第百七話 夢のようなダンス……そして
アベルのもとを後にしたミーアは、まっすぐにシオンのほうに向かった。
シオンの周りには、例のごとくご令嬢たちが人垣を作っていた。華やかな、色とりどりの花に囲まれたシオンを見て、ミーアは思わず苦笑する。
――まったく、あれをかき分けていくのだけでも一苦労ですわね。
などと、げんなりしていたのだが、幸いにもミーアの存在に気付くと、スゥッと引いて道を作った。それはまるで、二つに割れた海の中を歩く、古代の預言者のごとき姿だった。
シオンもこちらに顔を向け、それから笑みを浮かべた。
「やぁ、ミーア姫殿下」
「シオン殿下、よろしければ、一曲踊っていただけるかしら?」
ミーアは優雅な笑みを浮かべて言った。
「ああ、光栄だな、君のほうから誘いに来るなんて」
「あら、だって、あなたはこちらから誘わないと、こちらを振り向いてくださらないでしょう?」
「え?」
小さく首を傾げるシオン。からかうような笑みを浮かべて、ミーアは静かに手を伸ばした。
ミーアは知っている。ただ待っているだけでは相手は振り向いてはくれないということ。
待ち野伏は、有効な作戦ではないのだ!
スゥッと伸びた手を、シオンが優しく取った。そうして、優雅にダンス会場へとエスコートする。
――ふむ、相変わらず、憎らしいぐらいスマートですわね。
「では、姫。よろしくお願いします」
背筋を伸ばした後、自らの胸に手を当て、一礼するシオン。それを受け、ミーアはスカートの裾を軽く持ち上げ、
「ええ。シオン殿下。楽しみましょう」
っと、楽団の者たちが二人に気付いたのか、曲がフェードアウトしていき、しばしの間の後、ちょうど良いテンポのものになった。
「あら……? これは……」
その曲は、ミーアも聞き覚えのあるものだった。ダンスの基礎を学ぶのに、よく使われる曲。要は、初心者向けの踊りやすい曲だ。
――ふむ、これは、気を遣われましたわね。帝国の姫と自国の王子とのダンスですし、万に一つも恥をかかせるようなことがあってはならないということかしら。
ミーアは視線を上げてシオンの顔を見る。と、シオンは困ったような顔で、苦笑いを浮かべた。
そう、最近では泳ぎに乗馬に料理に(……料理に?)、と、少々の浮気をしているミーアではあるものの、ダンスは得意中の得意中の得意。
どのような曲であっても、軽ーく踊りこなすことができるのだ。
「気遣いはありがたいですけれど、この際は無用であると、しっかり見せてあげる必要があると思いませんこと? シオン」
「ふふふ、そうだな。それなら、帝国の姫殿下の名誉回復のために、一肌脱ぐとしようか」
そうして、二人は息を合わせて踊りだした。
サンクランドの王子とティアムーンの姫のダンスは、当初は好奇の視線に晒されていた。されど、それもすぐに、感嘆と羨望のまなざしにとって代わられる。
サンクランドの貴族たちは、シオンのダンス上手は知っていた。されど、その相手たるミーアの実力までは思いもよらなかった。
せめて腹いせに、ミーアのダンスを笑ってやろう、などと思っていた底意地の悪い者たちは、一様に口を閉ざした。
ずれることのない完璧なステップ、シオンの動きを読み、完璧に合わせ、なおかつ、指先までも意識がいきわたったかのような美しいダンスに、思わずため息が漏れそうになる。
「あれが、帝国のミーア姫か……。なんと美しい」
やがて、曲が終わりかけたところで、ふいに、シオンは楽団の者たちに視線を送った。
それを受け、指揮者が一つ頷くと、指揮棒の動きを激しくする。
「あら? これは……」
「一曲では君の名誉挽回とはいかないだろう。少し激しい曲もせっかくだから披露しておくというのはどうかな?」
「ふふ、別に構いませんわよ? 激しい曲でも静かな曲でもお付き合いいたしますわ」
ミーアは微笑みながら言った。
――ふふふ、むしろ好都合ですわ。この後、ほかのご令嬢とも協力して、シオンが食べ物を口にする隙を与えないようにすれば、今回のミッションはクリアですわ!
その後、数曲を踊った後、さすがに疲れたミーアは一休みすることにした。
すぐにほかの令嬢が誘いに来るだろう、と思っていたミーアであったのだが……。
「兄上、喉が渇いたのではありませんか? どうぞ、これを……」
その間隙を突いてエシャールがちょこちょこ歩み寄ってきた。
――むっ! 怪しいですわ!
エシャールの動きに気付いたミーアは慌てて言った。
「あっ、し、シオン、もう一曲、どうかしら? わたくし、少し踊り足りないですわ」
「ミーア?」
シオンはきょとんと首を傾げる。
「ああ、べつに構わないが、しかしアベルが……」
シオンはあたりを見回し、アベルの姿を探そうとしたようだったが……、ふいに、その顔に苦笑いが浮かぶ。
「いや、そうだな。譲ってばかりでは、なにも変わりはしないか」
それから、シオンはエシャールのほうに目を向けた。
「すまない。エシャール。それは踊り終わった後にもらうことにするよ」
「あ、でも、せっかく冷えていますから……」
そんなエシャールの手から、ふいにワイングラスを奪い取る者がいた。
「こら、エシャール。若い男女の邪魔をするものではないぞ」
そう言って、上機嫌な笑みを浮かべていたのは、エイブラム王だった。
「また新しくもらってくればいいだろう。これは、私がもらおう」
「……あっ」
止める間もなかった。
ミーアの見ている目の前で、エイブラム王は、そのワイングラスをあおった。
次の瞬間……、
「むっ……」
エイブラム王が小さくうめく。
その体がよろよろとよろめき、そうしてバルコニーのほうに向かっていき……、力なく、その手摺りにつかまろうとして……。失敗。そのまま外に落ちそうになる。
「陛下っ!」
直後に響くは少女の声。呆然と見つめることしかできないミーアの目の前を一人の少女が駆け抜けていった。