第八十話 シュトリナの幸せ
館を出て早々に、コネリーは思った。
ああ! ほんとについてきてよかったなぁ! くそったれ! と。
なぜなら、問題のご令嬢二人は……、自由に過ぎた!
「それで、どこに行かれるのですか?」
街の地理を頭に思い浮かべつつ尋ねる。と……、
「んー、特に決めてないですけど。ベルちゃん、どこか行きたいところはあるかしら?」
ちょこん、と首を傾げるシュトリナに、ベルは小さく首を振る。
「いえ、てんび……じゃない、シオン王子の育った街を見られるだけでボクは大満足ですから」
などと言いつつ、なんの躊躇もなくひょいひょい路地に入って行ってしまう。
狭くてちょっと薄暗い、ご令嬢ならばまず近づかないような場所にでも構わずに、である。
「ベルさま。失礼ですが、あまり、前にお出になりませんように」
と、懇願するように言うコネリーに、シュトリナが無邪気な顔で首を傾げた。
「あら? 王都なのに、治安に不安があるのですか?」
なんの悪気もない子どもの疑問。だからこそ、それは、コネリーの痛い部分を的確にえぐってきた。
苦笑しつつ、コネリーは言った。
「残念ながら、あまりご令嬢にはお勧めできない場所もございます。もちろん、城に近い一番街区に関しては問題ございませんが……」
あまり、怖がらせるものでもないと思いつつ、それでも注意しがてら話しておく。
「王都の一部は開放市場として、近隣の行商人に広く開放されています。そこには、時に氏素性のはっきりしない者も交じっています」
「まぁ、それは……、とても怖いですね」
そう言って、シュトリナは、そばにいたベルの手をギュッと握った。
可憐なご令嬢を怖がらせてしまったことに、罪悪感を刺激されたコネリーは慌てて首を振った。
「ああ、もちろん、きちんと王都に入る際には調べておりますので、滅多なことは起こりません。ですが、あまり縛りを厳しくしてしまっては、街から活気がなくなるものなのです」
コネリーのような立場の者からすると、都の中が全員、国王に忠誠を誓う善良な民衆で占められていることが理想である。
されど異分子をすべて排除し、怪しい者を王都に入れなければ、王都の活気が失われることも肌感覚で分かっていた。
雑然とした、ある種のいかがわしさの中にこそ、人々の活力ははぐくまれるものであると、コネリーは考えている。ゆえに、少々治安の悪い市場のようなものも、街に活力を与えるためには必要悪なのだ、と思うのだ。
「なるほど。そうしたものも国には必要なのですね……」
ベルが感心した様子で頷いていた。頷いて……、そして!
「ところで、その市場にも連れて行っていただけるんですか?」
無邪気な顔で、そんなことを言い出した!
危険性が伝わっていなかったことに、コネリーは頭を抱える。
――ぐぬ……、貴き身分の方というのは、どなたもこんな感じなのだろうか。そういえば、以前、エシャール殿下に頼まれて、市場にお連れしたこともあったが……。あの時も、途中でエシャール殿下がいなくなってしまって、肝を冷やしたものだったな……。
もともと、エシャール王子の剣術指南役として、付き合いがあったランプロン伯である。その家臣たるコネリーも、比較的、親しくさせてもらっていたのだが……、あの時はさすがに焦ったものだった。
昔から若干の無茶をすることで知られているシオンならばまだしも、大人しいと言われているエシャールの思いもよらない行動だったのだ。
――幸い、あの時は何事もなく保護することができた。陛下や伯にも黙っておくと言っていただけたので、なんとか首がつながったが……、もしもバレたら大変なことになるところだった。
……ということで、そんな経験は、二度と御免とばかりに、コネリーは首を振った。
「残念ですが、それは認めることができません。買い物ならば、王都名物のサン・セリーゼ通りでなさるのがよろしいでしょう」
有名商店が建ち並ぶ、華やかなサン・セリーゼは、王都に住む貴族令嬢御用達の商店街である。
入店にドレスコードすらある、それらの高級店ならば、彼女たちを満足させられるし、コネリーの内臓も平安でいられるだろう。
「よろしいですね?」
「え? でも……」
ベルが、シュトリナのほうを横目に窺う。確認するようにもう一度、コネリーは声を強める。
「よろしいですね!」
その念押しを受けて、シュトリナは小さく頷いた。
――うふふ、お友だちと手をつないじゃった!
抜け目なく、ベルと手をつないだシュトリナは、ご満悦だった。
なにしろ、こんな風に友だちと仲良く手をつないで出かけることなど、今までになかったことなのだ。セントノエル学園で、仲よさそうにしているクラスメイトたちに、シュトリナは強い憧れがあったのだ。
この旅行に誘ってくれたミーアに対する忠誠が120%アップしてしまうシュトリナである。
――それにしても……、周辺国の行商人、ね……。
シュトリナは、いつもと変わらない華やかな笑みを浮かべながら、コネリーの情報を吟味する。
――不特定多数の人間が集まる場所……いかにも蛇が混じっていそう。
混沌の蛇の本領は、一般の民衆に隠れ潜んで、破壊工作を行うことだ。狼使いのような、実働戦力もないわけではないが数はあまり多くない。
となれば、そのように、氏素性の定かではない者たちが集まる市場などは、絶好の隠れ蓑といえる。
――城壁の兵士の目を誤魔化すのなんか、そう難しいことではないし……。
「よろしいですね!」
っと、コネリーの声が聞こえる。
シュトリナは一瞬、なんのことを言われているのかわからなかったが……、無意識に聞き流していた会話を思い出す。
たしか、ショッピングの話をしていたはず……。
小さく頷き、シュトリナは言った。
「はい。サン・セリーゼ通りでのショッピング、楽しみだね、ベルちゃん」
その言葉に嘘はなかった。
お友だちの着る服を選んであげて、自分が着る服をお友だちに選んでもらう。
素敵な服が見つかるかどうかは、それほど重要ではない。一緒に笑いあったり、どうでも良いことで頭を悩ませたりする、そんな平和な時間が、シュトリナにはなにより貴重だった。
だから、ショッピングの場所がどこであっても、シュトリナはかまわないのだ。
「でも、あの、その開放市場って、珍しいキノコとか買えたりするんじゃないですか?」
その、ベルの唐突な言葉に、コネリーは首を傾げた。
「キノコ……ですか?」
「はい。ミーアお姉さま、すごくキノコが好きなので、珍しいキノコがあったら買って行ってあげたいなって思って……」
ベルの話に納得した様子で、コネリーは頷いた。
「なるほど。そういうことでしたら、館の厨房に話を通しておきましょう」
かくてディナーに一品、キノコ料理を確保することに成功したベル。大変、お祖母ちゃん孝行な子なのであった。