第百十四話 突破口、ミーア姫、波を摑まえる
「申し訳、ありません。父上……」
エシャールは、もう一度言って、その場で膝をつき、頭を下げた。
「私が、兄上のグラスに毒を入れました。申し開きもございません」
「え……?」
ミーアの傍ら、エメラルダが驚愕の声を漏らした。
――ああ、そう言えば、エメラルダさんには教えておりませんでしたっけ……。
などとミーアが思っていると……、
「恐れながら陛下、発言を許可いただけるでしょうか?」
シュトリナが一歩前に出た。エイブラムが頷くのを待って、シュトリナは言った。
「仮にリーナが……、いえ、私がエシャール殿下に毒を渡した者であるならば、毒であるとは教えずに渡すでしょう。恐らくは、もっと軽い作用のある薬であると、そう偽って渡すのではないかと思います。エシャール殿下がご自分が入れたものを致死性の毒であると認識していたかどうか……」
「だが、害意を持って王位継承権一位の王子の飲み物に、得体のしれぬ毒を入れたということは変わらぬ。だからこそ、エシャールは、なにも言わないのではないか?」
「申し開きはございません」
エシャールは顔を上げようとはしなかった。ただ、震える声で答えるのみだ。
入れた本人が認めてくれなければどうにもならない。また、仮に「そうだ!」とエシャールが主張したとして、それは言い訳のように聞こえてしまうだろう。
――恐らくリーナさんの言っていることは正しいのでしょうけれど……、それを証明するのは至難……ですわね。
ミーアは小さくため息を吐く。
「王に毒を盛るのは、サンクランドにおいては前代未聞のこと。しかし、他国の慣例では死罪にも相当することであろうな。相手が王であるならば……」
国王の重々しい問いかけに、頷いたのは宰相だった。
「さようにございます。陛下。恐れ多いことなれど……」
「あなた……」
蒼白な顔で詰め寄ろうとする王妃を、エイブラムは鋭い視線で制した。
彼のまとう空気には、どこか近寄りがたいものがあった。
かつて垣間見えた気さくさも、息子を気遣う温もりも、そこにはなかった。
そこにあるのは、厳しいまでの清らかさ……、純白の正義をまとう「王」の姿、そのものだった。
「仮に、ご子息であったとしても、処分を軽くすることは……」
おずおずと口を挟んだ宰相に、エイブラムは重々しく頷いて答える。
「むしろ、息子であるからこそ、厳格に裁かなければならないだろうな。血縁だからと言って罰を軽くしては、サンクランドの公正が揺らぐ」
――こっ、これは……、危険ですわ。
ミーアは、その流れに危険を感じていた。けれど、残念ながら口を挟む隙は一切無かった。
ここにきて、ミーアは気付いていた。
エイブラムは、たぶんミーアたちに話を聞くつもりはないのだ。
ただ、あの場に居合わせた者として、正しい沙汰が行われたことを確認させるために、呼んだのだ。
ミーアたちに求められるのは、エイブラムが正しい裁きをエシャールに与えたことを証明することであって、すでに状況は決している。
エシャールへの厳罰は免れない……。
――波が……ありませんわ。
そもそも、ミーアは海の中に入ってすらいない。エイブラムの態度は、まさにそのようで、ミーアは完全なる傍観者、部外者に過ぎない。
そして、それは、ほかの者たちも同様だった。聖女ラフィーナですら、発言を求められてはいなかった。
部外者の一切の介入を許さないまま、公正な王の判断が下されようとしていた。
裁きの剣を与えられた者により、今まさに、断罪の一刀が振り下ろされんとしていた。
まさに、その時だった!
「そんなの、間違っています」
重たい空気を打ち破り、声が響いた。
かすかに震える声、されど、その瞳に強い意志を宿して、少女、ティオーナ・ルドルフォンは真っ直ぐにエイブラムを見つめていた。
「家族だから、余計に罰を重くするべきとか、より厳しく裁くべきとか、そんなのは、おかしい」
この雰囲気の中、あえて、他人事に踏み込めるティオーナに、ミーアは思わず感心してしまった。
――この空気の読まなさが、さすがティオーナさんですわ。
これは、第一にサンクランドの問題で、第二にエイブラム王の家族間の問題でもある。
ミーアはもちろん、ティオーナにとっては無関係な問題。他人事だ。
そこには、断絶があるのだ。
ミーアたちの意見など誰も求めていないし、なんだったら「口を出すな、黙って見てろ!」と言ってやりたくなる、そのような状況なのだ。
そんな、誰しもが口出しするのを憚る状況……、だが、読まない。
ティオーナは空気を読まない。読めないのではなく、読まない。
あえて無視して、正しいと思ったことを躊躇なく口にする。
考えてみれば、それも当たり前のこと。彼女は前の時間軸、革命の聖女と呼ばれた人なのだ。既存の仕組みをぶっ壊そうなどと、少しでも空気を気にする者ならば決して思わないことだろう。
そして、ティオーナにあるのは蛮勇だけではなかった。
彼女は信じているのだ。
「家族は命を賭しても守るべき、大切なもののはずです」
ルドルフォン辺土伯は、農民のリーダーから貴族に成り上がった男だ。その娘たるティオーナにとって、領民とは家族に等しい存在だ。
そして、彼女は教えられてきた。貴族は民の安寧を守るもの。民、すなわち領民とは家族のこと。であれば、家族のほうをより厳しく裁くという考え方に納得はできなかった。
ティオーナにとって、家族は、自分を犠牲にしてでも守るべきものなのだ。
そんなティオーナの勇気は……、確かに穿った。ミーアたちの介入を拒む空気を、穿ち、一穴を生み出した。
そこに、ミーアは突破口を見出した。
小さな波が起ころうとしていた。ならば……乗るしかない。
わずかな波であっても、流される。それこそが、背浮きの極意。
ミーアは静かに息を吸ってから、口を開いた。
「その裁きには、不備がございますわ。エイブラム陛下」
「ほう、不備とは?」
エイブラムが鋭い視線を向けてくる。
ミーアは一瞬、たじろぐも……、
――だ、大丈夫ですわ。ディオン・アライアの殺気よりは幾分かはマシですわ。ちょびっとですけど……。
自分を励ましつつ言った。
「不備のある、あるいは、不当な判断、ということもできるかもしれませんわ」
「なっ……」
息を呑むような声を漏らしたのは、はたして誰であったのか。けれど、今は気にして立ち止まる時ではない。ミーアは、わずかに息を吸う時間、頭の中を整理する。
思い出すのは前時間軸のこと。
ティオーナ・ルドルフォン……、革命の指導者である彼女だが、ミーアの断頭台送りを決めたのは、実は彼女ではなかった。
前の時間軸においてミーアを裁いたのは、革命軍を率いたティオーナでもなければ、革命軍の者たちでもない。
他国の王子であるシオンだったのだ。
それはなぜか……。
理由はとても簡単で“直接的な恨みを持つ者たちによる私刑”としないためだ。
恨みの感情によって……、量刑を不当に重くしないためだ。
――国の内外に正しさを示さなければならない。シオンの配慮だったんでしょうね……。
まぁ、それでも死刑になってしまったわけだが、それはそれ……。
――ふふん、かつての敵の知恵ですけれど、今回は利用させてもらいますわ!
そうしてミーアは、かつての仇敵シオンが用いた論理の剣で武装して、「ほあー!」っと奇声を上げてエイブラムに斬りかかる!
「エイブラム陛下、あなたは被害者……。毒により不利益を被った者ではありませんか。であるならば、陛下は、毒を飲まされた恨みによって、不当に刑罰を重くしたのではないか……」
ミーアはぶつける。
家族だから、不当に罰を軽くしたのではないか? という疑惑に、被害者だから、不当に罰を重くしたのではないか? という疑惑を。
不当に罰を軽くする疑惑と、不当に罰を重くする疑惑とをぶつけて、相殺するのだ。そのうえで、
「……などと、口さがない人々は言うかもしれませんわ」
自分はそうは思わないけれどね? という逃げ道までをも、忘れず、きちんと設けておく。
私が言ってるんじゃないよ? 誰か、そんなこと言うかもしれないって言ってるだけだよ? と。
そうして、奪い取るのだ。エイブラムの手から正義の執行権を。
それを聞いたエイブラムは、静かに目を閉じた。
「なるほど……。ミーア姫の言い分には聞くべきところがあるようだ。だが、ならば、どのように沙汰を下すのが良いと言うのか?」
「簡単なことですわ。陛下、あなたには、立派なご子息がいらっしゃるではありませんか」
そうして、ミーアはシオンのほうを見た。
「シオン殿下が、判断されるのが筋ではないかと思いますわ」
そうして、ミーアは、シオンのほうに目を向けた。
もしかしたら……、シオン自身に弟を処断させることになり、その結果、彼の心は深い傷を負うかもしれない。
でも……、それでも、ミーアは見たのだ。
レムノ王国で打ちひしがれた彼の姿を。
セントノエルで、名誉挽回の機会は自分で用意すると言った、その決意を。
ゆえに、ミーアは信じることにしたのだ。友人のシオン・ソール・サンクランドのことを。
――頼みましたわよ、シオン!
期待を込めて、ミーアはシオンを見つめた。
――あとは、すべて任せましたわよ!
ぽーんっと全部を丸投げにしたのだ!




