第百三話 ミーア姫、ちょっぴり訛(なま)る
「それは、我らサンクランド貴族に、皇女殿下の下風に立てと言っているのですかな? そのミーアネットという組織の指導者たるあなたの……」
騒然となる会場に、厳然たる声が響いた。
先ほどまで、司会の役割を担っていたランプロン伯である。
彼は横目に、自らの王の姿をうかがう。が、サンクランド王エイブラムが口を開く様子はなかった。
当然だろう。皇女ミーアが示したヴィジョンは民のためを思うもの、それは文句のつけようのない正義であったからだ。
だが、無論、ランプロンとしては、それを認めるわけにはいかない。
――もしも、ミーア姫があの臣下の言ったことを、本気で考えているのだとしたら……、我々は決して敵対できない。敵対することは、我らの依って立つ正義を否定することになる。
公正・公平な王の統治により民の安寧を守ること……、そのために正義たるサンクランド王の統治を広げること、それこそが彼らの主張の核だ。それ故に民の安寧を、と訴えるのであれば、ミーアに敵対するようなことは決してできないのだ。
――いや……、それ以上に……。
ランプロンの背筋に寒気が走った。彼は、ミーアの内に、さらなる危険を見出していた。
それは、皇女ミーアのありようが、サンクランド国王に匹敵する……否、それに勝る正義ではないか? ということだ。
保守派の訴えの主眼は「サンクランド国王こそが最も正しく民を統治できる」というもの。ゆえに、他国の王侯貴族は、サンクランド国王に劣っていなければならない。
それなのに、もしも、皇女ミーアが、エイブラム王に匹敵するほどの善良で公正な統治者の資質を持っていたとしたら……?
ランプロンは、歯噛みしつつも懸命に打開策を探る。
――くっ、帝国の叡智などと……、ただの噂話に過ぎないと思っていたが……。
グリーンムーン公爵令嬢の友人だと言い張って乗り込んできた行動力、パーティーを逆手に取ったやり方、そしてなにより、完璧な綺麗事を実現してのける、その実行力……。
すべてにおいて、ランプロンの予想を大きく超えた行動だった。
それでもなお、彼はあがく。あがかないわけにはいかない。
なんとか、ミーアの言っていることにケチをつけてやろうと……粘ろうとして、
「はて……わたくしの下? わたくしが組織の指導者……? そんな、めん……の程知らずなこと、わたくしは申しませんわ」
ミーアは、おほほ、と笑みを浮かべて、
「組織の長になるべきは、わたくしでもなければ、ペルージャン国王でもない。無論、サンクランド国王でもないですし、ラフィーナさまでもない。それは、その道の専門家がやるべきですわ」
「つまり……」
「フォークロードかコーンローグ、どちらかからの推薦があった人物に担当していただくのがよろしいのではないかしら?」
ミーアの答えは簡潔で、合理的だった。
流通に通じた者、商人たちであれば、輸送ルートなどにも詳しい。どこの国にどの程度の食糧があるかという情報も持っている。そのような専門家が長となるべきであって、自分はするつもりはない、と、ミーアは言った。
「その栄誉を他の者に譲ると? 他国の平民にさえ、譲っても構わないと……そうおっしゃっているのですか?」
「わたくしは、こう思いますの、ランプロン伯。いつでも、どんな時でも美味しいものをお腹一杯食べられることは、とても幸せであると。すべての人が明日食べるパンの心配をせずにいられるということは、どのような栄誉にも勝ることではなくって?」
文句のつけようのない完璧な答え。強いて言うならば、「身の程知らず」が若干、訛っていたぐらいだが……。
――それを突いたところで、無様なだけだ。見苦しい愚か者に我が身を堕とすだけだ。
奥歯を食いしばり、彼は顔を上げる。と……、そこには、慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべる少女の姿があった。その着飾ったドレスは、さながら、彼女の清らかで純粋な心を表すかの如く、淡く輝いて見えた。
「飢えとは国を殺し、民を殺し、我ら帝室、王族、貴族を殺すもの。それは、我らすべての敵。であるならば、その件については、すべての者はともに手を取り合うことができるのではないかしら?」
それを聞いて、ランプロンは、ふいに力が抜けるのを感じた。
ミーアは後世に残るであろう偉業を成し遂げようとしているのみならず、その担い手として、敵対しようとした者にさえも手を差し伸べようとしているのだ。
もはや彼の中には一片たりとも、ミーアを敵とする理由が見つからなかった。戦力差に絶望したのではない。戦う理由を喪失させられたのだ。
そして、同時に理解する。
かつては、自分たちと同じく、「公正なるサンクランド王の統治による、民の幸福」を訴えていたシオンが考えを変えたのは、この帝国の叡智と出会ってしまったからである、と。
「もう良いだろう、ランプロン伯。みなも異存はあるまい」
そこで、ようやく口を開いたのは、エイブラムだった。彼は眩しそうに目を細めて、ミーアのほうを見てから、
「ミーア姫、貴女の深い智謀には感銘を受けた。我らもぜひ、貴女の描くヴィジョンに協力させていただこう」
それから、堂々たる笑みを浮かべ、エイブラムは言った。
「そして、改めて言わせてもらおう。どうか、我が息子、シオンの友として、末永い付き合いをお願いしたい」
「ええ、それはもちろん。ですが陛下、友として、などと他人行儀ですわ。エメラルダさんはわたくしの親族。エシャール殿下との縁談が成れば、我が帝室とサンクランド王室には、血の繋がりができるではありませんか」
それから、ミーアは改めてみなのほうに向き直る。
「そして、話が逸れてしまいましたわね、今日の主役はわたくしではなく、エシャール殿下と、我が友エメラルダさんでしたのに。わたくしは、お二人の縁談を心から祝福いたしますわ。どうか、それがつつがなく行われますように、お祈りしておりますわ」
そうして、ミーアは朗らかな笑みを浮かべるのだった。