第百五話 FNYの世界
突然のランプロン伯の介入。その言葉に、ミーアは、ポカーンっと首を傾げた。
「はて……わたくしの下? わたくしが組織の指導者……? そんな、めん……の程知らずなこと、わたくしは申しませんわ」
おほほ、っと笑みを浮かべつつ、ミーアは内心で冷や汗をかいていた。
――あっ、危うく『めんどくさい』、とか言いそうになってしまいましたわ……。い、いけませんわ、気合を入れなおしませんと。
新たに生まれた流れに注意しつつ、ミーアは思案する。
――身の程知らずというのは良い謙遜の言葉ではありますけれど、無責任のそしりを受ける可能性もありますわね……。
通常、この手のことは、言い出しっぺが責任を負うのが当然。ということは、組織の責任はミーアが負う必要があるかもしれない。しかし、それをやるのはあまりにも面倒……。なんとか自分がそれをしなくて良い理屈を考え、考え――閃いた!
「フォークロードかコーンローグ、どちらかの推薦があった人物に……」
そう言いながら、ミーアは思わずほくそ笑む。
――これは、我ながら妙案ですわ。万に一つも帝国から人を出せば文句が出るかもしれませんけれど、他国人、しかも専門家である商人の推薦を受けた人物であれば、納得感はあるはずですわ。なにか失敗したとしても、わたくしが責められることもございませんし……。
「その栄誉を他の者に譲ると?」
ミーアの言葉に、驚愕の表情を浮かべるランプロン伯。その言葉に、ミーアは、ぴくりと眉を動かした。
「栄誉……」
口の中で、その言葉を転がして、わずかばかり苦い気持ちになるミーアである。
ミーアは思っている。
“帝国皇女”というのは、それはそれは栄誉な立場であると。
世間的には、大国ティアムーンの皇帝の娘というのは、きっとこれ以上ないぐらいに栄光に溢れているものだろう。栄誉ある存在、それが自分であると、ミーアは思っている。
……でも、ミーアは知っている。
栄誉、栄光、高貴な立場……、そんなもの断頭台を回避するのに、なーんの役にも立たないのだと。ぶっちゃけ、そんなものよりは、足の速い馬のほうが逃げるのに役に立つぐらいだ。栄誉など、ニンジンケーキに入れて、荒嵐に食わせてしまえばいいのだ。
それでは、なにがミーアを断頭台から遠ざけるのか?
ミーアは、首を落とされることによって得た識見を、物わかりの悪い子どもを諭すような口調でランプロン伯に教えてあげる。
「わたくしは、こう思いますの、ランプロン伯。いつでも、どんな時でも美味しいものをお腹一杯食べられることは、とても幸せであると」
いつでも、美味しいものをお腹一杯食べられること……、それは、どのような栄誉にも勝る幸せだ。今日食べるケーキに事欠かず、明日食べるキノコ鍋の心配をせずにいられることは、とても幸せなことなのだ。
そして、美味しくケーキを食べるには大切なことがある。それは、周りの人もまた、お腹が満ちていること。城下に空腹にあえぐ人を見つけてしまったら、いかに甘いケーキでも美味しくは食べられない。
「すべての人が明日食べるパンの心配をせずにいられるということは、どのような栄誉にも勝ることではなくって?」
栄誉以上に、断頭台の回避に役立つことは、人々が満腹であることなのだ。
明日食べる物の心配なく、今日お腹一杯食べること……、それこそが栄誉に勝るものだ。断頭台を遠ざけるものだ。
人は、満腹になるとどうなるだろうか?
答えは明白。眠くなるのだ。
夕食の後のベッド、その誘惑は実に甘美。ミーアも幾度となく、その誘惑に晒され、完敗を喫している。
そして、お腹一杯食べた後、すぐに眠るとどうなるか?
答えは、これも簡単……重くなるのだ。
牛のように、体も……、心も重くなるのだ。
そうして、細かなことはどうでもよくなる。明日もまたお腹一杯美味しいものを食べて、寝られるなら、まぁ、なんか、どうでもいいかなぁー、などと思ってしまうのだ。
自分がそうなのだから、きっとほかの人もそうに違いないと確信するミーアである。
そして、その世界は、たぶん断頭台からは最も遠い。
それこそが、ミーアの理想。すべての人が重くなる……それが理想なのだ!
FNYの世界こそが、ミーアの理想なのだ。
そうして、ミーアは笑みを浮かべる。できるだけ、友好に見えるような笑みを浮かべたうえで、言う!
「飢えとは国を殺し、民を殺し、我ら帝室、王族、貴族を殺すもの。それは、我らすべての敵。であるならば、その件については、すべての者はともに手を取り合うことができるのではないかしら?」
敵は飢えである。民衆にとっても、貴族にとっても、王族にとっても。
当然、サンクランドにとってもティアムーンにとっても……。
であれば……、敵の敵は味方である、とミーアは言外に訴える! 抜け目のない味方アピールにより、あわよくば、サンクランドの優秀な人材を、組織にゲットしようという魂胆である。
そして、その狙いが上手くいったことを、ミーアは確信する。なぜなら、
「ミーア姫、貴女の深い智謀には感銘を受けた。我らもぜひ、貴女の描くヴィジョンに協力させていただこう」
サンクランド国王、エイブラムのお墨付きをもらえたからだ。
それを聞き、ミーアは、若干ドヤァ顔になりつつも、その場に集う人々のほうに向きなおり、言った。
「そして、話が逸れてしまいましたわね、今日の主役はわたくしではなく、エシャール殿下と、我が友エメラルダさんでしたのに。わたくしは、お二人の縁談を心から祝福いたしますわ」
焦点をエメラルダへとシフトさせる。
ミーアは、対抗勢力の者たちにアピールしたのだ。
なるほど、たしかにエメラルダたちの縁談を阻止することは今はできない。だから、一時的な負け戦は認めよう。けれど、勝負はまだわからない。エメラルダの動向次第では、状況はどこにだって転がるのだぞ、と。勝負はこれから、エメラルダの双肩にかかっているのだぞ、この野郎! と……、言ってやるのだ。
「どうか、それがつつがなく行われますように、お祈りしておりますわ」
やれるもんなら、やってみろ! と、強がって見せたのだ。
そうして、ミーアは優雅に踵を返した。
向かう先は……、豪華な料理が並んでいるテーブルのほうだった。
――ああ、頭を使いすぎて糖分を使い果たしてしまいましたわ。ふらふらしますわ。
過剰な頭脳活動によって、すっかり体内の糖分を払底させてしまったミーアの体が、糖分を求めていた。
ミーアの理想「FNYの世界」は今まさに、グッと近づいたのだ。
……少なくともミーアには。