番外編 女帝ミーアのトリックオアトリート
ティアムーン帝国の女帝、ミーア・ルーナ・ティアムーンは、非常にユーモアと遊び心にあふれる人物であったと言われている。
これは、そんな彼女が仕掛けた、ある悪戯の物語。
ティアムーン帝国、白月宮殿での一幕。
帝国の若き女帝ミーアは、その日、一仕事を終えて、優雅に午後のティータイムを楽しんでいた。
料理長の特製野菜ケーキに、ウッキウキでフォークを突き刺そうとした……、まさにその時! 数人の中央貴族の男たちがやってきた。
いずれもブルームーン派に与する彼らは、過日、ミーアが言い出したことに異を唱えるために、やってきたのだ。挨拶もそこそこに、さっそく、彼らは話し始めた。
「先日の、ご判断、ぜひご再考いただきたい」
「はて……? なんのことですの?」
「知れたこと。ルドルフォン辺土伯とベルマン子爵の件です」
「まぁ……、ベルマン子爵を伯爵にする件、これは妥当といってもよいでしょう」
「左様。彼は中央貴族に列せられる者ですし、皇女の町を領内に抱える者の爵位が低くては格好がつきますまい。聖ミーア学園の設立に尽力した者としても、伯爵が妥当であることは、否定するつもりはありません」
彼らはまず、ミーアを認める姿勢を見せた後に、丸め込もうとするように、軽薄な笑みを浮かべて、
「しかし、ルドルフォン辺土伯、かの者を伯爵とするのは、いかがなものか……」
などと言ってきやがった!
やれやれ、これはのんびりケーキを楽しんでもいられなそうだぞ……と思ったミーアは、ため息交じりにフォークを置……く前に一口パクリとして、それからフォークを置いた。
「もぐむぐ……。ふむ、けれど彼は自領の小麦を配り、多くの民を救いましたわ。彼のところの小麦がなければ、多くの犠牲が出ていたはず。それに彼の息子、セロ・ルドルフォンの功績はあなたたちも認めるところではなくって?」
そのミーアの言葉にも、貴族たちは難色を示す。
「それはもちろん、知っております。されど、それがすなわち伯爵にすることにはなりますまい」
「信賞必罰は国を治めるのに欠かすことはできぬもの。そうではありませんか?」
ミーアのそばに控える、ルードヴィッヒが口を出した。
そちらに、忌々しげな視線を送り、貴族の男は首を振った。
「ルードヴィッヒ殿は平民の出。こういった貴族の事情には、失礼ながら、あまり通じていないのでは?」
見下すような目でルードヴィッヒを見てから、彼らは嘲笑を浮かべる。
彼らがルードヴィッヒの言葉に反応したのは、彼の能力を認めているからではない。ルードヴィッヒがミーアのお気に入りだからだ。
ミーアの手前、無視してはミーアの心証が悪くなるという配慮だった。
実際のところ、つまらない抗議をしてきた時点で、ミーアの心証はだいぶ悪化しているし、美味しいケーキを食べるのを邪魔した時点で、万死に値する……ぐらいのことを思っているのだが、彼らは知る由もない。
「なるほど。つまり、あなたたちが言いたいのは、辺土貴族に中央貴族と同じ爵位を与えるのはまかりならん、と……そういうことですわね?」
「ご明察にございます。陛下」
かしこまって頭を下げてはいるが……、その態度は、どこか不遜に見えた。
――まぁ、ブルームーン派としては、サフィアスさんに皇帝になってもらいたかったんでしょうし、わたくしに好意的である理由はありませんわね。
甘いものが食べたいなぁ、などと思い始めたミーアに、
「陛下……いかがいたしましょうか?」
ルードヴィッヒの声が飛んできた。
「ふーむ……。あ、そうですわ! 良い考えがございますわ」
ミーアは、ニンマリと笑みを浮かべて言った。
「ならば、辺土伯を一文字変えてあげる……というのはどうかしら?」
そうして、ミーアは、指をふりふり、ふむむ、っと唸り……、考え込むような様子を見せてから、
「たとえば、そう。辺境! 辺境伯などというのはどうかしら? こちらのほうが格好いいですし、ちょっぴりですけど、出世したように感じないかしら?」
ミーアのその言葉に反応したのは、すぐ隣にいたルードヴィッヒだけだった。
彼は、驚愕のあまり目を見開いたが、すぐにそれを隠すように、眼鏡を直しつつうつむいた。
「辺境伯……? なるほど、たしかに頭に辺境とつければ、田舎者の感じは出ますが……。ですが、そんなことで誤魔化されるものでしょうか?」
「なにを言っておりますの? こういうのは、形が大事なんではありませんの。辺土伯のままにしては信賞必罰に反する。されど、伯爵にはできない。ならば、このようにするしか、ないのではないかしら?」
そうして、ミーアは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「なるほど……。さすがは陛下。ご聡明でいらっしゃる」
そのようなことを言いつつ、彼らは部屋を出て行った。
それを笑顔で見送るミーアに、ルードヴィッヒが話しかけてくる。
「陛下……、辺境伯、というのは……」
「ふふふ、その様子ですと、あなたも知っておりましたのね」
ミーアは涼しい顔で微笑んでから言った。
「ええ。無論、あなたが考えている爵位で合ってますわ。まぁ、だいぶ前から使われなくなっているそうですし、そもそも外国の爵位だから、知らなくっても無理はないお話ですけれど……」
それはミーアの悪戯。あるいは文句を言ってきた連中に対する、ちょっとした意趣返しだった。
辺境伯、それは実在する爵位である。否、正確に言えば、かつて存在していた爵位だ。
それは、伯にして伯にあらず。時にその上、侯に列せられることもある爵位。
国境付近に領地を置く、国の盾。時に君主の血族、時に君主の最も信頼厚き者に与えられた爵位、それこそが辺境伯である。
そして、その爵位が存在していた国は、かの大国、サンクランド王国だった。
今では使われなくなった爵位ながら、未だに民草の間では、王に等しき尊敬をもって扱われる、それこそが辺境伯という爵位であった。
セントノエルの授業にて、そのことを学んでいたミーアは、会心の笑みを浮かべる。
「自分たちの抗議によって、かえって事態を悪化させてしまった……。彼らは立場がありませんね」
「ふふん、わたくしのケーキを邪魔した罰ですわ。ちょっとした悪戯ですわ」
そうして、ミーアはニッコリ笑って、ケーキを頬張るのだった。
さて……、ルドルフォン辺土伯が、辺境伯に任命されたという知らせは、中央貴族たちの間で、大きな衝撃となって走った。辺境伯を知らなかった不勉強な者たちも、それがサンクランドに存在した爵位だと聞き、さらに、候に等しきものであると聞いて、大いに焦った。
一方で、ミーアと近しい四大公爵家の者たち、サフィアス、エメラルダ、ルヴィ、シュトリナは、それぞれに苦笑いを浮かべて、その報を受け取った。
おおかた中央貴族のバカなのが、ミーアの怒りに触れたのだろう、と判断したのだ。もっとも、そのバカな貴族が自身のブルームーン派だと知ったサフィアスは、ちょっぴり青くなったりもしたのだが。
まぁ、ともあれ……、中央貴族が抱いた焦りも、長くは続かなかった。
「ま、まぁ、形だけのことだ。実際、帝国には辺境伯なる爵位はなかったわけだし、領地が増えるわけでもない。権勢が増すわけでもないのだから問題はあるまい」
そう自分たちを慰める中央貴族たちである。
けれど、そんな彼らに衝撃を与える事件が、しばらくして後に勃発する。
それは……、辺境伯令嬢ティオーナ・ルドルフォンとサンクランドの若き国王、シオン・ソール・サンクランドとの縁談である。
遅れてきたハロウィン……