第百二十三話 シオンの決断4 ~あの日の続きを~
――兄上は……、なにを見せようというんだろう……?
エシャールは、なにもわからないまま、シオンたちの行動を見守っていた。
この期に及んで、なぜ、剣の試合なのか?
そのようなものを見せて、どうしようというのか?
ただ、その天才ぶりが露わになるだけではないか?
それは、今さら見せびらかして確認させるまでもないこと。それは誰もが知っていることだから。
シオン・ソール・サンクランドは、剣の天才である、と。
しかも、相手はあのアベル王子。シオンとは比べるべくもない凡人のはず。
それを打ちのめすところを見せて、いったい、なにが贐なのか……?
――まさか、僕の心を折ろうというわけでもないだろうし……。
王位継承権は自分のものだと誇示する、というのが一番わかりやすい動機だけど、そのようなことは、兄はしないような気がする。
――じゃあ、いったい、どういうことなのだろう?
疑問に首を傾げるエシャールの目の前で……、シオンとアベルが剣を構えて向かい合った。
「さて、それじゃあ始めようか」
堂々たる態度で剣を振り上げるアベル。その構えは変わることなく、揺らぐことなく……、いつもどおりの大上段だ。
「変わらないな、アベル。あの剣術大会の日から、ずっと……」
「これしかないものでね。ボクには、君のような才能も器用さもないから」
その答えに、シオンはちょっぴり渋い顔をする。
「どうかな……。才能のほうは知らないが、俺は最近、自分がそこまで器用じゃないんじゃないかと思い始めたよ。だから……」
そうして、シオンは剣を下げる。腕をだらりと下げ、刀身を大地と水平に構える下段構えにして……。
「俺も、あの時と同じ構えで相手をさせてもらおうか……」
「なるほど……。あの後、何度か剣を交えたこともあったが……今日が正式にあの日の続きということになりそうかな……」
「ここならば、雨の心配もない。邪魔するものはなにもない。心行くまでやるとしよう」
その言葉をきっかけに、アベルが表情を引き締める。
深く息を吸って……、ゆっくりと吐いて……。
「参る!」
気合の声とともに仕掛けたのはアベルだった。
その光景は、サンクランド貴族たちにとっては見慣れたものだった。
王子シオンの剣は、天賦の才による剣。
相手の攻撃をすべて受けきり、その実力を見極めたうえで隙を作って、崩す……。
それは、圧倒的強者の剣。
溢れる余裕をもって、相手を迎え撃つ王者の剣。
そんな普段の戦いの枠を外れることはない……と、ある種の油断をもって眺めていた彼らの、その油断を……、アベルは一撃で打ち抜いた。
それは、愚直な、なんの衒いもない突進。
剣の心得のない者たちは、それを未熟と嗤った。
若さゆえの気の逸り。あるいは、強者に対峙した凡人の焦りの発露であると。
けれど、ディオン・アライアは、それを見事と笑った。
「うん、なかなか……。迷いのない良い剣だ」
その言葉を証明するかのように、アベルは一足飛びに間合いを詰めると、鋭い踏み込みと同時に剣を振り下ろした。
基本に極めて忠実な一撃、それは流水のごとく洗練され……、されど、流れ落ちる瀑布のごとく重たい一撃。
鳴り響く鋭い衝突音は、波紋のように会場に広がり、直後、訪れたのは静寂。
人々は息を呑み、そして察する。
これは……ただの余興じゃない、と。
「さすがだな……。さらに威力が上がってるじゃないか?」
幾度となく見てきたアベルの斬撃。それを真正面から受け止め、鍔迫り合いに持ち込んで、シオンはニヤリと笑みを浮かべる。
「なに、大したことじゃないさ。ただ、捨て身にならずとも、先日の暗殺者ぐらいは、一人で退けられるようになりたいと思ったまでのこと」
そう言って、アベルは剣の圧力を増した。このまま一気に、シオンを追い詰めにかかる。
が……、動かない。
それはさながら、城壁に鍔迫り合いを挑むがごとく……。巨壁のように一歩も動かぬシオンを前に、アベルは、体勢を立て直すべく後方に引く。引きながらも、抜け目なく一撃を放ち、シオンの追撃を防ぐことも忘れない。けれど……、
「迂闊だな、アベル。不用意な攻撃は命取りになる」
それは、シオンの計算の内だった。
彼は狙い澄ましていたかのように前進。踏み込むと同時に、繰り出されたアベルの剣に斬撃を叩きつけた。
「くっ!」
アベルが小さく呻き声を漏らす。
自身の振り下ろしに匹敵するであろう剛撃。正面から跳ね返された剣とわずかに腕に走る痺れ。
それで、アベルは悟った。
シオンが、正面から打ち合うことを望んでいると。
「なるほど……。ミーアを懸けて戦うんなら、このやり方が相応しいと君は判断したのかい?」
「正面から打ち合わなければ、納得がいかないだろう? ミーアを奪い取られる身としてはな」
傲然と告げた時のシオンの目を見て……、アベルの背筋に寒気が走った。
それは、ひさしく忘れていた戦慄。
なぜ、このような当たり前のことを忘れていたのか?
共に鍛練を積むようになったためか? 幾度かの戦いで慢心があったのか?
対峙する相手、シオン・ソール・サンクランドが紛れもない天才であるという、動かしがたい事実を失念していたとは……。
「やれやれ……。これは死ぬ気で戦わないとダメだね……」
「互いに大切なものを懸けて戦うのだ。そうでなければ意味がないだろう」
その言葉に、アベルは表情を引き締める。
戦いは始まったばかりだった。