第九十二話 ミーアベル、洗脳される 後編
ラフィーナの泊まっている場所はわからなかった。
しかし、知っていそうな人間はアンヌが把握していた。例の昼食会で使った宿屋の主人である。
「おや、あなたは、ミーアさまの……?」
訪ねてきたアンヌを見て、店主は戸惑いを見せた。それから、ルードヴィッヒのほうに視線を向けて、少しばかり警戒した顔をする。
「はじめまして、私はミーアさまの家臣、ルードヴィッヒ・ヒューイットと申します。ラフィーナさまに急ぎの用があり、参上いたしました。お取次ぎいただけないでしょうか?」
アンヌから聞いていた情報では、目の前の男はヴェールガの間諜とのこと。見ず知らずのルードヴィッヒを素直に取り次いでくれるかは、微妙なところであったのだが……。
「そうですか。では、ご案内いたします」
店主はあっさりとした口調で言った。
「よろしいのですか?」
意外そうな顔をするルードヴィッヒに、店主は笑みを浮かべる。
「ミーア姫殿下の従者に無礼を働いたとあっては、私がラフィーナさまに叱られてしまいますので」
そうして、案内されたのは、なんと、宿の二階だった。
――王都のどこかの教会に泊まっているかと思ったが、手間が省けたな。
などと思いつつ、店主の後に続く。
店主は二階の一番奥の部屋のドアをノックした。すると、ほどなくして扉が開き、
「あら……? これは珍しい顔合わせね」
柔らかな笑みを浮かべたラフィーナが現れた。それから、きょろきょろと辺りを見回して、
「ミーアさんはいないのね」
ちょっぴり残念そうに言うラフィーナ。ルードヴィッヒは苦笑しつつ、
「今夜は、サンクランド国王との晩餐会に行かれています」
「そう……。それは残念ね。どうぞ」
そうして招き入れられた部屋は、とても質素な造りの部屋だった。あるのは、ベッドと簡素な椅子のみ。清貧といえば聞こえはいいが、とても高位の身分の者が使う部屋には見えない。
「ごめんなさいね。少し狭いのだけど、三人ならなんとか入れるかしら?」
アンヌとベルはベッドに座らせ、自身は椅子に。ルードヴィッヒは店主から予備の椅子をもらうことで対応する。
部屋の中をきょろきょろ見ているベルに、ラフィーナは苦笑いを浮かべた。
「ヴェールガの聖女が過ごすには、少し質素に過ぎるかしら?」
「え? あ、いえ……そんなこと、ありません」
慌てて首を振るベルであったが、考えていたことはまるわかりだった。すかさず、ルードヴィッヒがフォローを入れる。
「聖女に相応しい清貧な部屋ですね。ただ、教会にお泊りかと思っていたので、少し意外でしたが……」
「そうね。それでもいいのだけど……」
っと、ラフィーナは少しばかり顔を曇らせる。
「サンクランドは、ヴェールガに負けずに信仰に篤い国。それゆえに、毎回、肖像画の依頼を受けるのよ」
「肖像画、ですか……」
「よく売れるらしくてね……。その売り上げも貧しい人々の施しに使われるのだから、別に構わないのだけど……でも……でもね? 少し想像してもらいたいのだけど……、背中に大きな翼が生えた肖像画とか、物々しい怪物を踏みつける戦士のような肖像画のモデルになるのって、なかなかに心を削られるものなのよ?」
そうして、ラフィーナは遠いどこかを見つめた。その顔には、ヴェールガの聖女に相応しくない、やさぐれた様子が見て取れた。
「ああ。だめね。ミーアさんの関係の方だから、ついつい愚痴を言ってしまったわ」
そんな雰囲気をかき消すように、清らかな笑みを浮かべ、ラフィーナは言った。
「それで、なんのご用かしら? こんな時間にわざわざ訪ねてくるということは、相応の理由があるのでしょう?」
「ええ……。実は、ラフィーナさまにご相談したきことがあります」
「相談……。さて、なにかしら?」
不思議そうに首を傾げるラフィーナを見つめて、ルードヴィッヒは言った。
「今現在、ミーアさまを取り巻く状況のことを、どれぐらいお聞きでしょうか?」
「そうね……。エメラルダさんとエシャール王子の縁談の件で来たと言っていたわ」
ラフィーナは昼に聞いたミーアの話を、一つずつ整理しながら話していく。それから、ふと、なにかを思いついたような顔をした。
「そういえば、ミーアさん……あの時、ランプロン伯や、サンクランド貴族の考え方について聞いたわ、それに、私はどう思うのかとも……」
それを聞いて、ルードヴィッヒはうなる。
「ああ……やはり、ラフィーナさまに協力を得ることを考えておられたのか……」
なぜ、そのようなことを聞いたのか? ラフィーナが、古いサンクランド貴族の考え方に同意するかどうかを知りたがったのか……?
それはミーアが、ラフィーナに協力を求めることを検討していたからだ。
もしも、ラフィーナの考え方がサンクランドの保守派と近しいものであるならば、協力を求められないから。
「お友だちのミーアさんが相手なら喜んで協力するのに……。いえ、それゆえ、なのね……」
切なげにため息を吐くラフィーナを見て、ルードヴィッヒも頷いた。
そう、そういうことなのだ。友情を盾にして味方をしてもらうことはできるだろう。けれど、ミーアはそれを潔しとはしない。だから、はじめに無理なく協力を仰げるかどうか、探りを入れたのだ。
ミーアは、そういう心遣いができる人物であると、ルードヴィッヒは考えているのだ……、ルードヴィッヒの中では、そういうことになっているのだ。
「でも、私はランプロン伯とは必ずしも同じ考えではない、と、そう伝えたのだけど……、ああ、そうか……」
ラフィーナは、嘆くように言った。
「もしかして、私が、騎馬王国のことを話してしまったから……? ミーアさんに協力を求めるぐらい、大変な状況にあるだなんて言ってしまったから……だから、ミーアさんは私に負担をかけないために言い出さなかったというの?」
その推測を裏付けるかのように、深々と頷く者がいた。
「たぶん、そういうことだと思います」
ミーアの忠臣アンヌである。確信に満ち満ちた口調で、アンヌは続ける。
「ミーアさまは、とても優しい方ですから。ラフィーナさまがお忙しそうにされているのであれば、助けを求めることはしないと思います。むしろ、できることなら、ラフィーナさまのお手伝いをしたいって……、そう思っておられたんじゃないでしょうか」
……んなこたぁない……のだが、それにツッコミを入れる人物は、その場にはいなかった。ツッコミ不在の中、彼らはひとしきりミーア礼賛トークで盛り上がる。
「ねぇ、ルードヴィッヒさん。教えてくれないかしら? 私はなにをすればいい? ミーアさんは私になにをしてもらいたいと思っていたの?」
「ああ、そうですね……。おそらくですが……」
そうして、ルードヴィッヒの口によって語られるミーアの深い深い考え……。感銘を受けるラフィーナ。アンヌも目をキラキラさせている!
そして、それを汚れなき眼で見つめている少女が一人……。
「ミーアお祖母さま……すごい!」
こうして、ベルの洗脳は、ますます進んでいくのだった。