第九十話 キースウッドのとっておきの情報
「これは、私の予想でしかないのですが……、ミーア姫殿下は、この度の縁談のことをシオン殿下がどう考えているのか、それが気になっておられるのではありませんか?」
「あら、よくわかりましたわね……」
キースウッドのその言葉に、ミーアは手応えを感じる。
彼はシオンの重臣。本心を打ち明けられる数少ない人物のはずだ。これは、貴重な情報が聞けるかもしれない……などと思いつつ……。
――シオンは友だちとか少なそうですしね。むしろ、キースウッドさんぐらいしか、素直に話ができる人がいないんじゃないかしら……。
ちょっぴり心配にもなってしまう、大変失礼なミーアである。
それはさておき……、
「シオンは、気付いているのですわよね? この縁談の政治的意図に」
ミーアの問いかけに、キースウッドは静かに頷いた。
「はい。エシャール殿下とグリーンムーン公爵家のつながりを持って、シオン殿下とミーア姫殿下の連帯に対抗する。そのような、ランプロン伯らの思惑は、承知しております」
「ふむ……、では、シオンはこの縁談をどう考えておりますの?」
「直接、お聞きしたわけではありませんが、積極的に賛成ではないとは思います」
「まぁ、そうですわよね。シオンにとっても対抗勢力の強化なのですから……」
「ええ。しかし……、だからと言って反対を表明されることはないのではないかと思います」
「あら、それはなぜですの?」
首を傾げるミーアに、キースウッドは、気難しげな顔をする。
「複雑なのです。兄弟というものは……。ご存知と思いますが、シオン殿下は、とても優秀な方です。剣の腕はもちろんのことですが、その知恵においても、優雅さにおいても、勇敢さにおいても、公正さにおいても……。王の資質をすべてお持ちの完璧な方といえるでしょう」
そこまで言うか、とツッコミを入れたくなるミーアであるが……、すべて本当のことなので何も言えない。なるほど、たしかにシオンは善王になるべき資質をすべて兼ね備えた少年といえるだろう。
「そして、そんなシオン殿下と、比べられ続けてきたのが、エシャール殿下なのです」
それを聞き、心の中で「うわぁ」とため息を吐くミーアである。
――それは、なんとも可哀想なお話ですわね。ゾッとしてしまいますわ。あのシオンが兄だなんて……、恐ろしいお話ですわ!
試しに、ミーアはシオンが自分の兄だったらどうだったか……などと想像してみる。
『シオンお兄さま、よろしければお茶会になさいませんこと?』
『ああ、ミーア、今日も可愛いな。もちろん、付き合おう』
『それでね、シオンお兄さま。お勉強の、この部分がわからないのですけれど……』
『どれどれ、ああそこは……』
「……あら? 悪くない、かも……?」
優秀で、なによりイケメンな兄がいるというのは、あまり悪いことではないような気がしてきてしまうミーアである。エメラルダに負けず劣らず、ミーアもイケメンには弱いのだ。
――ああ、でも、わたくしの場合は姉で考えなければいけないのかもしれませんわ。ふむ、わたくしに優秀な姉がいる……、とするとどうなるか……。
再び、想像してみる。
外見的にはエメラルダのような、でも、大変に優秀な姉がいたとしたら……。
『ミーア、実は今度、貧民街に病院を建てようと思うのだけど、どう思う?』
『まぁ! それは大変素晴らしいことですわ』
『それと、民衆のための学校も建てるのがいいんじゃないかしら。どう?』
『ええ。良い考えだと思いますわ。お姉さま!』
「……すごく、いい!」
ただ「イエス!」と言っているだけで問題が解決していく。ミーアの理想の姿がそこにあった! 優秀な兄、ないし姉を持つ妹を大変うらやましく思うミーアである。
――ふぅむ、そう考えると、シオンが兄というのも悪くないような気がいたしますけれど……。でもまぁ、エシャール王子は負けず嫌いなのかもしれませんし……。それに、まだまだ子ども。わたくしのような、大人の寛容さをまだ持ち合わせてないのかもしれませんわ。
自称器の大きいミーア姫なのである。若干、他称でもあるのが怖いところではあるが……。
「シオン殿下は、ずっとエシャール殿下を見てきたのです。自身と比べられて、傷ついていく弟の姿をずっと……」
「なるほど。持つ者の憂鬱……、というものですわね」
ミーアとしては理解しがたい感情だった。ともすれば高慢ともとれる感情ではあるが、当人にとっては、それなりに切実なのだろう。
「そして、そんな弟に縁談が来た。相手は、大国ティアムーンの公爵令嬢です。年の差はあるとはいえ、爵位としては申し分ない。サンクランドのためにもなる相手です。そんな縁談に反対できるでしょうか?」
「それは……たしかに複雑な話ですわ」
ミーアは、思わずため息を吐いた。
そんな事情があるのなら、たしかに、シオンはなにも言わないほうが良いだろう。
それが仮に善意の助言であったとしても、どう受け取られるか分かったものではない。
「お前に縁談などまだ早い」「お前のような者が俺より早く縁談がくるなんて生意気だ」「俺よりも劣ったお前には過ぎた相手だ」
そんな風に受け取られてしまうかもしれない。
劣等感は時に、妄想の罵詈雑言を生み出すもの。そのきっかけを作るようなことを、シオンがするとも思えない。
「それに、反対する理由も、自分たちの対抗勢力を強化しないため、ですしね……」
それはただの自己都合だ。そのために、弟に来た良縁を壊すことなど、シオンにはできないだろう。
「しかし、エイブラム陛下はどうお考えなのかしら? ティアムーンとの関係の強化を単純に喜んでおられるとも思いませんけれど……」
「もちろん、そういうお気持ちもあるでしょう。それに、糧食の備蓄を増やす帝国に、侵略の嫌疑をかける者たちがおります。その者たちへの牽制の意味もあるでしょう」
「なるほど。帝国の大貴族、グリーンムーン家との縁談がなれば、そうそう帝国と開戦などということにはならないでしょうしね」
キースウッドは重々しく頷いてから、
「そして、ランプロン伯をはじめとした、保守派の貴族のそばにも、王族を置いておきたい……そういう意味合いもあるのだと思います」
「ふむむむ……」
ミーアは腕組みして考え込む。
「私のほうからお話しできるのは、このぐらいですね」
遠慮がちに言うキースウッドに、ミーアはニッコリと笑みを浮かべて……、
「ええ、助かりましたわ。ですけど、よろしかったんですの? このように、王族の内情を、わたくしなどに話してしまって……」
っと、キースウッドは小さく肩をすくめた。
「王室の微妙な不和は、なんとか解消していただかなければ、と思っているのですが……、我々、臣下だけでは力不足なのです。そこで、できれば、帝国の叡智の力をお借りできないかな、と……」
「あら、それはずいぶんと虫のいい話ですわね。ちなみに、見返りにはなにか用意しているのかしら?」
悪戯っぽく笑みを浮かべるミーアに、キースウッドは苦笑して、
「それでは、とっておきの情報を一つ……。今日のデザートは自信作だと、料理長が言っておりましたよ」
「まぁ! それは……」
ミーアはお腹をさすさすとさすってから、
「素晴らしいお話を聞かせていただきましたわ!」
急ぎ会食の会場へと戻るのだった。