。
サンクランドの王族との血縁、それを彼らは羨ましがって、自分たち、中央貴族もその縁を欲したのだ。
もう、こうなったら、派閥の別はどうでもよい。ともかく、伝統ある中央貴族にも、その血縁が欲しい! 彼らをそんな欲望が駆り立てた。
そんな折、彼らはふと思い出す。
そういえば、なんだか訳ありという話だったが……王子はもう一人いるじゃないか。しかも、中央貴族の一角、四大公爵家で預かる、許嫁が……。
そうなると、俄然、中央貴族の鼻息は荒くなる。
どんな理由かは知らないが、放っておくのはもったいない。もしも、グリーンムーン家が婚約を破棄するならば、自分の家の娘とぜひ……などと、帝国内の有力貴族がこぞってグリーンムーン公爵家を訪れることとなった。
その日、グリーンムーン公爵家令嬢、エメラルダは父に呼び出しを受けた。縁談のことについて話がしたい、と言われたエメラルダは、辟易した顔で首を振った。
「ふぅ、やれやれ……またですの? お父さま」
エシャール王子を連れ帰ってから、すでに五年の歳月が流れていた。
エメラルダは今年二十三。そろそろ適齢期……いや、むしろ遅いぐらいだろう。
それゆえ幾度となく縁談話が舞い込んできたものの、彼女はすべてお断りした。
なにしろ、自分にはエシャールがいるのだ。過去に犯した過ちがあるとはいえ、エシャールを連れ帰った日以来、エメラルダは心に決めていたのだ。
そして、そんなエメラルダの思いに応えるように、エシャールもまた成長していた。聖ミーア学園に在籍し、学長ガルヴの指導の下、優秀な成績を残している。
エメラルダは信じているのだ。エシャールが、大功を立てると。だからこそ、彼を裏切るような真似はしたくなかった。
――ここは、しっかりとお断りしておかなければなりませんわ!
鼻息荒く、エメラルダは、持ち込まれた縁談をお断りしようとして……。
「実はな、エメラルダ。お前とエシャール殿下との縁談を進めろ、との声が大きくてな……」
「…………はぇ?」
口をポカンと開けるエメラルダに、父は、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「昨今の情勢を考えるとやむを得んだろう。みなに、エシャール殿下の事情を話すわけにもいかぬし……」
こんなことならば、早いところサンクランドに帰しておくのだった……などと、頭を抱えるグリーンムーン公爵。そんな父を横目に、エメラルダは首を傾げる。
「私が、エシャール殿下と……婚儀? ……はぇ?」
かくして、エシャールとエメラルダの婚儀は急ぎ進められた。
エシャール王子、十五歳、エメラルダ二十三歳の時のことである。
さて……、時は移ろいゆく。
それからさらに二十年の時が過ぎた、ある日のこと。
その日、サンクランドの王城に、エシャールの一家が帰郷した。
様々な行事を終えた後、シオンはひさしぶりに、弟、エシャールと兄弟二人で酒杯を交わすことになった。
「こうして酒杯を交わすのは一年ぶりか」
「ええ。昨年の母上のお誕生日以来でしょうか。ご無沙汰しております。兄上」
穏やかな笑みを浮かべるエシャール。かつては、シオンの前に来る時には、ぎこちなさが残っていたが、ここ数年は、ごくごく自然な態度で会話をすることができるようになっていた。
「しかし、大したものだな。ミーアネットは」
葡萄酒を傾けつつの話題は、エシャールが携わるミーアネットのことだった。
「いまや、大陸の外、海の向こう側の国とも連携していると聞くが……」
「ええ。グリーンムーン公爵家の持つ人脈が生きました。協力する国が増えれば増えるだけ、救える人が増えていく。互いに食を融通しあい、交流することで、国家間の関係も少しずつ良くなる。意義深い組織だと思います」
それを語る時、エシャールはほんの少しだけ誇らしげだった。それは、自らの仕事に意義を感じる大人の顔だった。
すっかり成長した弟の顔を、まぶしく感じつつも、シオンは頷いた。
「それにお前も……、サンクランドの王族として、立派に務めを果たしているそうだな」
ミーアネットの交渉官として、様々な国との条約をまとめるエシャールの話は、シオンも聞いていた。その外交手腕は、ミーアネットにかかわる商人たちの中でも、かなうものはいないという。
兄から褒められて、エシャールは穏やかに微笑む。
「ありがとうございます。兄上に認めてもらえるのが、私は何より嬉しいです」
「しかしな、エシャール。先日、気になる噂を聞いたのだが……」
「噂、ですか? それは、どのような……?」
眉を顰めるエシャールに、シオンは言った。
「クロエ嬢から、ミーアネットの代表の座を譲られた際に、それを固辞したとか……」
エシャールの元気そうな顔を見て、安堵を覚えたシオンだったが、一つだけ気になっていることがあった。
それはエシャールが、いろいろな重職の話を断り続けている、ということだった。
聖ミーア学園で鍛えられたエシャールは、シオンの目から見ても有能な人材だった。
おそらく、たいていの仕事は、十分以上にこなすことができるだろう。
にもかかわらず、エシャールはいつまでも、名誉ある重役に就こうとはしなかった。
シオンには、それが、過去のあの事件の罪悪感に囚われてのことに思えて仕方なかったのだ……。
「サンクランド王家に相応しい仕事だと思うし、クロエ嬢もお前の能力を買って申し出てくれたのだと思うが……、いったい、なぜ、断ったのだ?」
「いえ……その……えーと……」
シオンの問いかけに、エシャールはなんとも気まずそうな顔をした。
もごもごと、口の中で何かを言ってから、彼は、頬をかきつつ、小さな声で……。
「その……あまり忙しくすると、エメラルダさんが寂しがりますから……」
そんなことを言った!
ほんのり頬を赤くするエシャール。その顔を見て、シオンは……思わず噴き出した。
「そうか。ふふ、それは、たしかに正当な理由だ。仕事を断るのに、これ以上、正しい理由はないな。ははは」
そうして、シオンはようやく確信することができた。
かつてエシャールが蒔いてしまったあの種は、どうやら実ることなく枯れたらしい、と……。
それに、確信したことはもう一つ。
どうやら、エシャールたちの夫婦仲は良いらしい……。
かくて、サンクランド王家の兄弟の確執は枯れ果てた。
この結末が……、
――ふふん。辺土伯と辺境伯……一文字変えたぐらいなら、きっとあいつら、迂闊ですから気付きませんわよ。わたくしがケーキを食べるのを邪魔するからですわ。いい気味ですわ!
などという、ミーアのちょっとアレな思惑で口に出された言葉によるものだとは、誰も気付かないのであった。




