第九十九話 ミーア姫、考える、考える……
さて、戦装束に着替えたミーアは、両手で頬をパンっと叩いて、気持ちを切り替える。
幸い、今回は使える戦力は多い。
エメラルダ、シュトリナ、ティオーナを率いて、さらに、ルードヴィッヒをも配する万全の体制を敷いた。協力者としてはラフィーナもいる。
精神安定要因として、アンヌにもそばに控えておいてもらうし、もちろん、ベルも一緒である。なにしろ、シオンのファンなので。
――やるべきことは、決まっておりますわ。
気合を入れつつ、ミーアは情報を整理する。
――まず、問題は二つ。一つは、エメラルダさんとエシャール王子の縁談が、わたくしの反対勢力を強めることになること。もう一つは、シオンの暗殺……、いや、違いますわね。
ミーアは静かに首を振る。
――反対勢力のことはルードヴィッヒが、なにか、考えがあるようなことを言っておりましたし、今すべきことではありませんわ。わたくしがすべきことは、シオンを暗殺から救うことですわ。今夜の事件を防ぐこと、それをなんとかしないことには始まりませんわ。
ミーアは、そう結論付ける。
――それに、反対勢力の件は、エメラルダさんにも頑張ってもらえるでしょうし。そして、シオンにも命を救ってやったことを教えてやって、それで頑張らせればいいですわ。
だからこそ、ミーアがすべきことは、シオンの毒殺を防ぐことなのだ。
――皇女伝によれば、シオンは毒殺される。そしてリーナさんの情報によれば、混沌の蛇から、なんらかの毒物がエシャール王子の手に渡った可能性が高い……。
皇女伝の記述だけでは、年若い王子がどうやって毒を手に入れたのかはわからなかったが、こうして聞けば納得である。
――その解毒に関しても準備はできているらしいですけど……。
っと、横目でシュトリナのほうを窺うと、シュトリナは大きく一つ頷いて、
「お任せください。ミーアさま。例のものの手配はすでに済んでおります」
「はて……? 例のもの?」
「サンクランドへの途上で入手した干しキノコです」
「干しキノコ……」
「はい。騎馬王国の民の間では、長く狩猟に陰毒が用いられていました。だから、もしも、騎馬王国の仕業に見せかけるならば……リーナであればそれを使います。そして、その陰毒と拮抗し、効力を打ち消す解毒剤こそが、先日、入手した陽毒のキノコですけど……」
と、そこで、シュトリナは首を傾げた。
「もしかして、ご存知なかったですか?」
ぐむっと、ミーアは黙り込む。
ここで、知っていた! と言うことは簡単だ。そのほうが、おそらくはシュトリナの信頼を繋ぎとめておくことができるはず……。けれど、
「ええ、残念ながら。毒にはそこまで詳しくはないんですの」
ミーア、ここは正直に言っておくことを選択する。
下手に知ったかぶりをすると、ろくなことにならない。特に、毒などの場合には、本当にシャレにならない。
ということで……、
「あのキノコを買ったのは本当に偶然のこと。幸運でしたわね」
素直に本当のことを言っておく。加えて、
「前にも言いましたけれど、今回は、毒が使われる可能性が非常に高いと、わたくし、見ておりますの。だから、頼りにしておりますわよ? リーナさん」
「……わかりました。ミーアさま、ご期待にお応えできるよう、頑張ります。でも……、覚えておいてください。解毒はとても難しいこと。完璧にできるとは思わないでください」
「あくまでも毒を飲まさないのが一番、というわけですわね……。ふむ……」
「ところで、シオン殿下ご本人には、伝えないのですか?」
シュトリナの問いかけに、ミーアは難しい顔をする。
「考えなくもないのですけど……」
実のところ、キースウッドには、エシャール王子に怪しい動きがあり、と知らせが行っている。ディオンに行ってもらっているのだ。
シュトリナたちが持ち帰ってきたのは、あくまでも状況証拠。そんなものをもとにして、他国の第二王子を暗殺犯扱いしたら、国際問題になってしまう。
けれど、だからと言って黙っているわけにもいかない。幸い、キースウッドは敏い男だ。おそらく、国家間のことも斟酌して立ち回ってくれるだろう。
それはシオンも同じではあるのだけど……、ミーアは気が進まなかったのだ。
そして、ミーアはなんとなくだけど、その理由がわかり始めていた。
このドレスが、ミーアに答えを教えてくれていた。
――シオンは、実の弟に殺されるんですわね……。
ミーアが心に引っかかっているのは、そのことだった。
もしも……、シオンが、エシャールのことを知って、弟の犯した罪に対して、正当な裁きを求めたとしたら、どうなるのか?
――もちろん、今のシオンは好き好んでそんなことはしないでしょう。けれど、ここ、サンクランドにおいては、どうかしら?
なんだかんだで、シオンとは長い付き合いである。彼が王に連なる者として、どのような信条を持ち、なにを大切にしているのか、ミーアなりにふわっと理解しているつもりではある。
正義と公正を重んじるシオンではあるが、レムノ王国事件以降、少しだけ変わったように、ミーアは感じていた。
けれど……、それはあくまでサンクランドを離れた時のことである。
公正、公平な王の統治による正義を旨とするサンクランドである。当然、シオンを暗殺しようとしたエシャールの断罪を求める声は小さくはない。
――兄弟を殺せと言わざるを得ない状況というのは……、きっとシオンの傷になりますわ。
ミーアは、軽くストールを握った。ミーアには兄弟はいない。家族といえば、父である皇帝のみである。
そして、ミーアは別に「父親のことが大好きだ」などということはない。どちらかといえばウザい……。
けれど、妻が作ったドレスをミーアが着た時に、心から喜ぶところとかは、まぁ、嫌いではない。ウザいけど……。
先に断頭台送りになったと聞かされた時には、やはりショックだった。ウザいけど……。
それに……、ミーアには記憶はないけれど、母にだって、会えるものなら会ってみたいと思うし、そばにいてくれるなら、そうしてもらいたいと思っている。
家族とはそういうもので、かけがえのない、大切なもののはずで……、それはきっとシオンも変わらないんじゃないか、とミーアは思っている。
――シオンは完璧超人ですけれど、それでも家族を処刑しろと言わざるを得ないのは、やっぱり辛いんじゃないかしら?
母のドレスを着ているからだろうか。ミーアとしては、シオンとエシャールの仲がこじれるのが、今は少しだけ嫌だった。
ただの暗殺犯を排除するならば別に構わない。けれど、弟が暗殺犯の場合、そのことをシオンに知らせたほうが良いのか否か、ミーアにはわからなかった。
――ともあれ、だからこそ他の貴族たちに勘付かれないのは絶対条件ですわ。
そうすれば、少なくともシオンが、正義のゆえに弟を殺せと言わざるを得ない状況は回避することができるだろう。
――ではもし、ほかの貴族の目がなくって、それゆえにシオンがエシャール王子を許したとしたら? そのシオンの行動に対して、エシャール殿下は、どう思うかしら?
余計にこじれそうだなぁ……、などと思うミーアである。
キースウッドから聞いた情報を加味すれば……、きっとエシャールは、シオンから憐れみを受けたことで、一層の劣等感をこじらせるだろう。
そして、それは、ゆくゆくは蛇に突かれる要素になりそうで……。
「ただ、暗殺者を送り込んでくるよりたちが悪いですわ」
蛇が厄介なところは、正常な秩序を担っていた者を、自分たちの手先にしてくるところだ。
ただの暗殺者ならば排除したとしても心は痛まないが、暗殺者となった弟を排除すれば、きっと傷になる。
だからこそ、ミーアは慎重にならざるを得なかった。
「多分ですけれど……、今回の件を解決するためには、シオンの命を救うだけではダメな気がしますわ」
次の危機も皇女伝が教えてくれるとも限らない。であれば、問題はできるだけここで解決しておくべきだろう。
「リーナさんには、シオンのそばにいてもらうとして。あとは、エシャール殿下のそばにはエメラルダさん。ティオーナさんにもシオンのそばにいてもらおうかしら……」
パーティーの時の配置を考えるミーアは知らなかった。
……否、忘れていた。
一つの厄介ごとが襲ってくる時、ほかの厄介ごともまた、同時にやってくるのだということを。
それはさながら、喜び勇んで走り寄ってくる、ギロチンのごとくに……。