第六十八話 叡智持つ策略家()ミーア
――うふふ、ああ、とても上手くいきましたわ。
今回の旅行に際して、ミーアは珍しくしっかりとしたタイムスケジュールを組んでいた。いかにして、問題の日、問題の場所にディオンを送り込むのか、きっちりしっかり、計画を立てていたのだ。
そして、計画は思いのほか順調に実現しつつあった。馬車が壊れたこと以外には、ほぼ予定通りであるといって良い。
その馬車の遅れにしても、途中で町に立ち寄る予定を中止にし、商隊と同行することで、修正した。
計画の実現まで、あとわずかといったところだった。
――さて……最後の問題は、どうやってディオンさんをシオンたちのところに送るか……ですわね。偵察に行っていただくという名目で先行してもらうのが良いかしら……。
ミーアの目的は、シオンを、ディオン・アライアによって守らせることであって、自らが助けにいくことではない。断じてない!
当たり前である。いくらシオンを救うためとはいえ、まさか、ミーア自身が危険な場所に飛び込むわけがない。というか、行ったとしても役に立つとも思えない。
そう、ミーアはあくまでも影で動く存在。
――そうですわ。わたくしは策略家なのですわ。自分で手を下すことなく、この叡智によって事態を操るのですわ……。うふふ……。
などと……、今まさに、大きな大きな波の頂上にいるミーアは、完全に忘れていた。
人生とはままならぬものなのだ、と……。波の頂上に上ったからには、あとには落下が待っているものなのだ、と。
ミーアは、忘れていたのだ。そんなミーアの油断が招いたのか……、唐突に、ガクンっと馬車が揺れた。
……直後!
「盗賊だっ! 襲ってくるぞっ!」
前方から、声が聞こえた。
「…………はぇ?」
事態は、あっさりと、策略家ミーアの支配を外れていった。
「盗賊かー……」
前方から回り込むようにして接近してくる者たちに、ディオンは静かに目を向ける。
「それにしては、よく訓練されてるなぁ……」
一糸乱れず隊列を組んで馬を駆る彼らは、帝国正規軍の騎兵に勝るとも劣らない練度を誇っているように見えた。
「鮮やかな包囲だ……」
「ディオン隊長!」
「もう、隊長じゃないよ」
そばに寄ってきた元の部下に、ディオンは苦笑いを浮かべた。
「それより、護衛の動きは?」
「商人たちの雇った護衛はお察しですね。グリーンムーン家の護衛も頼りない感じで。ああ、ランプロン伯の兵は、さすがに我々に匹敵するぐらいの練度じゃないかと」
「ふーん。なるほど。まぁ、普通の盗賊なら、それでことが足りるんだろうけど……」
あの盗賊、ちょーっと普通じゃないっぽいんだよね……などとつぶやいている間にも、盗賊たちの乗る馬は、こちらの脱出路をつぶすように動いていた。
「どうします? 我々で切り込みますか?」
「んー、バノスがいるんなら、それでもいいんだがなぁ。ちょっと被害がシャレにならないか……。ふーむ」
「おや? 珍しいですね。ディオン隊長が悩むだなんて……。てっきり単騎でも突っ込むのが隊長かと思ってましたが……」
怪訝そうな顔をする元部下に、ディオンは苦笑いを浮かべた。
「いや、なに……。姫さんが、なぜ、この僕を呼んだのかと思ってね……」
普通に考えれば、まさに、あの盗賊のような者たちに対しての備えであろうし、例の狼使いが襲ってきた時の対処だろう。
けれど……、
――うちの姫さんは、人死にを嫌うからなぁ。そのための備えとして僕を呼んだのだとしたら……。
脳裏に浮かぶのは、以前、レムノ王国の革命騒動を、被害を出さずに、解決へと導いたミーアの手腕だ。
「今回も同じようなことを期待されてるとしたら……、そして、例のあの男とあの盗賊たちにつながりがあるのだとしたら……?」
そうして、ディオンは、やれやれ、と首を振った。
「で、どうしますか? なにか、俺らはいつでも行けますが」
「ああ、そうだねぇ。まぁ、剣を交えずして勝つというのが、どうやら最上の策だという話だからね。とりあえずは、試してみるさ……はっ!」
馬を駆り、ディオンが前方に進み出る。それに続いて来ようとする近衛たちに、声をかける。
「お前たちは、姫さんの守りを頼む。もしも、オオカミを連れた男がいたら、すぐに僕を呼べ。命を懸けろとは言わないよ。死んで時間を稼げ」
「ひゅー、さすが隊長!」
「相変わらずの鬼っぷりだ!」
部下たちの歓声を背に、ディオンは盗賊たちに一直線に向かっていく。
剣を抜き、馬上で構える。
「無駄な抵抗をするな! 荷物さえ渡せば、命は保証する」
そう言って、先頭にいた盗賊が弓を放った。
風切り音を鳴らしながら、迫りくる矢。
それをしっかりと見据えたディオンは、闘争の気配に、豪胆な笑みを浮かべて、
「ああ、命を張るのは久しぶりだ」
剣を真横に振るった。
ザンッと鋭い音を立て、真っ二つになった矢が地面に落ちる。
「勇敢なる盗賊の諸君! 命が惜しければ、もっと矢を放ったほうがいいぞ。この僕が、君たちの命を刈り取りに行かぬうちにね」
高々と放たれた挑発、それに応じたのは、数十にも及ぶ必殺の矢だった。