第九十三話 もう一人のお姉ちゃん
さて、ミーアがキースウッドから大変有力な情報を仕入れているころのこと。
会食の会場は、和やかな空気に包まれていた。
「……そういえば、彼女はキースウッドと面識があるのだったか……。だとすると……」
などと、小さくつぶやく国王。それをなんとはなしに眺めていたのは、ティオーナ・ルドルフォンだった。
当初、王族の会食に招かれたということで、無礼がないようにと緊張していた彼女であったが、そこはそれ。
もともと中央貴族に見下されないために、宮廷マナーや学問、剣術に至るまで鍛練を重ねてきたティオーナである。
幼き日より身に着けた所作は、自然と彼女に、この場に相応しい気品を増し加えていた。
そうして、緊張が解けた彼女は……、実のところ、この場では極めて異質な存在と言えた。
直接、縁談に関係のあるエメラルダや、大きな影響を受けるミーアとは違い、ティオーナは別に関係者ではない。
ゆえに、彼女は独自の視点で、その会食の風景を見つめていた。
国王とミーアの対話、それを聞きつつも、彼女の視線はシオンのほうに向いていた。
――シオン王子は、エシャール殿下のことを大切に思ってるのね……。
その胸に抱く感情は……共感だった。
そう、この場にいるお姉ちゃんは、なにもエメラルダだけではない。ティオーナとてお姉ちゃん、弟を持つ身なのだ。しかも、彼女の弟、セロは、かつて自分に自信が持てない、ちょっぴり内気な少年だった。エシャールと、とてもよく似ていた。
ゆえに、彼女はシオンに共感できた。
エメラルダの質問攻めにあっている弟を、さりげなくフォローするシオン。あくまでもさりげなく、繊細な弟の誇りを傷つけないように……、助けすぎず、放っておくこともせず、と、気遣いに苦慮するシオンを見て、思わず微笑ましくなってしまう。
――男の子って難しいからなぁ……。
などと思うのと同時に、いつもは完璧で非の打ちどころのない立ち回りをするシオンが苦労している姿を、失礼ながら可愛く感じてしまったりもする。
それよりなにより、先ほど、国王とミーアが対話している時のこと。それに聞き入るエシャールを横目に少しだけ嬉しそうにしているシオンに、ティオーナは強い共感を覚えた。
――きっと、ミーアさまから、なにか良い影響を受けてほしいって、思ってるんだろうな。
自分の父とミーアとの間で、有意義な話し合いが行われることは、シオンも予想していたのだろう。ゆえに、シオンは、その様子を弟に見せて、そこからいろいろなことを学び取ってもらいたいと思ったのではないか。
――セロもそうだったものね……。
あの日、ミーアと出会ったセロは変わった。
どこか自信なさげな顔をしていた弟は、いつの間にか、隣国の姫とともにミーアのために働く者になっていた。
姉として、ずっと弟を励まし続けてきたティオーナとしては、嬉しい反面、悔しさもあった。自分ができなかったことを、ほんの一瞬、顔を合わせただけでやってしまったミーアに、軽い嫉妬のようなものすら覚えてしまったのだが……。
――でも、失恋したセロを慰めるのは、やっぱり私の役目なんだろうな……。
おそらく、セロはミーアに恋をしている。そのことはティオーナもわかっていた。そして、その恋が実らないであろうことも……。
だから、どうやって慰めようか、今から考えているティオーナなのだが……。
まぁ、それはさておき、弟のことでいろいろ葛藤を抱える気持ちは、ティオーナにはよくわかるのだ。
シオンはきっと、自分自身と同じように、あるいはミーアが接したすべての人々と同じように、弟もまた、良い方向に成長してくれないか、と期待しているのだろう。
――思えば、みんなそうだものね。すごいな、ミーアさま。
みんながミーアと出会い、触れ合い変えられていく。それも良い方向に。
そして、それは、ティオーナ自身にも当てはまることだった。
昼間のラフィーナとの会食を思い出す。生徒会選挙の際、ティオーナは監禁事件の犯人の関係者たちを許した。許すことができた……。
それは、かつての彼女にはできなかったこと、ただ、中央貴族の者たちを見返すことだけを考えていた時の自分には、できないことだった。
――ミーアさまに出会って、みんなが変わっていくんだな……。
まるで、ミーアの周りから、どんどん世界が明るく、温かくなっていくようだった。
そこで、彼女は想像してしまう。もしも、ミーアと出会うことがなかったら、どうなっていただろう、と……。
中央貴族を見返すため……、必死になった日々。その先にあるのは、どんな未来だっただろう?
中央貴族の子弟たちを決して許さず、憤りと怒りを憎しみに変えた先には、いったい、どんな明日が待っていただろう?
瞬きの刹那、まぶたの裏に映る光景があった。
赤く染まった広場、虚しさを抱えた勝利、喪失と、くたびれた諦め……。
現実にはあり得ない光景は、おそらくは悪夢の中に見たもの。されど、それは、ただ夢と切り捨てるには、あまりにも現実感のある光景で……。
と、その時だった。
会場の扉が開き、いそいそとミーアが帰ってきた。
その顔には、席を離れるまでは見られなかった、軽やかな笑みが見て取れた。
――ミーアさま、すごくご機嫌みたい……。さっきまでものすごく難しい顔をしてたのに……。もしかして、もう、エメラルダさまの件、なんとかする算段がついたのかな?
おそらく、そうなのだろう、とティオーナは思う。
――すごいな、ミーアさま。もしかして、このままシオン王子の悩みでも簡単に解決してしまうんじゃないかな……。
会食が始まって以来、ずっと気になっていたシオンとエシャールの距離感。そこに付け入るようにして、政治的なアプローチをかけてくる貴族たち……。
ティオーナにとって、とても難しく感じられるそれらの問題だって、きっとミーアは簡単に解決してしまうのだろう。
――それで……いいのかな……?
頭をよぎるは、小さな疑問。すべてミーアにより、良い方向に変えられていくのだから、自分はなにもせずとも良い……と、そこに後悔はないのだろうか……?
『今ならば声が届くのに? 手を伸ばせば届くところにいるのに?』
知っているのに、知らない、誰かの声が遠くに聞こえる。
ティオーナは、なんとも言えないもやもや感を胸に宿したまま、デザートに手を付けた。
かくて、キースウッドの言葉通り、豪勢なデザートをもって、その日の会食は終わる。
「こっ……これは……まさかっ!?」
などと……、デザートを見たミーアは言葉を失うほどの感動を覚えるのだが……。
まぁ、それは、どうでもいいお話なのである。