第七十三話 メイ探偵ミーア、犯人を、カンニングする
ランプロン伯邸について、ミーアはようやく一人になる時間が持てた。そこで、満を持して、ミーアは皇女伝を開いた。
「エメラルダさんと一緒にいると、どうしても、ゆっくりと読めませんでしたけど……」
問題の、シオン死亡の記事を目で追っていく。っと、ミーアの予想通り記述が変化していた。
「ふむ……、まぁ、そうですわよね。それはそうなんですけれど……問題はどう変わったか、ですわ」
盗賊団との戦闘に、シオンが巻き込まれることは回避できた。
それで問題は解決なのか……、はたまた。別の死がシオンに迫っているのか……。
続きを確認したミーアは、深くため息を吐く。
皇女伝には、新たにシオンが毒により暗殺されるという記述が示されていたからだ。
「ということは、やはり、最初の盗賊団というのも、シオンの暗殺をもくろんだものと見るべきですわね……。いや、まだ偶然の一致という線も捨てられないかしら……?」
ぶつぶつつぶやきつつ、読み進めてみる、と……、なんと、今度は犯人の名前まで書いてあった!
「ふっふっふ、やりましたわ! これで一気に解決ですわ!」
快哉を叫んだのもつかの間……、ミーアは再び考え込んでしまった。なぜなら、そこに書かれていた犯人の名前は……、エシャール・ソール・サンクランド。すなわち、それは……、
「サンクランド第二王子、エシャール王子……。シオンの弟君ですわね。そんな人物がなぜ……?」
意外な人物の登場に、ミーアは頭を抱える。
基本的に、ティアムーンにとって重要な王侯貴族の名前は、覚えるようにしているミーアであるが、エシャールについては名前ぐらいしか知らなかった。
当然、彼がなにを思って暗殺などしたのか、わかるはずもない。
「それにしても困りましたわ……。相手がそこらの貴族ならばなんとかなりそうなものですけれど……、まさか第二王子殿下が犯人だなんて……」
これでは、最悪にして最後の手段、ディオンを差し向けて……などという暴力的な手段に出ることもできない。
「まぁ、やる気はありませんでしたけれど……。幸いにも、暗殺の日はエメラルダさんが招待されている、王宮のダンスパーティーの日ですわ。水際で防ぐことも不可能ではありませんわね……。ただ、その場合にも、犯人をなんとかしなければなりませんし……ふーむむむ……」
腕組みして考えているミーアの頭から、突如、もくもくもくっと煙が立ち上る。
いわゆる、知恵熱というやつである。
ミーアは、腕組みをしたまま、こてんっとベッドの上に倒れて、
「だっ、ダメですわ! なーんにも思い浮かびませんわ! どうすれば、いいかしら……。ああ、甘いものが食べたいですわ! やはり、考え事の際には、甘いものが必要ですわ!」
そうして、部屋を出ようとしたミーアは、ちょうど廊下を歩いてくる、自らの知恵袋の存在を見出したのだ!
「あっ、そうでしたわ! こんな時のために、ルードヴィッヒを連れてきたのでしたわ!」
ミーアの特技、丸投げである。
なにしろ、今回のミーアは、万全の体制を整えて来ているのだ。
思考についてはルードヴィッヒ。武力の面ではディオン。毒の面ではシュトリナ。
これだけの陣容を揃えているのだ。利用せず、自分だけで考えるなど、愚かなことである。
ということで……、ミーアは早速、部屋の中にルードヴィッヒを連れ込んだ。
「エシャール王子、ですか……?」
ミーアの部屋を訪れたルードヴィッヒは、部屋に入るや否やの質問に首を傾げた。
「そう、エシャール王子。シオンの弟君なのですけれど……、なにか噂を聞いているかしら?」
問われたルードヴィッヒは、腕組みして黙り込んだ。
「申し訳ございません。正直なところ、特にこれと言って気になる情報はございません。必要であれば、少し調べてみようと思いますが……」
「そうですわね……、それならばお願いしようかしら……」
けれど、それをする時間は残念ながら与えられなかった。なぜなら、次の瞬間、
「ミーアさま! ミーアさまっ!」
ドアを開け、血相を変えたエメラルダが入ってきたからだ。
「まぁ! どうしましたの、エメラルダさん。そのように、青い顔をして……」
「きっ、きっ、聞いてくださいまし! わっ、私の、こっ、婚約の相手が……相手が……」
アワアワと、口を震わせるエメラルダに、ミーアはふぅーっと深いため息を吐いた。
「お相手がわかりましたのね? で、どなたでしたの?」
「えっ、えっ、えっ……」
「落ち着いてくださいまし。そんな風に淑女が慌てなければいけないことなんて、この世の中にはありませんわよ……」
「わっ、私の婚約の相手が、エシャール王子だそうですわ!」
「………………はぇ?」
きょとりん、と瞳を瞬かせるミーア。口をぽっかーんっと開け、ちょっぴり間抜け面を晒してしまっているのだが、今のルードヴィッヒには、それを気にする余裕はなかった。
なぜなら、彼は衝撃に打ちひしがれていたからだ。
この時、彼は遅まきながら、自らの主がなにを考えていたのか……、ようやく悟ることができたような気がした。
帝国四大公爵家の一角、グリーンムーン家のエメラルダと、サンクランド王国第二王子エシャール・ソール・サンクランドの婚姻。そして、それを取り持つ者が、サンクランドの伝統的保守思考の持ち主、ランプロン伯ということになれば……。
もし、それが成った際に出来上がる権力構図は……。
――ミーア姫殿下とシオン殿下のつながりに対抗する軸として、グリーンムーン公爵家とエシャール殿下という勢力が誕生することになる。
ミーアが掌握したはずの四大公爵家から、グリーンムーン家を引き抜き、それをもって反女帝派を糾合。さらに、グリーンムーン家には男児もいる。彼は、ミーアが帝位を継がなかった場合の、皇帝候補でもあるのだ。
さらに、サンクランド王国内においては、領土拡張に慎重なシオンに対抗して、エシャール王子のもとに、保守層の貴族たちを糾合するという構図でもある。
――なるほど。それで、エシャール殿下のことを調べろと、ミーアさまは言っておられたのか!
遅まきながらに気が付いて、ルードヴィッヒは歯噛みする。
――少し考えれば、わかりそうなものだ。サンクランドの国内情勢と勢力図を把握していれば……、この時期に星持ち公爵令嬢とサンクランド貴族との間の縁談話が持ち上がれば、その裏の狙いを推察することなど造作もないことだったのに。
忸怩たる想いを胸に、ルードヴィッヒは頭を下げた。
「申し訳ありません。ミーア姫殿下、私の思いが及ばず、このような失態を……」
「はて……? 失態とはなんのことやらわかりませんけれど……」
ミーアは、きょとんと首を傾げる。まるで、本当に失態など存在しなかったかのように、心の底から不思議そうな顔をして。
ルードヴィッヒは、その思いやりに感じ入る。
――俺の菲才を責めることなく、俺が気に病むことのないように、とぼけてくれているのか……。
「働きに、より一層期待しておりますわよ、ルードヴィッヒ」
そうして、優しい笑みを浮かべるミーアに、ルードヴィッヒはただただ、頭を下げるのだった。