第六十二話 御前会議
サンクランド王国の王城、ソルエクスード城の一室にて。
四角いテーブルを囲むようにして、七人の男たちが座っていた。
中心に座るのは、白銀の髪に鋭い瞳をした男、引き締まった長身を豪奢な服に包み込んだ、その男こそこの国の王、エイブラム・ソール・サンクランドであった。
宰相からの報告を受けたエイブラムは思わず、眉をひそめた。
「巧みに馬を駆る盗賊団……か」
「さようでございます、陛下。我が国の精兵を置き去りにするほどの乗馬技術、ただの盗賊とも思えませぬ。あるいは、かの騎馬王国の手の者ということも……」
「ほう……。シオン、お前はどう思う?」
王の視線を受け、シオン・ソール・サンクランドは背筋を伸ばした。
「はい。陛下……、私は……、軽々に判断すべきことではないと考えます」
「……理由は?」
「国同士の争いが起これば、多くの民が苦しむことになりましょう。騎馬王国の仕業と決めつけてしまうのは、時期尚早というもの。それに、理由もなく騎馬王国が、我が国を攻めるはずがない」
「ははは、シオン殿下は、まだお若いですな」
参加者の一人が、豪快な笑い声をあげる。
「すべての国が、我が栄光あふれるサンクランドのように賢明な判断ができるなどとは、思わぬことです」
サンクランドへの誇り、自分の仕える国王へのあふれるばかりの忠誠、それを隠そうともせずに男、ランプロン伯は言った。
「安直な領土拡大のために、大義なく他国を侵略する、そのような愚か者も世の中にはいるのです」
「言葉が過ぎるぞ。ランプロン伯。貴公の言いようは、平時に乱を起こすもののように聞こえるな」
「おや、これは心外な……」
御前会議は政治の場、貴族同士の駆け引きの場。
シオンの好むところではなかった。
セントノエルを卒業するまでは、そこまで積極的に政に参加しようとは思っていなかった彼であったが、多くの出会いを経て、少しだけ考えを変えていた。
特に多大なる影響を受けたのは、言うまでもなく、自分と同い年ながら、国の改革にまい進する、かの帝国皇女の姿だった。
――今ごろ、ミーアたちは何をしているだろうな……?
瞼の裏に浮かぶのは、紫の衣を身にまとった、ミーアの凛々しい姿。
されど、耳に響くのは、別の少女の言葉だった。
――話せる時に話さなければ後悔する……か。
ティオーナ・ルドルフォンの切実な言葉が、耳の奥に木霊する。
ミーアに言いたい言葉があるのは、確かなこと。
――恐らく俺は、ミーアのことが……。でも、今の俺にそれを言う資格があるだろうか?
レムノ王国での失敗。胸に刻み込まれし苦い後悔と、自らの未熟が、シオンがその言葉を口にすることを許さない。
――汚名返上の機会は自分で作る……。そう思っていたのだがな……。
そんな風にシオンが物思いに耽っている間に、事態は動いていた。一人の者の発言に、場が騒然とした。
「最近は、騎馬王国の部隊が国境付近で何やらやっているとの情報もあります。やはり無関係とは思えませぬな。民の苦しみを和らげるためにも、すぐさま、軍を国境に派遣するのが肝要かと……」
声を荒げ、興奮するのは、先ほどのランプロン伯だった。
彼は、サンクランドの伝統的保守層に当たる「領土拡大派」の貴族だった。
無能な王に統治されるより、栄光あるサンクランド国王に統治されたほうが人々の幸福になるだろう、というのが彼らの主張だ。
それは、あの白鴉のグレアムが持っていた考え方に他ならない。
そして、その思考から、必然的に、彼らは他国の主権を軽んじる傾向にあった。
シオンは静かにため息を吐き、それから、凛とした声を上げる。
「陛下、現段階では軍を動かすには及びません。私が直接、一隊を率いて対応に当たり、なにが起きているのかを見極めたく存じます」
様々な思惑が絡み合う会議。そして、清濁併せ呑むのが政治というもの。その渦中にあっては、迷い、悩むことは数多くある。されど、シオンは揺らぐことはない。
それは、彼の中にある正義という信念によるもの……、ではなかった。
あの日の苦さが、彼の正義の天秤の傾きを調整する。
――ミーアならば、どうするだろうか?
帝国の叡智という見本(大いなる勘違い)、彼女が正してくれた価値観に照らし合わせれば、おのずから答えは出るものだ。
「我ら王族に与えられし、不正を正す剣は鋭い。ゆえに、使いどころを誤れば、多くの民を苦しめることになります」
そう言って、シオンは自らの父を見つめる。
「シオン殿下御自らがご出陣とは、いささか危険ではありますまいか?」
慎重論が出る中、シオンは断固として首を振る。
「民の苦しみを放置するは、サンクランドの王家がよって立つ根拠を揺るがすことにもつながります。されど、新たな民の苦しみを生み出すような、短慮なことはするべきではない。真実を見極めるためにも、どうか、陛下、ご命令をいただきたく」
そうして、シオンは立ち上がると、父の足元に片膝をつき、頭を垂れる。
国王は、そんなシオンを満足げに眺めてから、深々と頷いて見せた。
「そうか……。それならば、特別にお前に命じよう。シオン、兵を率いて盗賊の討伐に当たれ」
「はっ。必ずや、陛下のご期待にお応えしてご覧に入れます」
かくて、シオンが盗賊団の討伐部隊を率いることが決まったのだった。
「相変わらず、無茶が過ぎますよ。シオン殿下」
討伐隊の指揮に就くと聞いた時、キースウッドは、呆れたように首を振った。
「殿下になにかあったら、サンクランドがどうなるのか、とか、お考えにならないわけではないでしょうに……」
「そう言うな。キースウッド。これもまた、善き王になるための修行だよ」
涼やかな笑みを浮かべるシオンではあったが……、キースウッドとしては一抹の不安を拭えないでいた。
――最近のシオン殿下は、どこか焦っているように見えるんだよなぁ。
最近……というよりは、明確に冬以降のことだった。
ティアムーン帝国の帝都にて、皇女ミーアの生誕祭に参加して以降のこと……。
――あの日、なにかあったのか? しかし、特に気になるようなことはなかったが……。
と、その時だった。
「兄上!」
出陣の準備をしていたシオンのもとに、駆け寄ってくる者がいた。
年の頃は、十代の初め、シオンとよく似た白銀の髪を背中のあたりまで伸ばした少年だった。その体は、鍛練により、引き締まった体躯のシオンとは違い、華奢で儚い印象すら受けてしまう。
少年の名はエシャール・ソール・サンクランド。今年、十歳を迎えることになる、サンクランドの第二王子である。
「兄上、聞きました。自らが盗賊の討伐に出られるのですか?」
心配そうに瞳を瞬かせるエシャールに、シオンは安心させるように笑みを浮かべた。
「ああ。そうだ。まぁ、油断をするわけではないが、ともに行く者たちは、みな手練れだ。キースウッドもいるし、心配には及ばない」
「ですが、兄上……、もしも兄上になにかあれば……」
「ははは、ご心配めさるな。エシャール殿下。シオン殿下は、エシャール殿下ほどの時には、もう大人顔負けの剣を振るっておりましたからな」
なおも心配そうなエシャールに、老境の騎士が豪快な笑い声を上げた。
それに続くように、周りの騎士たちは口々にシオンを褒めたたえる。
「シオン殿下は剣の天才。盗賊団ごときに遅れをとったりはいたしませぬよ」
「エシャール殿下も、シオン殿下に剣を習えばわかりますぞ? どうです?」
それを聞いて、エシャールは、少しひきつった笑みを浮かべていた。
――そういうのは、あまりよろしくないんだがな……。
はたで見ていたキースウッドは、苦いものを感じる。
エシャールが、兄へのぬぐい難い嫉妬、プレッシャーに苛まれていることに気付いていたからだ。
そして、二人の王子の不和は、派閥抗争を好む貴族たちにとっては、つけ入る隙となる。
――と言って、俺が声をかけるわけにもいかないんだけど……。
兄弟王子の間に生じた微かな亀裂……、それが大きくならないことを祈るキースウッドであった。