第四十七話 馬上の誤算
「ミーア姫、なぜ、ここに?」
「あら、アベル王子? 奇遇ですわね」
声のした方を見たミーアは、意外な人物の登場に少しだけ驚いた。
ミーアの記憶が確かなら、アベルは前の時間軸、カード遊戯部に所属していたはずである。アベルとの仲を深めるためにミーアも入部を検討はしてみたのだが、その内実が賭けごとに興じる退廃的な部活であったため、アンヌに止められたのだ。
――てっきり自堕落な学生生活を送るものと思っておりましたが……。
かつての、少し病的な顔をしていたアベルの顔が、ミーアの頭に浮かんだ。あのころの彼は、いつだってヘラヘラ情けない笑みを浮かべ、制服もだらしないぐらいに着崩していたものだったのに。
「馬術部に入られたんですの?」
「うん? ああ、そうなのだ。一応、ボクもレムノ王国の王子、最低限、馬術と剣術ぐらいは鍛えておこうと思ってね」
そう答える彼の顔には、退廃とはかけ離れた爽やかな笑みが浮かんでいた。乗馬用の服をきちんと着こなした彼は、実に健康的な雰囲気をまとっていた。
「それで、キミの方はなにをしているのかね?」
「わたくしは見学ですわ。馬術に興味がありまして」
「ミーア姫が、馬術に? それは、少し意外な気がするが……」
「おう、アベル、お前、このお嬢ちゃんの知り合いか?」
「ああ、馬龍先輩。ええ、先日、新入生歓迎パーティーで、パートナーになっていただきまして」
「ほう、そいつはちょうどいい。せっかく見学に来たんだ。お前、馬に乗せてやれ」
「……は?」
唐突な言葉に、アベルは目をパチパチと瞬かせた。
「せっかく馬に興味を持ってもらえるというなら、むげにも扱えないだろう」
そう言って、馬龍はいたずらっぽくウィンクした。
「いや、しかし……」
アベルはミーアの方をチラッと見て、すぐにそっぽを向いてしまう。心なしか、その頬がほんのり赤く染まっている。
――あら、まぁ……。
ミーアは、それでピンときた。
――もしかして、アベル王子、照れてますの?
馬に二人乗りするというのは、ロマンチックな雰囲気。そのせいで、アベルが照れて緊張していたとしてもおかしくはないのではないか。
――うふふ、アベル王子、案外、ウブなんですのね。
ミーアは上から目線に、アベルを見た。
なにしろ前の時間軸において、ミーアは二十歳まで生きた、いわば大人の女性である。例え恋愛経験がなくとも、中等部の男子の心理を把握することなど簡単なことなのだ……と、信じきって疑わないミーアである。
もっとも、この時は、確かにミーアの女の勘は当たっていたのだが。そう、俗に言うビギナーズラックというやつである。
――まぁ、そういうことでしたら、ここはお姉さんであるわたくしが、きっちりリードして差し上げないと。
ミーアはるんるんで、アベルに言った。
「わたくしからも、エスコートをお願いしたいですわ、アベル王子。せっかくパーティーでご縁ができたわけですし……」
そう言って、ちら、っと上目づかいに見つめる。あざとい態度である。
「む? ミーア姫がそう言うのであれば……」
「あは、うれしいですわ」
ミーアは可愛らしい笑みを浮かべた……笑みを浮かべていられたのは、ここまでだった。
――ひぃっ! た、たた、高い高い、高いですわ!
馬龍に手伝ってもらって、馬に乗ったミーアは、思わず悲鳴をあげそうになった。
そう、馬の背は、高いのだ。しかも、今日のミーアはセントノエル学園の制服を着ている。
セントノエル学園の制服は、大陸最先端のデザイナーによってデザインされた、斬新なものだった。
白いブラウスとその上から着るブレザー、さらに、きっちり折り目のついたプリーツスカートは、貴族の間で通常着られるドレスとは一線を画するものだった。
ここで重要なことは、ミーアがズボンではなくスカートをはいているということだった。
そう、この格好で馬に乗ろうと思った場合、どうしても足を揃えての横座りになってしまう。
これは怖い……。
普通に馬の背にまたがることができれば、その視界は馬の頭越しに前を見ることになるのだが、横座りの場合、少し視線を下に転じれば地面が見えてしまう。
さらに、体勢的にも不安定極まりない。
少し油断すれば、バランスを崩して、呆気なく落下してしまいかねないのだ。
結果……、ミーアはロマンチックがどうとか、アベルをリードしてあげるとか、そんな余裕を一切喪失してしまった。
「それでは、ミーア姫、しっかりとボクに……、うわぁ!」
アベル王子がなにか言っていたが、聞いている余裕はなかった。ミーアはひっしとアベルの腰に腕を回し、ぎゅううっと抱きついた。
「みっ、みっ、ミーア姫、そ、そんなにつかまらなくても大丈夫……」
「わ、わわ、わかってますわ。ここ、こんなの、余裕、余裕ですわ!」
馬への恐怖から余裕を失ったミーアと、気になる女の子との馬の二人乗りで余裕を失ったアベル王子の、いろんな意味でのドキドキ乗馬デートが始まる。