第八十三話 ミーアドリル
「おっ、おお、お初にお目にかかりますわ。エイブラム陛下」
カクカクした動作で、ぎこちなくスカートの裾を持ち上げるエメラルダ。その指先がプルプル震えて、スカートがフワフワ波打っている。
実に……、緊張している。その挙句……、
「私がグリーンムーン公爵家の長女、エメりゃ……」
……噛んだ。
くるーり、とミーアのほうに顔を向けるエメラルダ。ウルウル潤んだ瞳を向けられて、ミーアはため息混じりに首を振る。
――まったく、肝心な時に噛むだなんて、エメラルダさんも情けないことですわ。大事な場面で噛むなんてあり得ない話ですわ。もう、仕方ないですわね、ここは、わたくしが……。
ミーアは澄まし顔で、口を開く。
「陛下。彼女がわたくしの親戚、帝国四大公爵家の星持ち公爵令嬢。エメラルダ・エトワ・ぐりゅ……」
ミーアも噛んだっ! が……っ!
「―んムーン、ですわ!」
強引に言い切った! そうして、何事もなかったかのように微笑む! 堂々と、臆面もなく!
なにしろ、エメラルダとは、くぐってきた修羅場が違うのだ。
噛みビギナーなエメラルダとは違い、ミーアはベテラン。この程度のこと、軽々とやってのけるのである。
「突然の縁談話に緊張している友に代わり、紹介させていただきますわ。無礼をお許しいただけると嬉しいのですけれど……」
「ふふ、なに。今日は極めて私的な会食だ。そうかしこまらずとも良かろう」
小さく頷いてから、エイブラムはエメラルダのほうに目を向けた。
「グリーンムーン公爵令嬢も気を楽にしてほしい。今日はあくまでも顔合わせなのだから」
そうして、気さくな笑みを浮かべる。瞬間、その身を覆っていた攻撃的なまでの清廉な空気が薄らいだように、ミーアには思えた。
それはさながら、堅苦しい国王という着物を脱ぎ捨て、素の部分をほんの少し覗かせたような、そんな印象だった。
――あら、こんな顔もされるのですわね。ちょっぴり意外ですわ。
若干、迫力が減った国王に、肩の力が抜けるミーア。一方、エメラルダは、
「は、はひ……。か、かしこまりました、ですわ……」
まだダメだった。なんともぎこちない返事にミーアはついつい、ハラハラしてしまう。
――ああ、もう、エメラルダさんも、意外と気が小さいですわね! もっと堂々と!
「ふふふ、まぁ、良い。ここで話すこともあるまい。続きは会食をしながらにしようか」
そう言うと、エイブラム王は、そばにいた壮年の執事に目配せする。それを受けて、執事は一歩前に出て、きびきびとした動作で頭を下げる。
「ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
そうして案内されたのは、謁見の間からほど近い、王城の一室だった。
あまり広くはない。セントノエルの教室の半分ほど、せいぜいが十人も入れば、いっぱいになってしまいそうな広さの部屋だった。
中心に据えられた机は、珍しい円卓だった。
通常、会食の際、座る位置というのは、身分によってだいたい決まっているものである。けれど、このように円形の机では、どの位置に座ればいいのか、判断に困ってしまう。
さて、どうしたものか、と戸惑っていると……、
「みなさま、ようこそいらっしゃいましたね」
穏やかな、秋の日差しのような声が聞こえた。そちらに視線を向けると、柔らかな笑みを浮かべた、ふくよかな女性が立っていた。白銀の髪を持つ女性、その優しげな目を見つめていると、ミーアは、自分の緊張が解けていくのを感じる。
「はじめまして、ティアムーン帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
ミーアに続いて挨拶するエメラルダとティオーナ。それをニコニコ笑みを浮かべながら聞いていた王妃は、
「いつもシオンがお世話になっているわね」
春の日差しのような、ぽかぽか明るい声で言った。
そこに遅れて、エイブラム王がやってきた。その傍らにはシオンと、幼い少年の姿があった。綺麗に切り揃えた白銀色の髪、長めの前髪に隠れたちょっぴり気が弱そうな瞳で、ミーアたちのほうをチラチラと見つめている。
「シオンの紹介は不要だな……。ほら、お前も挨拶しなさい」
促された少年は一歩前に出て、優雅に礼をした。
「はじめまして、エシャール・ソール・サンクランドです」
そう言ってから、エシャールは、もじもじしつつ、ぎこちない笑みを浮かべた。
――あら、可愛らしい……。
その微笑みに、ミーアは思わずキュンとしかけて……。
――っと、いけませんわ。彼は、シオン暗殺の犯人……。油断は禁物ですわ!
ミーアはキッと目つきを鋭くする。そうして、エシャールをじいっと見つめて……。きょとん、と不思議そうに首を傾げるエシャールに、ついついキュンとする!
――まぁ、よく考えるとこんな可愛らしい子が自分で暗殺を企んだとも思えませんし。おおかた、この子をランプロン伯がそそのかし……。
「ああ、そうだ。ランプロンから報告があったのだが、ミーア姫は、キノコ料理が好物らしいな。今日は一品だけだが、用意させてもらった」
「ほう! それは、楽しみですわ!」
ミーアは、ワクワク顔で頷いた。
――ふむ、ランプロン伯は、やはり無関係かもしれませんわ。シオンのことが気に入らないからと言って、犯人扱いしたら可哀想ですわね!
くるくる、せわしなく回るミーアの手首なのだった。