第九十四話 報告会
「ふぅ、食べましたわ……。あまりお腹一杯食べてしまっては体に悪いですし、ほどほどにしなければなりませんわね……。ふむ、サンクランドから帰ったら、気を付けるようにしましょう」
要するに「サンクランドにいる間はお腹一杯食べることにしましょう」という類いのことをつぶやくミーア。
「ううむ……。お腹が一杯になったら、眠たくなってきてしまいましたわね……」
シパシパし始めた目をこすりこすり、それから、ふわわっと大きなあくびを噛み殺しながら、ミーアは城を出る。城門のところで待っていたアンヌに手を挙げて見せた。
「ああ、お待たせいたしましたわね。アンヌ……あら?」
っと、そこで、ミーアは首を傾げた。アンヌのそばに、意外な人物が立っていたのだ。
「……あら? ルードヴィッヒとベルまで、どうなさいましたの?」
アンヌの隣で待つ二人の姿を不思議そうに見つめるミーアだったが……。
「ええ……。そのことは後ほど。それより、急ぎランプロン伯邸に戻りましょう」
「それもそうですわね」
もう、ベッドに入ればすぐにでも眠れてしまう、ねむねむミーアなのだが……、さすがにそういうわけにもいかない。
ダンスパーティーの日は迫っている。今のうちに、得られた情報をまとめておかなければ……。
そうして自分を励ましつつ、ランプロン伯邸についたミーアは、早速エメラルダの部屋を訪れた。
「まぁ! ミーアさま、わざわざ訪ねてきてくださるなんて。今、お紅茶を入れていただきますわ」
ミーアは、淹れてもらった紅茶にミルクとたっぷりのお砂糖を入れて、一口。ほふぅっと、満足げな息を吐いてから、
「それで、エシャール王子はどんな印象でしたの? エメラルダさん」
「そうですわね……」
エメラルダは、うーむ、と腕組みしてから、
「今はまだまだ、といったところですけれど、見込みはありますわ。お顔は素晴らしいですわ。幼さが残ってる目元も、綺麗な鼻筋も、今はまだ可愛らしいという印象ですけれど、きっと将来はシオン王子やお父君のように凛々しくなるでしょう。それに、お話しした感じ、性格も悪くはございませんわ。少し内気な印象もありますけれど、それは、今後の成長次第で、なんとでもなりますわ」
イケメンソムリエ、エメラルダは、そうして評価を下す。
「実に鍛えがいがありそうですわ!」
……どうやら、エメラルダのお眼鏡にはかなったらしい。
「ただ、少し気がかりなのは優秀なお兄さまの存在かしら……。シオン王子のお話をする時には、少しだけ、翳が見えましたわね。それが、もしかするとあの方のお心を傷つける要因になっているのではないかと……」
などと、エメラルダの分析は続いていく。
ミーアは、それを聞き、思わず舌を巻く。
彼女の言っていることが、キースウッドから聞いた情報と合致したからだ。
――さすがはエメラルダさん。大した観察眼ですわ。ただ一度の会食で、相手のことをきっちりと見抜くだなんて……。やりますわね……。
ともあれ、どうやらエメラルダは、エシャールのことが気に入ったらしい。
――エメラルダさんが気に入ったというのならば、此度の縁談、そう簡単に破談にするわけにもいきませんわね。
もしも、縁談を進める場合には、ミーアの対抗勢力である反女帝派を利してしまうことになるかもしれないが……。
「あの方の、お心の傷を癒してあげられればよろしいのですけど……」
エメラルダがなにか言っているが、構わずミーアは考察を進めていく。
――しかし、まぁ、グリーンムーン家では絶対的な暴君としてふるまっているエメラルダさんですし……。わたくしの対立候補、次期皇帝として名乗りを上げるのも、エメラルダさんに頭が上がらない弟たちということになりますわ。
そこまで考えて、ミーアは小さく頷く。
なんとかならないこともなさそうだぞ、と……。
「……まぁ、そこのところは、エメラルダさんに任せるしかありませんわね」
「はぇ……?」
なぜだか、ぽかーんと口を開けているエメラルダの肩を、ミーアはガッシと掴む。
「なにを間の抜けたお顔をしておりますの、エメラルダさん。あなたならばできますわ」
っていうか、今まで、さんざんわがままを通してきただろうに……、という思いを込めてミーアは言った。エメラルダがグリーンムーン家を牛耳ってさえいれば、当面は問題ないのだ。
そんなミーアの力強い声を受けて、エメラルダは……、
「ミーアさま……そんなに私のことを信用して……ええ、お任せくださいませ!」
大きく頷くのだった。
そうして、エメラルダの部屋を出てから、ミーアは腕組みする。
――まぁ、政治的なことはなんとかなりそうなのですけど……、問題はシオンの暗殺の件ですわね。エシャール王子の中にある劣等感をなんとかしてあげないと、いつまでもシオンを狙い続けることになるでしょうし……。
うなりつつ、自らの客室へと向かう。
――しかし、これは難しいですわよ? 本当であれば、婚儀を結ぶエメラルダさんのお役目なのでしょうけれど、ああ見えて、エメラルダさん、殿方との付き合いなんか全然経験ないでしょうし……。
と、そこまで考えてから、ミーアは重大なことに気付いてしまう。
「あら? もしかして、男性経験ではわたくしのほうが勝っているなんてこともあるんじゃないかしら? なにせ、わたくし、何人かの殿方と遠乗りに行ったことがありますし、アベルとは何度もダンスをした仲。あのシオンとだってダンスをしたこともございますし……。ふむ、やはり、エシャール王子の心の問題をなんとかできるのは、男性経験が豊富な、このわたくししかないのでは……?」
などと、ぶつぶつつぶやきつつ、ミーアは部屋に戻ってきた。
部屋には、アンヌとベル、さらに、ルードヴィッヒが待っていた。
「ああ、すっかり待たせてしまいましたわね。しかし、いったい三人でどうしましたの?」
不思議そうに首を傾げるミーアに、ベルがキラキラした目を向けてきた。
「実は、ラフィーナさまにお会いしてきました」
「あら、ラフィーナさまに?」
「ええ。協力をお願いして参りました。彼らの狙いを逆用してやりましょう」
ルードヴィッヒがベルの後を引き継ぐ。
――はて……、彼らの狙い? 逆用?
ミーアは、くいーっと傾いていく頭を両手でがっしと掴んで、元の位置に戻す。
――あ、危なかったですわ……。なんのことかしら? なぁんて、首を傾げてしまうところでしたわ! 眠たくって、どうも、頭の働きが悪くなってるみたいですわね。
「ミーアさまは、ラフィーナさまの負担になりたくない、と思われたのかもしれませんが、我々の独断でさせていただきました」
「申し訳ありません。ミーアさま。私が、ラフィーナさまのもとにご案内いたしました。もしかしたら、ミーアさまのお心に背くことになってしまったかもしれないのですが……」
微妙に顔を曇らせているアンヌに、ミーアは笑みを浮かべた。
「いえ、気にする必要はありませんわ」
などと思いつつ、はて? とミーアは首を傾げる。
――負担とはなんのことかしら……? それに、ラフィーナさまに協力を求めるというのはいったい……?
ルードヴィッヒのほうに視線を向けると、なぜか、力強く頷かれてしまった。
まるで、この件はこれで大丈夫、と確信しているかのようだった。
――ふぅむ……なにやら、ルードヴィッヒには考えがありそうですわね。まぁ、この際ですし、協力者は一人でも多くほしいところでもある。となれば、ラフィーナさまにもなにかと協力いただいたほうが有利ではありますわね。
そこまで考えたところで、ミーアは思い出す。
――でも、ラフィーナさま、面倒ごとがあると言っておりましたわね……。ということは、わたくしも、そちらに手を貸さなければいけないかしら……。
この手のことはギブ&テイクが基本。ということは、ミーアもまた、ラフィーナの仕事を手伝う必要があるかもしれない。
――ラフィーナさまは、なんて言っていらしたかしら……。ええと、たしか、騎馬王国のことで、なんとか……、と。
その時だった。
ふいに、ベルが眉をひそめた。
「ところで、ミーアお姉さま、リーナちゃんが出かけたまま、まだ帰ってこないんですけど……、なにかご存知ですか?」
明日は舞台の初日です!