第七十話 ミーア姫、ひどく寛容な気分になる……
「盗賊だ! 盗賊が襲ってきたぞっ!」
外から聞こえてきた声。それを聞いて、ミーアは、自らの失敗を悟った。
――ああ、失敗ですわ。当事者になってしまいましたわ。
それでも、落ち着いていたのは味方にディオン・アライアがいるからであり、敵にディオン・アライアがいないからだ。
帝国最強、否、大陸最恐のディオン・アライアが味方にいるのだ! かつて、かの男に追われた、修羅場マイスターのミーアとしては、
――まぁ、盗賊程度の危機であれば、ね……。
ぐらいの危機感である。なんと、珍しく余裕があった!
――どうせ、シオンのことですから、盗賊ぐらいと油断して命を落としたのでしょうけれど、ふふふ、わたくしには油断はありませんわよ! 図らずも、わたくし自身が危機のど真ん中に突入するようなことになってしまいましたが、恐れるに足らずですわ!
そうなのだ。ミーアには自信があるのだ。
今回の旅行は、万全の備えをしてきたのだ。肝心なところで、ちょこっとだけ失敗したけれど、それ以外は上手くいっている。思いもよらぬショッピングで、滅多に手に入らない珍味だって手に入ったのだ。
この程度の盗賊、どうにかできないはずがない。
「ミーアさま……」
不意に、自分を呼ぶ声。情けない声に視線を向ければ、エメラルダが不安そうな顔をしていた。そばにいるニーナに半ば抱き着くような感じで、なんとも情けない様子である。
――ふぅ……、まったく。いくら怖いといってもメイドに抱き着くなんて……。子どもみたいですわ。
それから、ミーアはアンヌのほうを見た。
アンヌもまた不安げな顔をしていたが、そこまで取り乱してはいなかった。
――ふむ、わたくしだったら、いくら怖くってもあんな風にアンヌに抱き着いたりはしませんわ。アンヌが怖がってる時には、仕方なく抱き着いて差し上げることもありますけれど……自分が怖いからと言って、あんな情けない姿をさらしたりは致しませんわね。まったく、エメラルダさんは怖がりですわね。
やれやれ、と首を振りつつも……、
「大丈夫ですわよ、エメラルダさん。この程度の盗賊、わたくしの近衛たちがいれば十分に蹴散らすことができますわ」
安心させるように微笑んで見せた。
――それにしても、これは、わたくしがいなかった場合には、どうなっていたのかしら?
巡礼街道を通っていた商人たちは、恐らくエメラルダたちの一行を追い抜いて行った先で盗賊団に襲われたのだろう。そこで戦闘が起き、シオンは命を落とす。
――いや、そもそも、エメラルダさんの旅行日程は、わたくしが調節したから、このようになっておりますけれど、実際には数日間のズレがあったはずですわ……。
ゆえに、このようにタイミングよく盗賊団と鉢合わせることはなかったはずである。
けれど、ルート的に言えば微妙に重なっているわけで……。
――気にはなりますわね。こんなでもエメラルダさんは、帝国の四大公爵の令嬢ですわ。いろいろと利用価値はありそうですし……。
そうなってくると、ミーアは考えざるを得ない。
――盗賊の討伐隊にシオンは無理矢理に参加させられたのかしら? それともシオンが介入しなかった場合には、なにか別の事態が起きていたのかしら? この盗賊団の騒動は、シオンを暗殺するための陰謀だと思っておりましたけれど、あるいは、エメラルダさんを巻き込むためのなにかだった可能性もありますわね……。
皇女伝に書かれていたのは、シオンが死亡したという記述のみ。その裏に隠されたものを調べることは困難で……。
――いずれにせよ、一筋縄でいかないものを感じ……、はぇ?
突如、エメラルダが抱き着いてきた。
「ちょっ、エメラルダさん、どうしましたの?」
見れば、エメラルダは、目に涙を溜めつつも、懸命に虚勢を張っていた。
「み、ミーアさま。怖いんでしたら、無理しなくっても大丈夫ですわ! い、いざとなれば、この星持ち公爵令嬢たる私が、この身に代えてでもお守りいたしますわ。私の兵たちも、きっと私のために命を懸けてくれるはず……。で、ですから、ご安心くださいませ」
どうやら、エメラルダ……、うつむいてぶつぶつ言っているミーアを見て、怯えていると思ったらしい。
「いえ、エメラルダさん、ですから、この程度はなにほどのこともないと……」
「ええ、ええ、わかっておりますわ。ミーアさま。ですけれど、怖いならば、怖いと言っていただいても、かっ、構いませんわ! 私がついておりま……ひぃっ!」
怯えつつも、燃え上がるお姉ちゃん魂を炸裂させるエメラルダ。それを見たミーアは、
――もしも、革命の時に、エメラルダさんと一緒に逃げたら、こんな感じだったのかしら?
などと、想像してしまうのであった。
あの時は、グリーンムーン家が国外に逃げてしまったため、エメラルダと逃避行、などということはなかったわけだが。あの不安しかなかった逃避行も、こんな風に慌てふためくエメラルダとなら、案外、気楽でいられたかもしれないな、なんて思ってしまって……。
――ふむ、まぁ、仕方ありませんわね。少々暑苦しいですけれど、エメラルダさんも怖いのでしょうし、このぐらいのことは許してあげますわ。
ひどく寛容な気持ちになるミーアなのであった。非常に珍しいことである。
ちなみに、同じころティオーナとリオラが乗る武闘派令嬢たちの馬車では、二人が弓と矢の具合を確かめていた。
「リオラ、馬車の中から狙える?」
「問題ない、です。やれる、です」
自信満々頷いて、リオラは微笑みを浮かべた。
「そう。うん、私もなんとか当てるだけならできると思うから、いざとなったら……」
「胴体の真ん中を狙うといい、です。体は鎧で防がれるかもしれない、けど、遠くからでも当てやすいし、上手くいけば首を貫ける、です……」
剣呑な会話が繰り広げられる一方、さらにその一台前の馬車では……、
「ふわぁ! もしかして、ディオン将軍の戦いぶりがみられるんでしょうか?」
「あれ? ベルちゃん、あのディオンって人のこと知ってるの?」
きょとん、と不思議そうに首を傾げるシュトリナ。対して、ベルは嬉しそうに頷いて、
「はい。ボクの大恩人なんですよ」
「そうなの? でも……、ううん。そっか、そうなんだ」
なにか、納得がいかないような顔をしていたシュトリナだったが、すぐに笑顔で首を振る。
事前に調べていた情報の真偽など、今の彼女にはなんの価値もない。
大切なお友だちが嬉しそうに、自分の過去のエピソードを語ってくれる! そこにこそ、シュトリナは価値を置いているのだ。陰謀よりも、お友だちとのお話が大事!
そう、今の彼女は立派な『貴族女子』なのだ。さらに……!
「ねぇ、ベルちゃんは、ああいう強そうな男の人のことが好きなの?」
「へ? ボクですか? うーん……、ボクはどちらかというと、強くて格好いい人がいいな……」
「へー。具体的にどんな人? 強くて格好いいというとアベル王子とか?」
「えへへ、みんなにはナイショですよ? ボク、てんび……じゃない。シオン王子みたいな人が好きで……」
……アベルお祖父ちゃんは泣いていい。




