第九十七話 公正・公平な正義の王さま
断罪王シオン・ソール・サンクランドは敵が多い人物だった。
数多の対立者たちは時に表立って、あるいは陰口として、口汚くシオンを罵り攻撃した。
そんな者たちであっても、ただ一つ否定できないことがあった。
それはシオンが極めて公正で、私情を一切挟まない裁きを行ったということだ。
彼らは、口々にこう言った。
「断罪王シオン陛下が公正であることは疑いようがない。なにしろ、彼は罪ありと見れば血の繋がった弟も処刑したし、兄弟同然に育ち、腹心と頼りにしてきた従者をも処刑して見せたのだから。まぁ、それがいいことだとは決して言わんがね」
と。
その日、王の執務室に一人の老貴族が訪れた。
来訪を告げる声に、シオンは静かに視線を上げる。と、そこに立っていたのは、昔なじみの顔だった。
「ランプロン伯か。久しいな」
シオンの静かな声に、ランプロン伯は、緊張にこわばった笑みを返した。
「お久しぶりでございます、陛下」
かつては、サンクランド保守派貴族の筆頭にして、エシャールの教育係をも務めたランプロン伯であるが、しばらく前に第一線を退いている。
その身に帯びた覇気に満ちた風格も鳴りを潜め、今は好々爺然とした穏やかな雰囲気があるのみ。そんな、半ば引退した貴族の訪問に、シオンは小さく首を傾げる。
「して、此度は、いかがした? 旧交を温めたいのはやまやまなのだが、例の反乱事件の後始末が残っていてな。あまりゆっくりともしていられないのだが……」
ちょうど十日ほど前、サンクランドの一部で反乱騒ぎがあった。
シオンの苛烈な執政に反感を持つ貴族たちが、第二王子エシャールを旗印として、大規模な反乱を企図したのだ。
されど相手が悪かった。彼らが弓を引こうとしたのは、天才シオン・ソール・サンクランドだったのだ。
反乱の兆候を掴んだシオンは、即座に直属の軍を率いて、首謀者たちを一網打尽にしてしまったのだ。
現在、下手人は全員地下牢に閉じ込められている。そして、そこにはシオンの弟、エシャールの姿もあった。
「まさに、その件でお話がございます。陛下」
恭しく頭を下げてから、ランプロンはまっすぐにシオンの目を見つめる。
「エシャール殿下の処刑、どうかお考え直しくださいますように……。エシャール殿下も、きっとあの首謀者たちに翻意するように努められたはずです」
「どうかな……。以前から、エシャールには私に対する劣等感のようなものが見て取れた。反乱の首謀者たちに唆されて、私を倒す好機と考えたとしても不思議ではない」
「ですが……」
「いずれにせよ、国に無用な混乱を招き、民が血を流した。その報いは受けさせねばならぬ」
「血の繋がった弟君ですぞ? それを……」
「たとえ弟であっても……いや、弟だからこそ処分を軽くするわけにはいかない」
断罪王は、その諫言を切って捨てる。
「ランプロン伯、貴公もそれがわからないのか? サンクランド王の公正なる統治を主張し続けた貴公であっても、わからぬのか? 私は王なのだ」
絶大な権力を持つ者として、裁きに私情を交えるわけにはいかない。誰であれ、処刑に値する罪を犯した者にはその命をもって贖わせなければならない。
それこそが公正というものだ。
「さようでございますか……。仕方ありますまいな」
そうして、ランプロン伯はその場を後にした。
事件はその夜に起きた。
牢に捕らえられていたエシャールを数人の者たちが救出しようとしたのだ。
首謀者がランプロン伯であったことに、シオンは特別な感慨を抱くことはなかった。彼は幼少期のエシャールの養育係だ。その後もエシャールとは親しくしていたようであるし、情が沸くこともあるだろう。
情状酌量の余地があるだろうか……、と考えていたシオンであったが、続く報せには、さすがに驚きを隠せなかった。
犯人の中に、自らの頼りとする腹心、キースウッドの姿があったのだ。
夜が明けて翌日、シオンは収監されているキースウッドのもとを訪れた。
地下牢の中、土に汚れた友の姿を見た時、シオンは微かに顔をしかめた。唇を噛み締めたその顔は、ほんの一瞬、泣くのをこらえる時のような、そんな表情に見えたが……。次の瞬間には、すでに、厳格なものへと変わっていた。
「キースウッド、愚かなことをしたな」
かける言葉は穏やかで、けれど、どこまでも冷たい。
「ええ。そう……でしょうね。俺は、あなたを止められなかった」
疲れた笑みを浮かべたキースウッドは、口惜しさを誤魔化すように、おどけて肩をすくめた。
「残念だ……。お前には、いつまでも私の右腕として支えてもらいたいと思っていた。なぜ、このようなことをしたのだ……?」
「おわかりになりませんか? それが……」
「わからんな。王の正しさは、この国のよって立つところだろう。エシャールは処刑されなければならない。そうしなければ、正義が保てない」
彼は正しくなければならなかった。公正なる正義の存在として。
「そうでなければ……」
彼の脳裏に、しみついて離れない光景があった。
それは、赤く染められた世界。
夕日に照らされた赤い断頭台。
人々の怨嗟の声。それをただ一身に受け、首を落とされた皇女の姿。
彼女の首を落としたのは他ならぬ自分だ。
彼女は死ななければならなかった。彼女を処刑することは正しかった。
その正しさが揺らがぬために、シオン自身は正しくあり続けなければならなかった。
シオンは小さく首を振った。
「シオン陛下、どうか、私の処刑に免じて、エシャール殿下のお命だけは……」
そう訴えるキースウッドに、シオンは眉をひそめた。
「なぜだ? お前は別に、エシャールとそこまでの繋がりがあったわけではあるまいに」
「エシャール殿下を、実の弟を殺してしまったら、あなたは本当に……」
「キースウッド、私は「王」だ。このサンクランドを正しく治めなければならないんだ。だから、エシャールを処刑しないわけにはいかない。それに……」
わずかな沈黙、その後、シオンは言った。
「さらばだ。キースウッド。今まで私を支えてくれたこと、感謝する」
こうして、シオンは「理想の王」となった。
あらゆる感情を消し去り、ただ正しく、公正な判断のみを下し続ける、そのようなモノになった。人間性を喪失したかのような、その姿は人々から畏怖され、恐れられた。
彼は、生涯孤独だった。
人間には寄り添う者が必要だが王には必要ない。正義の王は、そのような者を持つことが許されない……そう、言わんばかりに。
それは、悲劇の種の発芽。その一つの形。
サンクランド王室の中に、その種が残り続ける限り、悲劇的な実りは形を変え、いずれは発芽するだろう。
そんな種を取り除くことができるのは……、我らがポンコツ姫一行のみ!
今、ミーアとその仲間たちが、サンクランド王家が内包する悲劇の種に挑む!
「……ふむ、なんだか、このドレス……、ちょっとだけお腹のところがきつくないかしら? 採寸を間違えたのではなくって……?」
…………大丈夫だろうか?
「変ですわね。これ、つい先日、仕立て直したばかりですのに……ははぁん、わかりましたわ。この気候で、ちょっとだけ縮んだんですわね? そういうことあるみたいですし……」
………………本当に、大丈夫だろうか?