第百二十五話 あなたに相応しい方が、きっと……
「シオン……」
壮絶な勝負を終えたシオンが、こちらに歩いてきた。
ミーアは、ただただ呆然と、その姿を見つめることしかできなかった。
いったいなにを言ったものか……、慰めるべきか、あるいは、どういうつもりかと怒ればいいのか? それとも……。
混乱に頭をグルグルさせるミーア。その目の前まで来ると、シオンは静かに頭を下げた。
「すまないな。ミーア。君のことを利用させてもらった」
「はて……利用……?」
シオンは、小声で囁くように言った。
「ああ。どうも、エシャールは、俺が君に思いを寄せていると誤解していたみたいだからね。エシャールへの贐のために……俺は負けなければならなかったというわけさ。けれど、大切なものを懸けているという体裁を整えなければ、手を抜いていると思われてしまいそうだったものでね」
それから、シオンは、してやったりと悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「なかなか、上手い演技だっただろう?」
「演技……?」
首を傾げるミーアに、シオンは肩をすくめる。
「君でさえ騙せたなら、上々だな。おかげで上手くいったみたいだ。うん、ありがとう」
それから、踵を返そうとするシオン。
その姿を見て、ミーアは……感付いた。シオンが無理をして、強がっているということに。
ミーアは、思わず、ぐむ……と唸る。
ここにきてようやくミーアは、自らのすべきことを悟ったのだ。
――わたくしがすべきこと……、それはシオンを……諭すことですわ!
ミーアは考える。
シオンが自分を好きだというのは……どうやら本当らしい。では、どういうことになるのか?
――きっと今までもさりげなくアピールしていたのですわね。デートに誘っても構わないぞ? みたいな感じで……。
ミーアは、そう推理する。と、同時に思う。そのやり方は……上手くいかないですわよ、と。
なにせ、ミーアは体験しているのだ。
前の時間軸、ほかならぬシオンに向けてのアピールをして……完全にスルーされるという経験を……。
――恋愛軍師のアンヌも言っておりましたけれど、あのやり方では上手くいきませんわ。もっと直接的に、謙虚に、わかりやすくアピールしないと駄目ですわ!
にもかかわらずシオンは、どうやら“弟のために自身の恋を諦めた”という形で、その恋を終わらせようとしている。
それではダメなのだ。シオンの恋が実らなかったのは断じてそのせいではない! きちんとアプローチしなかったからなのだ!
――いや、まぁ、わたくしにはアベルがおりますから、もともとダメだったでしょうけれど、それでもこのやり方を繰り返しては、実る恋も実らなくなりますわ。
これから、シオンに投げかけなければならない言葉、それは、かつて失敗を突き付けられたミーア自身も向き合ってきた言葉だ。
アンヌにより、間違いを指摘されたミーアは、今ではきちんと認識していた。
あの時、シオンに冷たい態度をとられたのは、自分自身の行動が原因であると……。
そのうえで、ミーアは言わなければならない。
そのように待っているだけでは相手は振り向いてくれないのだ、と。そのやり方は間違っていると、きちんと告白を受け止めて、フッてやらなければならないのだ。
そうしなければ、きっとまたシオンは間違えるに違いない。そんな風にフラれることを繰り返すうちに、シオンが歪んでしまったら……、その失恋に付け込んで蛇が暗躍するに違いない。
それはなんとしても避けたい!
――ならば、教えてあげなければなりませんわね……。恋愛の先達として!
そう、お忘れかもしれないが、ミーアは大人のお姉さん。恋に迷う若い少年に、きちんと道を諭してあげなければならないのだ。
……などと、実におこがましいことを考えるミーアである。
「シオン、お待ちなさい」
ミーアは、立ち去ろうとするシオンを呼び止める。
「シオン・ソール・サンクランド殿下……、そのように、言い訳をするものではございませんわ」
その言葉に、シオンはハッと驚いた顔で振り返る。
「言いたいことは、きちんと言いなさい。わたくしがそれを受け止めて、きちんと返事をして差し上げますわ!」
「これは……まいったな……」
ミーアの言葉に、シオンは一瞬、目を見開き、
「でも、そうだな……」
そっと静かに膝をつく。それからシオンは、ミーアを見上げて……。
「では、ミーア姫、お手をお借りしてもよろしいだろうか?」
優雅な口調で言った。
その言葉に誘われて、ミーアはそっと手を差し伸べた。その手を優しく、包み込むようにして、両手で捧げ持ってから……、シオンは、
「姫、無礼をお許しください」
そっと優しく、貴重な宝石に触れるように繊細に、ミーアの手の甲に唇をつけた。
「ミーア姫、俺はあなたのことをお慕いしている。あなたに惹かれているのだ。俺の気持ちに応えていただけるだろうか?」
「シオン……」
ぎこちない、不器用なシオンの告白。それを受けミーアは、大人のお姉さんの余裕を……余裕を……吹き飛ばされた!
「けっ、けふっ……」
小さくむせる。
絶世の美少年の、絶妙に慣れてない感じの告白が、ミーアのハートを直撃し、粉砕する!
――おっ、落ち着かなければなりませんわ。わたくしが、しなければならないのは、お断りすること。すっぱりと、かるーく、断ってやればよいだけですわ!
そうしてミーアは、ギンッとシオンのほうに目を向けて……見てしまう。
シオンの真剣な顔を……。
瞬間、ミーアの脳裏に、先ほどの戦いが甦る。
全身全霊をかけたあの戦い、彼らの剣が自分のために振るわれたと考えると……、ミーアは「断ってやればよい」などと、軽い気持ちで答えを返すことができなかった。
彼の本気には、本気で返さなければ……きっと寝覚めが悪いだろう、と……、小心者の本能が告げていた。
ふぅ……、と小さく息を吐き、ミーアは自身の心の中を整理する。
それから、慎重に話し始めた。
「シオン、アベルとの戦い……、見事でしたわ。本当に……」
自然とこぼれ落ちたのは、決闘への称賛の言葉だった。
「……負けるつもりはなかったんだけどね」
苦い笑みを浮かべるシオンに、ミーアは首を振ってみせる。
「素晴らしい戦いでしたわ。シオン、あなたは……、とても……素敵な人ですわ」
それは、ミーアの本心だった。
……本心だったのだ。
そう、この時――この決着の時に至って……、はじめてミーアは思っていた。
シオンが魅力的な少年だと……、心から実感していたのだ。
それを、素直に認めることができたのだ。
正面からアベルと戦う姿も、川に落ちた自分を助けてくれた時も、狼使いに立ち向かう姿も、間違いを犯しながらも、傷つきながらも前に進もうとするところも……。
前の時間軸では、その上辺の華麗さで覆い隠されていた彼の魅力的な姿が、ミーアの脳裏を過る。
そうして、ふと思ってしまった。
もしも……、もしも、なにかが違っていれば……、彼と恋に落ちることがあり得たのだろうか?
もしも前の時間軸……、ミーアが一歩踏み出していたら……?
大国の皇女として高慢に振る舞うことなく、もっと素直に関係を育んでいたら……そんな未来はあり得たのだろうか?
――考えても詮無きことですわね。今は、シオンの気持ちにしっかりと応えなきゃなりませんわ。
ミーアは、ふぅっと小さくため息を吐く。そうして、気持ちを静めてから……改めてシオンのほうを見つめて。
「あなたは素敵な人ですわ。だから、きっと……、あなたに相応しい方がいらっしゃいますわ」
それは、いつかのダンスパーティーでかけたのと同じ言葉だった。でも……、
「わたくしなどよりも相応しい素敵な女性が……きっと……」
あの時とは違い、ミーアは心から言うことができた。
シオンに相応しい人が必ずいると、その出会いが必ずあると……シオンのことを思って……言うことができた。
それは、ミーアからシオンへの贐の言葉だった。
「そうか……」
ミーアの言葉にシオンは……わずかに寂しげな笑みを浮かべて、
「うん……。君の言葉だ。信じてみることにするよ」
そうして、静かに去っていった。
「シオン王子……」
そんなシオンを、心配そうな顔で追う者がいた。
それは……。