第七十五話 FNY……? No! FWA!
つい数日前、ミーアは思っていた。
「まぁ、相手の家柄まで聞いていないだなんて、エメラルダさん、迂闊ですわ。まったく、しょうがない人ですわね!」
などと……。
いかに、お断りする気満々であったとしても、それはそれ……。
さすがに、相手の家名を聞いていないだなんて、高貴な身分の令嬢として、あり得ない! と、そう思っていた……のだが……。
ぶんぶん体を回しながらぶん投げたブーメランがものすごい勢いで、ミーアに返ってきた!
「お、お父さま、ですわね……」
そうなのだ、こう見えてもエメラルダは四大公爵家の令嬢なのだ。
縁談の影響も当然、小さくはない。ごくごくごく当たり前の話ながら、皇帝に話が通っている可能性は非常に高い。
逆に、皇帝に話が通っていなければいないで、きな臭さを覚えるべきところ。
つまり、縁談をお断りに行くというのであれば、当然、皇帝に探りを入れておくべき案件なのである。
にもかかわらず、ミーアはそれを怠った。否、より正確に言うならば「自分も一緒についていく!」と言い張る皇帝を説得するので、必死だったのだ! そんな暇などなかったのだ。
が……、
――くっ、そ、それは言い訳にはなりませんわ。明らかに、わたくしのミスですわ。
と自覚しつつ、ミーアはなんと答えたものか、考える。
ルードヴィッヒに嘘は禁物。されど、正直に尋ねていませんでした! などと答えられようはずもない。
しばしの沈黙の後、ミーアは……、
「そっ、そういう話を聞くことはできませんでしたわね……」
微妙な言い回しをする。
探りを入れなかったから、話を聞けなかったという意味と、探りを入れたけど聞けなかったという意味……どちらにもとれるような言い方である。
少なくとも、嘘は吐いていない! そんな確信を胸に、ちらり、とルードヴィッヒのほうを窺うと……、
「ということは、陛下にも知らされていなかったか……、あるいは、陛下御自身がミーア姫殿下の帝位を望まれていない? いや……、しかし、陛下はミーア姫殿下を溺愛されている。それはあり得ないか? だが……、親の愛として、ミーアさまが女帝の茨道を行くことを望まないということも……」
ルードヴィッヒは、腕組みして、思案に暮れていた。
なんとか誤魔化せたことに、ほう、っとため息を吐くミーア……であったのだが、
「しかし、なぜ、断れないとおっしゃったんですの? えーっと、ルードヴィッヒさん?」
口を開いたエメラルダに驚愕する!
――まぁ、エメラルダさん、ルードヴィッヒの名前を……。あら? もしや、エメラルダさん、ルードヴィッヒも美青年認定なんですの?
イケメン好きのエメラルダである。基本的にわがままで知られる彼女であるのだが、ことイケメンに対しては、多少態度が良くなるのだ。
――まぁ……確かに見た目は良いとは思いますけれど、さすがに見境なし過ぎやしないかしら?
いささか呆れつつも、ミーアはルードヴィッヒのほうを見た。ルードヴィッヒは難しい顔をしたまま、
「星持ち公爵令嬢と第二王子殿下の婚姻となれば、これは、国家的な縁談です。ティアムーンとサンクランドの外交的な繋がりを強めるという意味で、この縁談にはとても意味がある」
エメラルダ個人の感情や、ミーアの派閥的な思惑ではどうにもできない問題である、とルードヴィッヒは言っていた。
「ミーアさまもおわかりなのではないですか? 相手が、この時点で情報を公開してきたこと、その一点を見てもわかります。今回の縁談はそう簡単に破談にはできない。だからこそ、ミーアさまは、エシャール王子殿下の情報を欲されていたのでは?」
んなこたぁないのだが……、ミーアは神妙な顔で頷いた。
「……まぁ、そんなところですわ」
ここは乗っておこう、という判断である。さざ波を敏感に察知して流されていく、今のミーアは大海を渡る勇壮なる海月に等しい。
ルードヴィッヒは疑うことなく、海月ミーアの言葉を受け入れて、
「無論、この話を素直に受け入れることは、我々、女帝派にとって重大な危機になります。エメラルダさまがミーアさまの味方をしてくださるのと、してくださらないとでは、状況は大きく変わります。エメラルダさまであれば、完璧な信頼を寄せることもできるのですが……」
「当然ですわ。この私がミーアさまのことを裏切るなど、あり得ないお話ですわ!」
胸に手を当てて、誇らしげに言うエメラルダ。以前までならば、疑わしく思えてしまったその言葉も、今はちょっぴり信用できそうな気がしてしまって……、ミーアは少しだけ戸惑う。
「もしも、婚姻するとしても、私もできる限り、弟やお父さまに働きかけるつもりですけれど……、それは確実とは言えませんわ」
「であるならば、とりあえず、縁談を回避する方向でなにか策を立てる必要があるでしょう。そのために、エシャール殿下の情報が必要と、ミーアさまはおっしゃった……と、私は考えておりますが……。もしや、もうすでに、その回避のための道筋が見えているのでは?」
「まぁ! そうなんですのっ!?」
二人の期待に満ちた視線を受けて、ミーアは……、ミーアは……!
「え……ええ、まぁ、こう……フワッとは……」
……つい、ふわっと肯定してしまった。
二人の作り出した期待感の波に逆らうことは、海月ミーアにはできなかったのだ……。
「なるほど……。であるならば、私はエシャール殿下の情報をできうる限り集めてまいります。ミーアさまは、御心の赴くままに行動なさりますように」
ルードヴィッヒに尊敬と畏敬の念のこもった視線を、そして、エメラルダに信頼のこもった視線を向けられたミーアは、
「……ええ、よろしくお願いいたしますわね」
神妙な顔で頷いた。
そうして「ちょっと散歩に……」などと言って、部屋から出たところで……、
――どっ、ど、どうしましょう……? フワッとどころか、なーんにも浮かびませんわ! くっ、とっ、とりあえず、情報を整理するために、あ、甘いものが食べたいですわ……。
濃密な話し合いに、すっかり熱っぽくなってしまったミーアは、ふらふらと廊下を歩きだそうとしたところで……。
「あっ、ミーアさま……」
っと、声をかけられて、ミーアは顔を上げた。そこに立っていたのは、
「あら……、ティオーナさん? 起きたんですのね」
昼寝から起きてきたティオーナだった。
基本的にルドルフォン家は、朝早く起きて、作業する農民たちの間を回り、時に共に働き、その後、昼寝をするのが一日のスケジュールなのだという。
だから、セントノエルに通うようになってからも昼寝が欠かせないらしい。
ティオーナは笑みを浮かべて、
「ありがとうございます。たっぷり寝させていただきました」
「ふむ……、そうなんですの。あっ、そうですわ。これから、気分転換に街に出ようと思うんですけど、付き合ってくださらないかしら?」
ミーアはティオーナとリオラを誘い、街を散策することにした。
不足しがちな甘いものを得るために!