第百一話 うんうん……うん?
刹那の思考停止。直後、ミーアの頭が回転し始める。
ラフィーナの澄んだ声を聴き……、周囲の者の視線は今、ランプロンからミーアたちへと移っていた。
――こっ、これは、いったい!?
ラフィーナがなにを言いたいのかはわからない。けれど、このまま黙っているわけにもいかない。
ミーアは一瞬の逡巡の後、決意を決める。
――乗っていくしかありませんわ。この波がどこに向かうかはわかりませんが……、背浮きをする限り、沈んで溺れることはないはず!
ミーアは小さく息を吐き、次の瞬間には華やかな微笑みを浮かべる。
「ええ、まことに喜ばしいことですわ。我が友であるエメラルダさんと、サンクランドの第二王子であるエシャール殿下とが婚儀を結ぶだなんて……。素敵なお相手を見て、エメラルダさんも喜んでいると思いますわ」
それは本音だった。それに、縁談によってエシャールが成長してくれれば、暗殺なんかしようと思わなくなるかもしれない。
とすれば……、この縁談は、ミーアにとっても望ましいもののはず。嘘は言っていない。
「そうね。お二人の未来に神の祝福があるように、私も祈っています」
ラフィーナの祝福の宣言に、会場の貴族たちが色めきだった。
ランプロン伯も、してやったりの笑みを浮かべている。そう、この場にラフィーナが呼ばれている理由が、まさにこれだった。
ヴェールガの聖女、ラフィーナに認められてしまったなら、もはや、エメラルダがどれほど抗議したところで、この縁談は止められないから。サンクランド貴族のみならず、周辺国からお客を呼んでいるのも、それを目撃させるため。
既定事実を作ってしまうことこそが、このパーティーの目的だったのだ。
そうして、再びランプロンが話し始めようとした……まさにその時だった。
「サンクランド王国とティアムーン帝国……、大陸を代表する二か国の絆が深まるのは、本当に素晴らしいことだわ。それは、きっとミーアさん、あなたのしようとしていることを助けることにもなるでしょう」
はて……? しようとしていること? と首を傾げそうになるミーアであったが、さすがにすぐに気付く。
ミーアがしようとしていること、つまり大飢饉の際の食糧維持である。
なるほど、ミーアはたしかに、入学式の挨拶で、食糧を融通しあうことを訴えかけていた。
それをなすために、サンクランドと誼を結んでおくことは、悪いことではないだろう。
――シオンの性格を考えれば、食糧支援にノーとは言わないでしょうけれど、それでもエメラルダさんの婚姻関係があれば、より関係性の強化に繋がるはず……。そう考えると、今回の縁談もそこまで悪いことではないかもしれませんわね。どうせ、大飢饉が起きてしまえば権力闘争などやっている余裕はないですし……。
などと考えるミーアである。が……、そんな甘い話があるだろうか?
ルードヴィッヒとラフィーナとアンヌ……、過激なるミーアファン三人の描き出した構図が、そんな程度で収まるはずが、あるだろうか? あり得るのだろうか……?
まぁ、言うまでもなく、そんなことはあり得ないのである。
「聞きましたよ、ミーアさん。ペルージャン農業国では、ずいぶんと活躍したって」
続くラフィーナの言葉。けれど、それに答えるのはミーアではなかった。
「おお、それはもしや、ティアムーン帝国が食糧の備蓄を増やしているという件ですかな?」
サンクランド貴族の一人が口をはさむ。すかさず、他の者が聞こえよがしに言った。
「それそれ。我らも気になっていたのです。ティアムーンが食糧を溜めこみ、侵略戦争を企んでいるのでは、と……心配する声がありましてな」
「あら、その件ならば、すでに陛下に……」
と、その時、ミーアは気付く。
音もなく自分に歩み寄ってきた者、自らの忠臣ルードヴィッヒのことに。
そうなのだ。今回のミーアはよく働く忠義の腕だけではない。きちんと思慮深い頭も持ってきているのだ!
…………ルードヴィッヒがミーアの頭だとすると、ミーア自身はなにをしているのか……などと小さな疑問が生じるわけだが、まぁ、それはさておき……。
――うむ、そうですわね……。わたくしよりも、ルードヴィッヒのほうが上手く説明してくれるでしょう。
なにも、ミーア自らが弁解する必要はないのだ。下手なことを口走らないように気を遣うのは疲れるし、自らの知恵袋がそばにいるのだから使わない手はない。
「そうですわね。その件に関してはいろいろと誤解があることは知っておりますわ。ちょうどここに、わたくしの信頼の厚い家臣、ルードヴィッヒがおります。その件に関しては彼に説明していただきましょう」
ルードヴィッヒならば誤解の余地のない完璧な説明をしてくれるだろう……と、そう期待してのことだったが……。ミーアのその期待に、ルードヴィッヒは完璧に応えた。
彼は……、誤解の余地のない答えを、その場で披露したのだ。
ミーアからの委託を受けたルードヴィッヒは一つ頷くと、
「ミーアさまが、ペルージャンに行かれた理由……それは」
クイッと眼鏡を押し上げて言った。
「飢饉の際に、国という垣根を超えた食糧の相互援助を実現すること」
ミーアは腕組みし、満足げに、うんうん、と頷く。
「そして、それを実現するための組織を、いくつかの商会の協力を得て作ること」
ミーアは、腕組みしたまま……うん? と首を傾げる。
「協力を依頼する商会はフォークロード、そして、大商人コーンローグ」
その名に、周囲の貴族がどよめいた。
「あの、強欲なコーンローグの協力を取り付けたと?」
それだけならば、むしろ批難の対象となることだったかもしれない。シャローク・コーンローグの手法は時に強引で、多くの者たちの恨みを買うようなやり方だったからだ。けれど、
「いや、コーンローグだけではない。フォークロードも協力するとなると……」
フォークロード商会は、規模こそコーンローグに及ばないものの、まず良心的で堅実な商会といえた。周辺国からの評価も悪くはない。
「しかも、あの二つの商会は、最近、仲違いしていたはずだが……」
コーンローグが敵対的な行動をとっていたはず……、と彼らは首をひねるばかり。されど、もしもその両者がミーアに協力するとなると、おのずと一つの結論に至らざるを得ない。
すなわち、ミーアがその対立を収め、なおかつ、自らの協力者として取り込んでしまったということ……。
帝国の叡智を噂でしか知らなかった者たちは、慄然とした驚きに支配される。そんな彼らを完膚なきまでに叩きのめすように、ルードヴィッヒは止まらない。
「ミーアさまは、この大陸から飢餓をなくされるために、そのような組織を立ち上げることをお考えになられたのです。そのために、ペルージャン農業国に行かれた」
「ペルージャン……、帝国の属国の?」
首を傾げる者たちに、ルードヴィッヒは頷いた。
「そう。そのような批判があるのは事実。されど、その解消は楽ではない。なぜならば、ペルージャンは軍を持たぬ国。邪な考えを持つ国に侵略を受ければ、簡単に屈してしまう。ゆえに、ティアムーンの軍事力が必要であった。されど……、ミーアさまはそれをよしとしなかった」
ルードヴィッヒは、いつになく雄弁で、饒舌だった。朗々と自らの主の功績を語る、それがなんだか楽しくて仕方なかった。
湧き上がる誇りを胸に、ルードヴィッヒは高らかに言った。
「だからこそミーアさまは、ペルージャンが行くべき姿をお示しになられたのです。武器を取って戦うのではなく、敬意をもって戦う方法……。ペルージャンに、その組織の本拠地を置くことにより……、身を守る術をペルージャンに与えたのです」
食糧不足は、どこの国にでも起こるもの。その際に、助けてくれる国に誰が敵意を抱けるだろう? そのような国に、邪なる者が攻め入った時、誰が助けずにいられるだろう?
「ミーアさまは、未だかつて誰も考えなかった飢餓と戦うための組織を、国を超えた組織を、ペルージャンに作ろうとされているのです」
ルードヴィッヒの声が止まったのに合わせるようにして、
「素晴らしいわ。ミーアさん……。あなたは私の誇るべきお友だち。いいえ、私にはもったいないぐらいだわ」
ラフィーナが声を上げた。
ミーアの功績に対して、ヴェールガの聖女ラフィーナが、太鼓判を押した形になったのだ。
それこそが、ルードヴィッヒの策。
端的に言ってしまえば、それは、サンクランドの『正義』に対する攻撃だった。
ペルージャンにおいて、ミーアが成したこと、これから、成そうとしていること……、出来上がる組織とは、なにか?
それは平和の組織。飢餓という人類共通の敵と戦う、『正義』の組織。
「国を超えた正義をミーアが成し遂げようとしている」と、ルードヴィッヒは言っている。
その正義は……「サンクランド国王の公正なる統治」に劣らない……否、むしろ勝る正義。
ランプロン伯をはじめとした、サンクランド貴族に対し、正義はサンクランドのほかにもあると提示し、その上で、ルードヴィッヒは問うたのだ。
この正義と対立するのか? と。飢餓と戦うという否定のしようもない正義を成そうとするミーアに、敵対するつもりか? と。
できるはずがない。
そして、それができない以上、グリーンムーン公爵令嬢と第二王子との婚姻は、むしろミーアに優位に働くのだ。サンクランドは正義の国。ゆえに、ミーアが成そうとする圧倒的な正義に、協力しないわけにはいかないから。
ルードヴィッヒはサンクランドが大切に抱えてきた価値観、正義をそのまま掠め取って見せたのだった。
「……はぇ?」
まぁそんなこと、当然、ミーアは承知していなかったわけだが……。