第七十九話 二つの匂い
「ふむ……、ところで、ラフィーナさま……。ラフィーナさまもランプロン伯と同じ意見なんですの? 腐った貴族は排除しなければならない、と……」
ふと思いついて、ミーアは聞いてみた。
その問いかけに、ラフィーナは小さく首を傾げる。一度、口を開きかけてから、言葉を探るように、そっと瞳を逸らした。
「そう……ね。そう思っていた時もないことはないわ」
ラフィーナはうーんっと、うなってから、
「というか、未だに結構そう思っているのだけど……」
――そっ、そう思ってるんですのっ!?
ミーア、思わず自らの首を撫でる。
基本的にミーアは、ラフィーナのことを友だちだと思っている。というか、ようやく最近、思えるようになってきた。
だからまぁ、いきなり告発されて首を落とされたりはしないだろうなぁ……とは思ってる。でも……、
――うっかりってございますし……。わたくしがうっかり暴君になってしまった時に、もしも、ラフィーナさまの逆鱗に触れてしまったら……。
例えば、友だち同士だって、許せないことはあるはずだ。
ちょっとした悪戯ならば許せるのだろうけど、大切なものを壊してしまったり、食べようと思っていたケーキを台無しにされたりしたら、許せないことはあるはずで……。
ラフィーナの場合には、怒りのポイントが、貴族のわがままや横暴、怠惰、そのあたりにあるらしいことを、ミーアはすでに察していた。
そして……ミーアは知っているのだ。
自分が、ほんのちょっぴりわがままで、時々、少しだけ横暴になることもあって、わずかばかり怠惰なところもあるということを……。
だからこそ、ラフィーナの言葉に首の後ろが寒くなった……のだけれど……。
「でも……、ミーアさんとお友だちになってから、そして、ティオーナさんを見てから、少しだけ考えを変えたわ」
「え……?」
突然、話を振られて、ティオーナは驚いた顔をする。
「生徒会長選挙の時、ティオーナさんは、昔、自分に嫌がらせをした人たちのことを許したって聞いたわ。ミーアさんを応援するために手を取り合ったんだって」
「ああ、そういえばそんなこともございましたわね……」
あの時の、教室での出来事をミーアは思い出す。
――こっそりとラフィーナさまに勝てるように裏工作をするつもりでしたけれど、思えば、そんなことやらなくって良かったですわね。下手をすると、ラフィーナさまに愛想尽かされていたところですわ。
そんな想像をして、ミーアはゾッとした。
――あら、わたくし……、案外、危険なところを歩いてきたのですわね。
ラフィーナは、穏やかな笑みを浮かべたまま、続ける。
「ああ、なるほど、これがミーアさんが目指したものだったんだなぁ、って思ったの」
はて、なんのことかしら……? と首を傾げるミーア。ラフィーナは懐かしげに瞳を細める。
「あの新入生歓迎ダンスパーティーの事件があった後、ミーアさんは、彼らを許してほしいとお願いに来たでしょう? 覚えてるかしら?」
「ええ、もちろんですわ」
そういえば、そんなことあったなー、なんて思いつつ、ミーアは堂々と頷いて見せる。もちろん覚えてましたよ? といわんばかりの様子で……。
「あの時はね、すごいなって思うのが半分、後の半分は甘いんじゃないかなって思ってた。でも……、今は改めて思うわ。ミーアさんがしたことは、忍耐力を試されるけど、でも、その先に豊かな実りをもたらすものだったんだって……」
あの時、疑わしき者たちをセントノエルから追い出していたら、その後のいろいろな出来事は、すべてなかったのだ。追い出された者たちからは恨みを買い、その後の生徒会選挙で、ミーアの陣営は、そこまで力を得なかったはずだ。
「そんなミーアさんの姿を見てしまったから……、今は少しだけ考えるようにしているの」
「なにをですの?」
「ここで、切り捨てることが本当に正しいのか……。説得して、悔い改めてくれるならば、そのほうが良いのではないか、と……」
そんなラフィーナの言葉に、ミーアは、
――そう、それ! それ大事ですわよ! ラフィーナさま!!
思わず心の中で、ぐうっと拳を握りしめる。
もしも、ラフィーナが本当にそう考えているというのなら、ミーアが失敗しても、即ギロチンとか、即刻、異端審問にかけられるなどということはなくなる。
――わたくしも極稀にですけれど、やらかしてしまうことがございますし……稀にですけれど……。だから、ラフィーナさまが、そのような考え方をもってくれるなら、助かりますわ!
これで、少しなら、気を抜いても大丈夫かも……、などと、ミーアの中に良くない考えが、むくむくと鎌首をもたげる。
「それにね……、根拠はないことで、完全な勘なんだけど……、その厳しさは蛇に付け込まれる隙になる……、そんな気がするの」
「混沌の蛇に……」
ミーアが思い出すのは、ベルから聞いた未来のことだ。
司教帝となり、世界を恐怖に陥れたラフィーナの姿だ。
徹底的に敵を排除し、処刑する……その潔癖さは、仮に蛇に向けられるものであったとしても、蛇に利用される危険性を秘めている。
ミーアは、ラフィーナの言葉に、一定の正しさを認めた。
「でも、そうなの……ミーアさん、忙しいのね……」
ラフィーナは、さも残念そうな顔をする。
「はて、わたくしが忙しいとなにかございますの?」
「ええ。実はね、私がサンクランドに来たのは、ダンスパーティーのことだけが理由ではないの。先日、馬龍さんから聞いた騎馬王国のことを、国王陛下と話しに来たのよ」
「あら、騎馬王国のことを……」
「本当なら、ミーアさんにもお手伝いしてもらいたいのだけど、しなければいけないことがあるなら仕方ないわね」
――ふむ、これは……。
その時、ミーアの嗅覚が、二つの匂いをとらえた。
一つは……危機感。
ラフィーナ自らがサンクランドまで足を運んできたなんて……これは、ヤバイ話だぞ、と。聞かないほうがいいぞ、と。そんな圧倒的に危機な香りである!
ただでさえ、シオンの暗殺事件とエメラルダの縁談話という厄介ごとを抱える身だ。やむを得ずということならばともかく、根本的に、ミーアは面倒ごとにかかわりたくないのだ。
――ふむ、これは変に好奇心を出してはいけない場面。好奇心、姫を殺す、と言いますし……。
ミーアは素早く判断を下す。かかわらないのがベストである、と。
……まぁ、そうはいっても巻き込まれてしまうのが、ミーアの性分というものではあるのだが……。
それはさておき、もう一つ、ミーアの嗅覚がとらえたもの……それは!
「ちょうど、お料理もできたみたいだし、お話はここまでにして、お料理を楽しみましょう」
そう、なんとも食欲を刺激する、美味しそうな香りだった。
ミーアは、テーブルの上に置かれた素朴な土瓶に歓声を上げる。
「ほう! これが、抹茸の土瓶蒸し? ああ、これは……なんとも高貴な香りですわ……」
そうして、ラフィーナ推薦の料理に、存分に舌鼓を打った後、ミーアはあふれる満足感とともに、ランプロン伯邸に戻るのだった。
ちなみに……、エメラルダの縁談をどうするのか……、シオン暗殺の真相は、などなど……もろもろの答えは一切出てはいないのだが……。