第七十九話 苦労人と二人の令嬢
「ベルちゃん、良かったら、少し街を歩いてみない?」
ランプロン伯邸にて。ルードヴィッヒから与えられた課題を、ひーひー言いながら終わらせたベルに、シュトリナが言った。
ちなみに、客室は、この二人で使っている。
イエロームーン家からの使用人は一人もいなかった。護衛すらも連れてきてはいない。それは、イエロームーン家の没落を意味するものではなかった。
イエロームーン家から、人を送り込んだ場合、あらぬ疑いをかけられるのではないか、という危惧からだった。
ミーアならばまだしも、エメラルダやティオーナらからの信頼を得られないだろう、と、シュトリナの父、ローレンツは考えた。だからこそ、護衛の兵も従者もミーアの側に用意を依頼したのだ。
……ということで本来であれば、ミーアが用意したベテランのメイドがシュトリナの従者につけられるはずなのだが……。
「あ、大丈夫です。リーナのために、そのようなお気遣いは不要です、ミーアさま」
シュトリナはにっこり笑みを浮かべて、それを固辞した。
「どうぞ、最低限の護衛だけお付けください」
それは……かつて従者たるバルバラに、常に監視の目を向けられ続けるという悲しいトラウマから来た言葉……、などではなかった。断じてなかった。
それは、シュトリナの、この旅行にかける想いの強さゆえの言葉だったのだ!
なにせ、お友だちと泊りがけの旅行に行くことなど、初めてなのだ。
なんの気兼ねも打算もなく、お友だちと出かけることなど、今までになかったのだ。
それゆえに……邪魔になりそうな要素はできるだけ排除する。
大変、気合が入っていたのだ!
ということで、ベルと遊ぶ気満々のシュトリナである。そんな彼女が、ベルの課題が終わったと聞いて、遊びに誘わないなどということがあり得るだろうか?
一方のベルのほうも、二つ返事でオーケーする。
なにせ、憧れの天秤王の都である。興味が沸かないはずもなし。
ということで、ベルとシュトリナは、にっこにこ顔で、ランプロン邸を出ようとした……のだが、それを見咎める者がいた!
華やかな二人の少女が屋敷から出ていこうとしているのを見かけた時、ランプロン伯邸の警備隊長、コネリー・コルドウェルは深々と疲れたため息をこぼした。ちなみに、伯の信頼厚い彼は、ミーアたちを迎えに行った護衛隊を率いた苦労人でもあった。
精神をすり減らすような気分を味わいつつ、ようやく、超VIPたちの護衛を終えた彼であったが……、館についてからも、引き続き、客人の面倒を見るように仰せつかってしまったのである。苦労が絶えない人である。
つい先ほども帝国皇女ミーアが、友人の貴族令嬢を伴って街に繰り出していくのを見かけて、大いに焦らされた。
しかも、自らの近衛二名のみを護衛に引き連れて出かけようとしていたのである。
およそ、大帝国の姫に相応しくない行動に、コネリーは大いに焦った。
王都の治安は決して悪くはなく、おそらく護衛を二名も伴っていれば、問題はないとは思うのだが……、相手はサンクランドと並ぶ大国の姫なのだ。
~だろう、という希望的な憶測で済ますことのできる相手ではない。
ということで、急遽、彼はランプロン伯の私兵から、二名を護衛として派遣。絶対に邪魔をしないから、とミーアを説得し納得させたのだった。
「別に、かまいませんけれど。わたくしが連れてきた護衛だけでも……」
などと不思議そうな顔をしているミーアに、思わず、イラッとしそうになったコネリーである。
――少しは身分というものを考えていただきたいものだ……。
そうため息を吐いた矢先、今度は、こっそり遊びに出かけようとしている二人のご令嬢の姿を発見してしまったのである。
一人は、帝国四大公爵家の令嬢、シュトリナ・エトワ・イエロームーンである。
帝国における最高爵位である公爵家の令嬢だけでも卒倒しそうなのに、さらに、その連れが問題であった。
ミーアベルというあの少女が何者かは定かではない。ないが……。
――あのミーア姫殿下にそっくりな顔立ち、他の大貴族の令嬢たちにもまったく引け目を感じない、あの堂々とした態度。時にミーア姫殿下にすら気安げに話しかける、あの胆力……、どう考えてもただものではない!
むしろ、コネリーはあのミーアベルという少女のほうにこそ、不気味さを感じてしまう。彼女に何かあった場合、自分の首は飛ぶのではないだろうか……物理的に。
そう考えた瞬間、彼は動き出していた。果断即行の人だった。
「失礼いたします。イエロームーン公爵令嬢、それに、ミーアベルさま」
少女たちは、きょとん、とあどけない顔で振り返った。悪意のまったく感じられない顔ではあったが、二人の動向次第で首が飛ぶ身である。むしろ、その無邪気な顔が悪魔の顔に見えてきそうだった。
「いずこへ行かれるのですか?」
言外に、どこにも行くな、屋敷で大人しくしてろ、いや、いてくださいお願いします! というメッセージを込めて言う。が……、
「はい。これから、サンクランドの街を見学させていただこうと思ってます」
ルンルンと体を弾ませながら、ミーアベルが言った。
不幸にも、苦労人の心は伝わらない。
――ああ、やはり……。そういうことか……。
キリキリと胃が痛むのを感じながら、コネリーは言った。
「かしこまりました。それでは、不肖、このわたくしが、お嬢さま方の護衛を務めさせていただきます」