第六十九話 帝国の叡智の剣として
「うん、なかなかいい腕だ」
自らに向かってくる矢を見やりながらディオンはつぶやく。
山なりの曲線を描き、飛来する矢の、そのどれもが的である自身を外してはいないことに、ディオンは満足の笑みを浮かべる。
狙いがつけやすいよう、わざと一定の速度で馬を走らせてはいるのだが、それを差し引いてもなお、敵の腕はかなりのものだった。
地面はおろか、馬にまで向かっているものはなく……それゆえに……、
「防ぎやすくて助かるよ」
あえて躱すことなく、ディオンは正面から迎え撃つ。
神速の剣閃が、複雑な軌道を描いて走る。稲光のごとき光は、まるで、初めから予定されていたかのように、矢の軌道を正確に走り……。そのすべてを弾き飛ばした!
それは、まるで結界。
さながらディオンの前方に、風の壁でもあるかのように、放たれた矢のことごとくが軌道を変え、明後日の方向へと飛んでいく。
「しかし、馬上であるにもかかわらず、これほど正確に弓を射るとは……。我が帝国の騎兵でも無理だろうね」
馬上で的を射るのは、非常に難易度が高い芸当だ。
帝国における弓兵とは、しっかりと安定した足場で狙いをつける狙撃射手か、あるいは、大集団によって、面で狙いをつける弓兵かのいずれかだ。
「馬の上から狙撃射手並の精度で撃ってくるとはね。やっぱり、ただの盗賊じゃなさそうだ……っと」
直後、ディオンは左手を上げる。首筋あたりに伸ばした手には、刹那の後に一本の矢が握られていた。
「時間差をつけての狙撃か。んっ……?」
矢の先端、ぬめりのある樹液のようなものを見て、ディオンは目を細めた。
「しかも毒矢、ね。かすっただけでも致命傷ということか。なるほど、並みの兵士なら死んでいただろうけど……。これでやりやすくなったかな?」
快活に笑うと、ディオンは盗賊たちのほうに目を向ける。それから、手に持った矢を、高々と真上に投げ、
「我が名は、ディオン・アライア。栄えある帝国の叡智、ミーア皇女殿下の剣である! 命一つ懸けることなく、安全圏から射殺せるとは思わないでもらおうか」
次の瞬間、落ちてきた矢を一閃、二閃、三閃。
四つに切り裂かれた矢を、わざとらしく見せつけてから、
「命のいらぬ者から、かかってくるといい。ああ、三人以上、同時に襲ってくるのをお勧めしておこうか。いらぬ命とはいえ、無駄遣いを見過ごすのは、心が痛むからね」
そう言ってから、ディオンはすかさず、盗賊たちを見据えて威圧する。
彼の名を聞いた盗賊たちに、かすかに広がる動揺の波。それをディオンは見逃さない。
――なるほど。僕の名前を知っているか……。やはり、狼使いとつながりがあるのか……。あるいは、僕の悪名は、ついにサンクランドまで広まったということかな?
ディオンが名乗りを上げた目的は二つあった。
一つは、盗賊団と狼使いとの間につながりがあるか確認すること。
もう一つは、その名を誇示することによる、恫喝だ。
――もしも、僕が狼使いだったら、ディオン・アライアには、なにがあっても手を出すな、と言うだろう。もちろん、ディオン・アライアに匹敵する剣の腕を持っているならば、別だが……。
もし、そうならば、自らの名前は、相手に撤退を促す武器となるかもしれない。
「まともにぶつかり合っても、負けはしないだろうけどね」
一兵士としては、それでも良い。相手を打ち負かし、全滅させるか、あるいは、撤退に追い込めば、とりあえずの勝利と言えるだろう。
だが、兵を率いる立場からすると、それは最善手ではない。
なぜなら、兵は戦えば疲弊する。体力ならば回復するだろう。あるいは、治る怪我ならば良いかもしれない。されど、死ねば……、あるいは重傷を負い、二度と戦えなくなれば、軍は消耗するのだ。
鍛え、練度を高めた、手塩にかけた兵士たちが消耗する……。それは看過できぬ損害だ。ゆえに、軍にとっては、戦端が開かれてしまった時点で、最善ではない。
――戦わずして勝つ、ね。ああ、まったく……。この僕が将のようなことを考えなければならないとは……。
一兵士であれば……、ただ、己が剣腕をもって、敵をねじ伏せればよかった。
されど、帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンの剣としては、それでは不足なのだ。
「とまぁ、僕にできるのはここまでかな……。これでもかかってくる命知らずなら仕方ない。我が剣の錆になってもらおう」
未だ引かず、さりとて、一気に攻めてくることなく、緩やかに包囲網を形成する盗賊たち。ディオンには彼らの心情がなんとなく理解できた。
「馬車を守りつつ戦う相手なら、あるいは、たった一人の相手ならば、討ち取ってしまえるかもしれない。ここで、ディオン・アライアを討ち取ることができれば、ことを有利に運べるかもしれない……。そんなところかな。あるいは、後ろの馬車が乗せている人物に興味を持ったか……」
いずれにせよ、それは死に至る選択だ。
「狼使いがいれば、迷うことなく撤退の判断をしただろうけれど……、ああ、でも、あいつがいたら、今度は僕のほうが斬りかかってただろうな。そのほうが楽しいから」
さて、どうなるか、事態をもう少し見守ろうとしていたディオンだったが……、直後、事態が急変する。
「王国軍だ!」
悲鳴のような声、と同時に遠くに見える土埃。
軍馬の蹄が大地を削る音とともに、遠く、騎馬の一団が見える。
帝国最強の鬼神、ディオン・アライアと王国軍の双方を相手取るという無謀を、盗賊たちは選択しなかった。
直後、盗賊団の放つ殺気立った空気が減ずるのをディオンは感じる。と同時、賊の馬首が一斉に翻った。襲撃してきたのと同じ、一糸乱れぬ動きで、その場から逃げ去る盗賊団に、ディオンは、ほう、と感心の声を上げる。
「やはり見事だ。あれでは、追跡も叶わないだろうな……おや?」
「ディオン殿!」
視線を転じたディオンは、王国軍の先頭に、見慣れた少年の姿を見つける。
「シオン殿下直々に騎兵を率いるか。アベル王子といい、なかなかに勇ましいが……はてさて、これもミーア姫殿下の計画の内なのかな……」
小さな声で独り言ち、ディオンは剣を収めた。




