第四十五話 授業開始!
新入生歓迎ダンスパーティーから二日後のこと。
もろもろのオリエンテーションが終わり、いよいよ本格的な授業が始まった。
新生活、はじめて体験する授業に、ちょっぴり不安げなクラスメイトたちを横目に、ミーアは余裕の笑みを浮かべていた。
それも当然のこと、なにしろミーアとしてはすでに一度、経験したことである。
しかも、勉強内容についても、遥か昔に学んだところ。
自分はすでにその応用まで学んでいる。
――ふふん、余裕ですわ!
などと、調子に乗った挙句、
「わからないところがあったら、わたくしが教えて差し上げますわ!」
などと、一部の生徒に吹聴してしまったりもした。
よせばいいのに……。
授業が始まって、数分。
「あ、あら?」
ミーアは気づいた。
――おかしいですわ。ぜんぜん、記憶にございませんわ。
ミーアは、完全に忘れていた。自分が、あまり優秀な生徒でなかったことを。
「都合の悪いことはすっきり忘れる」という政治家固有のスキルを、ミーアは生まれながらにして身につけていたのだ!
一応、国にいた時、ギロチンを避けるのに必要そうなことは勉強した。けれど、それには偏りがあるわけで。
人様に教えようなんて、おこがましいレベルの知識しか、持ち合わせていなかったのだ。
特にミーアを苦しめたのは、最新の算術だった。消極的文系人間(理系が苦手だから文系選びましたって言う……)のミーアは、計算しようとすると、頭がクラクラしてしまうのだ。
――まっ、まま、まずいですわ!
ミーアは焦った。
大口をたたいてしまった以上、答えられないなんて、あんまりにも恥ずかしすぎる!
一日のスケジュールを終えたミーアは、誰にも話しかけられない内に、さっさと自室に戻った。
「アンヌ! アンヌぅ!」
「ミーアさま、どうしたんですか?」
部屋に駆けこんできたミーアを見て、アンヌはびっくりした顔をした。
「アンヌ、明日から算術の授業にいっしょに出なさい」
「え?」
セントノエル学園では、授業に従者を随伴させることができるようになっている。隣で勉強を手伝わせるため、勉学に長けた従者を連れてくる者も少なくはないのだ。
けれど、アンヌにはその心得はない。だから、アンヌは返事を躊躇っていた。
それを見たミーアは、少しだけ考えて……、
「ああ、授業に出る以上、一日の労働量はきちんと調整してくれて構いませんわ。お部屋の掃除は二日に一度で構いませんし、わたくしもお手伝いいたしますわ」
「そんなっ! そんなこと、できません。やるなら、きちんと一日の仕事もこなします!」
「いえ、それでは授業の復習とかできません」
「えっ?」
「あっ……」
こぼれ落ちてしまった失言。ミーアにだってプライドはあるのだ。
自分を信用し信頼し、尊敬すらしてくれているアンヌに、まさか、「苦手な勉強を自分の代わりに勉強して、後で教えて!」とは言えない。
「さ、算術はアンヌの役にも立つはずですわ」
苦し紛れに、ミーアは言った。
ちなみに、算術は確かに役に立つ。商売をするには必須の技術であるし、セントノエル学園で学ぶことのできるのは、最新の知識だ。真面目に学べば、いろいろなところで重宝されるだろう。
「み、ミーアさま……、私のために……」
感極まった様子で、アンヌは言った。
「お心遣い、本当にありがとうございます、ミーアさま。ご恩に報いることができますよう、頑張ります」
「え、ええ……」
アンヌの素直な反応に、ミーアはチクチクと罪悪感を刺激された。
「べ、別に、気にする必要はありませんわ。わたくしも、わからなくなりそうだから、あなたにも手伝ってもらいたいだけですわ」
本音の部分を付け足して、なんとか心のバランスを取ろうとする。いつも通りの小心者である。
「ミーアさま……」
アンヌには、その言葉が、自分に気を使わせないようにあわてて付け足した言い訳のように見えた。
平民が、無料どころか給金をもらってセントノエルで知識を身につけることができる、それは、普通は考えられないほどの恩情なのだ。
アンヌは、この先、ミーアがどこに行くのにも、お供しようと思っていた。どこかの外国に嫁ぐのであっても、ついて行って、最後までお世話をしようと思っている。
けれど、それはあくまでもアンヌの側の話であって、もしかしたら、いつか、ミーアの専属メイドを辞める日が来るかもしれない。
ミーアは、恐らく、そんな日が来た時のために、知識を身につけろと言っているのだろう。
――それとも……。
もしかしたら、ミーアは、本気で自分を腹心だと思ってくれているのかもしれない。そして、腹心として必要な知識を身に着けさせようと思っているのかもしれない。
より高い能力を求められるということ、それは信頼の裏返しだ。
それは、あまりにも都合がいい想像だと、アンヌは自覚してはいたけれど……。
「ミーアさま、私、頑張ります」
彼女のモチベーションは否応なく上がっていくのだった。




