第七十一話 ミーアの信頼は揺らがない!
盗賊団襲来の声が響いてから、しばらくして……。
馬車が唐突に止まった。
息を呑み、身構えるエメラルダ。対して、ミーアはやっと終わったか、とため息を吐く。
――先ほど、ディオンさんが一人で行きましたし、問題ないとは思いますけれど……。ああ、でも、外の景色はあまり見たくありませんわね。きっと血の海ですわよ!
矢除けの防御板を下ろしてしまったため、それ以降、外で何が起きたのかはわからない。
けれど、ミーアのディオンに対する信頼は揺らぐことはない。
並みの盗賊団であれば、ディオン・アライアに対抗しえないということ。戦闘にすらならず、きっと一方的で凄惨な殺戮が繰り広げられるのだろうな、ということを……、ミーアはまったくもって、疑っていない。
ミーアのディオンに対する信頼は揺らぐことはないのだ!
やがて、馬車の扉がノックされた。
「失礼いたします、ミーア姫殿下」
続いて響くのは、ほかならぬディオンの声だった。
嫌だなぁ、見たくないなぁ、などと思いつつも、ミーアは、戸のそばにいたニーナのほうに目を向けた。エメラルダと同じく、少しだけ顔色の悪いニーナを安心させるように微笑んで、
「大丈夫。ディオンさんですわ。開けて差し上げて」
ニーナは一瞬の躊躇の後、馬車のドアを開ける。と、はたしてそこには、帝国最強の騎士、ディオン・アライアが立っていた。
再び、嫌だなぁ、見たくないなぁ、などと思いつつも、ミーアはディオンに視線を向ける。その鎧は、返り血で真っ赤に染まって…………はいなかった。
――さすがですわ、ディオンさん。返り血を避けながら惨殺するなんて……相変わらずの恐ろしい手腕ですわ!
ミーアのディオンに対する信頼は、どこまでも揺らぐことはないのだ!!!
「ディオンさん、無事に終わりましたのね。外のさん……じゃない。被害は、どのような感じですの?」
きっと馬ごと斬り殺された死体とか、鎧ごと真っ二つの死体とか、怖いのがいっぱい転がってるんだろうなぁ、などと思っていたミーアは、うっかり「外の惨状……」などと言いかけて慌てる。
対するディオンは涼しい顔で、
「敵味方ともに死傷者なしです。サンクランド軍にタイミングよく介入してもらったおかげで、戦闘を避けることができましてね」
「サンクランド軍が介入……? ま、まさか、盗賊の討伐はサンクランド軍に任せて、引いたなどというわけではないですわよね?」
それでは、何の意味もない、と大いに慌てるミーアだったが……。
「いや、生憎と、我々の目前で逃げて行ってしまったよ」
その声に、ハッと視線を転じる。っと、ディオンの後ろに、一人の少年が立っているのが見えた。それは……。
「ああ……、シオン……」
いつもと変わらない、涼やかな笑みを浮かべるシオンだった。
「よかった。あなた、無事なんですわね?」
確認のために、いそいそと馬車を降りてシオンのそばに歩み寄る。と……、
「ははは、なに、このぐらいの盗賊相手ならば、よくあることだしね」
なぁんて、気軽に言いやがった! それはもう爽やかーな感じで言いやがったのだ!
ミーアはむぅっと頬を膨らませつつ、
「だとしても、駄目ですわよ、シオン。王子であるあなたが最前線に出て戦うなどと……もしものことがあったら、どうするつもりでしたの?」
それを聞き、シオンの後ろ、キースウッドが深々と頷いていた。
良いこと言うなぁ! とその顔に書いてあるかのようだった。
一方のシオンは、思わずといった感じで苦笑いを浮かべた。
「君にそれを言われるのは、少し複雑な感じがするな」
お前が言うな! とツッコミを入れないだけ、実に紳士なシオンなのであった。
「しかし、ずいぶんとひさしぶりだね、ミーア。それに、エメラルダ嬢も」
シオンの浮かべる華やかな笑みに、エメラルダがホウッと息を吐いたのがわかった。
「まぁ! これはシオン王子、このような場所でお会いできるなんて!」
緊張から一転、大好物のイケメンの出現にエメラルダのテンションはうなぎ上りだ。
――まったく、単純ですわね。先ほどまであんなに怯えていたのに……。
やれやれ、とミーアは首を振った。
――本当に困ったものですわ。高貴な血筋の令嬢が、そんな風にはしたない……。
などと呆れていると……、
「シオン王子! おひさしぶりです! お元気でしたか!?」
隣の馬車から、ベルが飛び出してきた。頬を紅潮させ、ニッコニコの笑みを浮かべる孫娘に、ミーアは……、思わず頭を抱える。
――ベル……。まったく、いったい誰に似たのかしら?
などと思っていると、ベルに次いで、シュトリナ、ティオーナ、リオラが降りてくる。
「ティオーナまで……いったい、サンクランドになにをしに来たんだい?」
名だたる令嬢たちの出現に少し驚いた様子で、シオンが言った。
「ええ、実は、こちらのエメラルダさんの付き添いできましたの。なんでも、サンクランドの、いずれかの公爵家のご長男と縁談の話があるとかで……」
「公爵家の長男……?」
シオンは小さく首を傾げた。
「それは妙な話だな……。公爵家の長男というと……、俺の知る限り、年頃の者はみな結婚していたように思うが……」
「まぁ、そうなんですの?」
エメラルダはびっくりした顔で首を傾げた。
「でも、たしかに将来的に公爵以上の地位に就く、有望株の相手だとお父さまは……」
「公爵以上の地位に、いずれ……?」
シオンは怪訝そうな顔で眉をひそめて、
「ちなみに、この話は、どなたが仕切っておられるのだろう?」
「ランプロン伯、と父からは聞いておりますけれど……」
微妙に歯切れが悪いエメラルダ。恐らくは、あまり詳しい話は聞かされていないのだろう。
特に不思議なことではない。貴族の結婚は国同士、家同士のつながりという要素が大きいもの。場合によっては、婚儀を上げる当日に相手と会うなどというケースもあるのだ。
しかしながら……、
――いくらなんでも、相手がどこの家の方とか、そういうことは聞いてると思ってましたけれど……。
ジトっとしたミーアの視線を受けて、エメラルダは言い訳するように言った。
「しょ、しょうがないではありませんの。お断りするつもりでいたのですから、相手のことなど、知らずとも問題ありませんし? それに、ほら、ものすごく良いお相手でしたら、お断りするのがもったいなくなってしまうかもしれませんわ!」
どうやら、この縁談話を蹴る気満々だったエメラルダは、ろくに父から話を聞かなかったらしい。
「ちなみに、もしかしてそのランプロン伯というのは適当……、というか、あまり信頼できない方なんですの?」
「いや、そんなことはない。サンクランドでは古くから続く名家だ。伯自身もいささか独善的な人だが、名誉にかけて適当なことはしないと思うが……」
腕組みしつつ、シオンがうなった。
「まぁ、いい。とりあえず、護衛の必要はないようだし、俺はこのまま盗賊団を追って……」
「だっ、ダメですわ! シオン、あなたには、わたくしたちを護衛して、王都まで行っていただきますわ!」
ミーアは慌てた。もしも、ここで別れた後、シオンが盗賊との戦闘に巻き込まれて死んでしまったら大変だ。なんのために、こうしてサンクランドまで来たのか、わからなくなってしまう。
多少、わがままでも、ここはシオンについてきてもらわなければならない。
「え? いや、しかし……」
「ここは、あなたの国ではございませんの? 帝国からの客人であるわたくしが危険な目に遭っても構わないと言うんですの?」
その言い分に、シオンはきょとん、と瞳を瞬かせたが、
「そうか……。まぁ、そうだな、わかった。では、王都にあるランプロン伯邸まで、エスコートさせてもらうよ」
涼しげな笑みを浮かべるシオンに、今まで護衛を受け持っていた隊長は……、青くなっていた!
「しっ、シオン王子まで……」
そんな隊長に、少し離れたところから、同情の視線を送る者が一人。
シオンの忠実なる従者、キースウッドはその哀れなる護衛隊長に深く、共感を示すのだった。