第八十四話 シュトリナの暇つぶし
「あら、あなたたちも遊びに出かけていたんですのね?」
ミーアの問いかけに、ベルはニコニコ笑みを浮かべながら頷いた。
「はい。面白そうな場所のことも聞いてきました。開放市場って言って……」
ベルが報告するのを横で聞きながら、シュトリナは考えていた。
手に入れた情報をどう活かすべきか……。
――周辺の商人に開放された市場……。恐らく素性が確かでない人間も多く出入りしていたはず。そして、そんな市場で……、エシャール王子が、一時的とはいえ行方不明になったことがある……。この情報は、かなり危険ね……。
ただ行方不明になったのならば、別に大したことはない。でも、もし……。エシャール王子に、混沌の蛇が接触を図っていたとしたら……。
その危惧を覚えたシュトリナは、とりあえず、どうするかをミーアに聞こうとしたのだ。
あらかたベルが話し終えて、その場を離れた時に、そっとミーアに耳打ちする。
「それで、ミーアさま。開放市場の件で、お話ししたいことが……」
「エシャール王子のことですわね……」
その、機先を制するかのようなつぶやきに、シュトリナは驚愕の表情を浮かべた。
――すでに、その情報をつかんでた?
たしかに王都入りしてから、すでに数日が経っている。ミーアがその情報を得ていてもおかしくはないかもしれないが……。
――すごい勢いで口止めされたけど、コネリーさんは、少し口が軽いのかしら?
あの、とても苦労していそうな兵士の顔を思い出し、ちょっぴり心配になってしまうシュトリナである。
今までは……、いつ誰を殺せと命令を受けるかわからなかったから、好意を覚えても、強いてそれを無視するようにしていた。
だが、ミーアは言った。自分はシュトリナに暗殺をさせるようなことはしない、と。
だから、シュトリナは自然に、親切にしてくれた人に親しみを覚え、心配できるようになった。特にコネリーは、ベルとの楽しい時間を作るのに協力してくれた人である。
好意を抱くなというほうが無理な話だった。
それはさておき……、
「それでいかがいたしますか?」
シュトリナは、当たり前のようにミーアに判断を仰ぐ。
もともと、シュトリナは、そうやって生きてきた。
バルバラがいた時には彼女の言うことに従ってきたし、父親の言うことに従って生きてきた。それがミーアに代わっただけ。なにも、することは変わらない。
それになにより、自分はもともと混沌の蛇だったのだ。ミーアを殺そうとさえしたのだ。
勝手な判断で行動するわけにもいかない。ただ、ミーアの命令に従うのみ……。と、そう考えていたのだが……。
「そうですわね。お任せいたしますわ」
ミーアは、ごくごくあっさりと言ったのだ。シュトリナの判断に任せると……。蛇につながるかもしれない情報を、シュトリナに預けると……ミーアはそう言っているのだ。
「わかりました。この身に換えましても……」
シュトリナは、感情の赴くままに、まっすぐにミーアを見つめる。信頼し、任せてくれたミーアに応えるために、気合を入れるシュトリナであった。
そうして……、シュトリナはこっそりランプロン伯の館を出た。コネリーから、館の警備状況は聞き出してある。
――コネリーさん、やっぱりちょっと口が軽すぎる気がするな……。うん、帰る前に注意してあげよう。
そんなことを思いつつ、路地を行く。昼間にベルと出かけた時、いろいろと街並みを見ておいて、だいたいのところは把握できていた。
ある程度、館から離れたところで、手持ちのランプに火を灯す。煌々と燃え盛る明かりが、夜の闇を切り裂いた。
「さて……、それじゃあ行こうかな」
向かう先は、もちろん、例の開放市場だ。
路地裏から路地裏へ。
夜の闇に沈む道を行く。
王都とはいえ、夜の人通りはほとんどない。夜警にだけ気を付け、城に近い一番街を抜ける。
城から離れるにつれ、空気が微妙に変わってくる。
それは、甘い香水のような匂い、あるいは、人を酔わせるための……強い酒の匂い。
貴族の令嬢とは無縁の、それは危険な夜の街の匂い……。
そして、その夜の匂いをまとって……、
「おやおや、これはこれは……、どこの貴族の娘さんだ?」
シュトリナの前に、男が現れた。ランプの明かりに照らされた不気味な顔は、頬に派手な傷の入った、いかにもガラの悪いものだった。ちらり、と後ろを見ると、いつの間にか、背後にも一人、男が立っている。
「へへへ、こんな場所に一人で来るなんて危ないぜ? どうだい? よかったらおじさんたちが守ってやるよ」
自分を観察するように、ねっとりとまとわりつくような視線を、シュトリナは感じる。
一目で貴族の娘と見抜いた観察眼といい、恐らくは……。
――身代金目当ての誘拐犯、もしくは人買いとかかな……。コネリーさんが言った通り、この辺りは少し治安が悪いみたい。
などと考えつつも、シュトリナは特に慌ててはいなかった。
基本的に、シュトリナに格闘術の心得はない。運動能力も、ごく普通の令嬢と変わらない。特殊な暗殺術の使い手……などということもない。
なので、本来であれば、これは怖がってしかるべき状況ではあるのだが……、そんな様子はまるでない。
そもそも、シュトリナは知っている。闇の中を行く時、非力な者は明かりをつけるべきではない、ということを。自身の視界を確保できたところで、戦えるわけでもなし。むしろ、それは危険なものを呼び寄せることにもつながるのだ。
だから、月明りで視界が確保できるのであれば、明かりはつけてはならない。
けれど、彼女は明かりをつけた。なぜか……? それは、呼び寄せるため。
目の前の男たちのように、開放市場の事情を知っていそうな、案内人を欲したから。
そして……、危険な男たちを無力化する算段も付いていたから。
そう……、ミーアは言っていたのだ。
好きに連れて行って構わない。退屈してるみたいだから、遊ばせてあげて、と……。
そして、ご丁寧にも、今日のサンクランド国王との会食には……、あの男を連れて行っていない。
シュトリナに任せると言いながら、彼女が危険な目に遭わないように残していったのだ。
自身の持つ最強の剣を……。
シュトリナは、特に何もしてこなかった。彼に声をかけることすらしていない。
ただ、暇を持て余したあの男が、イエロームーン家の娘が怪しげな行動をしているのを放っておくとは思えなかったのだ。
――あの手合いはついてきてとお願いすると断るくせに、ついてくるなというと絶対についてくる。
そんな確信の下、シュトリナはここまでやってきたのだ。
わざとらしく明かりをつけて、万に一つも彼が見失うことのないように。
「そろそろ、現れてもいいんじゃないかしら。それとも、この程度の相手では、あなたを遊ばせてあげることにはならないのかしら?」
「あん? なんだ、なに言ってやがる?」
「それとも、リーナみたいな可愛い女の子が、怖がって泣くのを見るのが趣味だとか?」
「だから、誰に向かって……ぐっ!?」
くぐもった声を上げ、直後に、男が昏倒する。
「やれやれ、上手いこと誘導されてしまったみたいで不快だね。一応言っておくと、君の涙はイエロームーン邸でも見たけれど、あまり気持ちの良いものではなかったな。どうせ泣かせるなら、ミーア姫殿下のほうが愉快そうだ。あの方は、慌てふためいてる姿が、とても面白いから」
闇の中、ゆっくりと現れたのは、シュトリナの予想通りの男……。
帝国最強の騎士、ディオン・アライアの姿だった。
「そして、ご指摘の通り、この程度の相手じゃあ、暇つぶしにもならないよ」
「そう。それなら、暇つぶしに少しおしゃべりしない? あなたとは、ゆっくりお話したいと思っていたの」
シュトリナは、愛らしく首を傾げつつ、可憐な笑みを浮かべた。
「あなたとベルちゃん、ずいぶん親しげだけど、どういう関係なの?」
ということで、来週はお盆休みにします。
再開は、24日……の予定です。