第六十一話 たぶん……きっと……
――サンクランド行きを決めてから、ミーアさまの様子がおかしい。
ティアムーン帝国の大図書館にて、うんうんうなっているミーアを見つけたルードヴィッヒは、眉根を寄せる。
――やはり、此度のサンクランド行きには、なにか重要な理由があるということか……。
今回の話を聞いた時、ルードヴィッヒが予想したのは二つの理由だった。
一つはもちろん根回しだ。
サンクランドはティアムーンに匹敵するほどの大国である。ミーアが女帝を目指すというのであれば、シオンのみならず、広い根回しが必要となるだろう。
もう一つは、エメラルダの縁談である。
四大公爵家の一角、星持ち公爵令嬢のエメラルダは、ミーアにとって最大の味方だ。他の公爵家の令息、令嬢ともきちんと関係を築いているミーアであるのだが、恐らく最も信頼を置いているのが、エメラルダのはずだった。
帝国内の中央貴族を治める上で、四大公爵家の協力は必須のものである以上、彼女の存在は、ミーアにとって極めて重要なものといえる。
そんなエメラルダを国外に出そうとする者がいる。
――ミーアさまが女帝になることを阻もうとする、そんな力が働いているということか……。ミーアさまの派閥の力を、何者かが削ぎに来たと考えるべきだろうが……。
そう、そこまではルードヴィッヒも理解できる。
それを阻むため、ミーアがサンクランドに乗り込むというのも、十分に頷ける行動だ。国内への牽制と、反女帝派と結びついたサンクランド王国内の勢力の見極め、さらにエメラルダに対する鼓舞、などの効果を狙ってのことだろう。
しかし……、
――ディオン殿を連れて行こうというのが気にかかる。
いざという時の備えが必要なことはルードヴィッヒにも理解できる。けれど、それならば、皇女専属近衛隊で十分足りるはずである。にもかかわらず、ディオン・アライアという圧倒的な武力を同伴させるというのは、どういうことなのか……。
「それほどの危機が待ち受けているということか……。こちらもそのつもりで準備を進めておくべきだな」
ぽつりとつぶやいてから、ルードヴィッヒはミーアのそばに歩み寄った。
「ミーア姫殿下……」
「あら、ルードヴィッヒ。調べものですの?」
「ええ、先日、痛感いたしました。ベルさまには、やはり、基礎的な教育が必要なようです」
今度のサンクランド行きにはベルも同行すると聞いたルードヴィッヒは、その間に、ベルにみっちりと教育を施そうと考えていた。
無論、本当はミーアの様子が心配で来たのだが、それを素直に言うこともない。
「ベルさまを見る限り、一応は師がいるようですが……。少々、力不足のようですね。教え方に甘さが見られます。厳しくするところは厳しく、緩めるところは緩める。そうしたメリハリが教育には必要なのです」
そう言うと、ミーアは、なんとも言えない複雑な顔をした。
「……そう。まぁ、ほどほどにお願いいたしますわね。くれぐれも、その……、心が折れないように……」
「心得ています。生徒の心を折ってしまうのは、教える者としては最低なことですから」
「いえ……あなたが、なのですけれど……」
「え……?」
首を傾げるルードヴィッヒに、ミーアはまたしても、なんとも言えない顔をして、
「まぁ、いいですわ。お願いいたしますわね」
「かしこまりました。ところで、ミーアさまも調べものですか?」
「あ、ええ、まぁ、そうですわね。せっかくですし、いろいろとサンクランドの状況を見て回りたいと思いまして。旅の計画を立てておりますの」
ミーアの目の前の机には、サンクランド王国の地図が広げられていた。
さらに、開きっぱなしになった本には、各地の産業や町の様子などの情報が書かれていた。
「なるほど、さすがはミーアさま」
思わず感心してしまうルードヴィッヒである。
今回のサンクランド旅行には、重要な目的がある。されど、その目的のみに囚われず、ついでにサンクランド内の各地の視察もしてしまおうというミーアの合理性に、ルードヴィッヒは感心した。
――食べ物は産業の基本的な部分だ。今後の帝国の発展には不可欠な要素、女帝として他国の事情を把握しておきたいと、きっとそういったことなのだろう。この貪欲さ、この合理性が帝国の叡智たるゆえんということか……。さすがだ、ミーアさま……。
――さすが……? はて……?
ミーアは首を傾げつつ、手元の本……サンクランドのグルメ本に目を落とした。
各地の名産品や、各町の名物料理などがまとめられた本である。
正直、ルードヴィッヒに感心される要素は、あまりないように思うのだが……。
――まぁでも、たしかにわたくし、今は褒められても良いことをやっておりますし、気分は悪くありませんわね……。
そうなのだ。ミーアは、現在、非常に真面目に頭を使っているのだ。
ミーアは考えた末、自分がエメラルダに同行することをサンクランドに伏せていた。エメラルダのお友だち枠で、サンクランド入りをするつもりなのだ。
それは、不確定な要素を排除するためであった。
未来予知的読み物の第一人者であるミーアは知っている。
自分の行動が予期せぬ影響を与え、未来は案外簡単に変わってしまうのだということを。
今回の場合も同じだ。シオンが、殺される場所や時間が変化してしまうかもしれない。
――例えば、わたくしが行くなどと言えば、恐らく学友であるシオンが迎えに来る可能性が高いですわ。
それにより、シオンは危険から遠ざかるかもしれない。けれど、そうはならないかもしれない。迎えに来るというのは絶対のことではないから、皇女伝の記述通りの場所で死ぬ可能性も当然残される。
逆に、ミーアの出迎えに来るがゆえに、別の危機に巻き込まれることだってあり得る。
ただの盗賊との抗争であるならまだしも、これがシオンの暗殺を企図したものであるとするなら、形を変えてシオンは危機に陥ることになるのだろう。
――それはとても厄介ですわ。それよりは、この記述の通りに物事が進んでいってもらえたほうが良いですわ。
ゆえにミーアは腐心していたのだ。シオンが死ぬ日に自分がそばにいるという状況を作り出すために。自分が……というよりは、ディオンが、であるが……。
――そのために、どこで寄り道をするのか……、それが問題ですわ!
それこそが、一番の悩みどころだった。
エメラルダが想定していた通りのルートで行ったのでは、シオンが殺される現場には行けない。さすがに、そこまでは都合よくはいかないのだ。
――美味しいお食事が食べられて、珍しいキノコでもあれば理想的。果物狩りやキノコ狩りができる環境ならば言うことなしなんですけれど……。
いずれにせよ、ミーアが寄り道してもおかしくない場所を選ぶ必要があった。そうしないと不自然だからだ。
何もない田舎町などに数日滞在、などするのは、いかにも不自然。その上、エメラルダが同行するとなれば、退屈したエメラルダが何をするかわからない。
――ふむ、サンクランドの名物料理は……ほう、川魚が美味しい……。なるほど、ということは、この川沿いの街を予定に入れて、それで……。
あくまでも、自然に、シオンを助けに行くためである。
別に、サンクランド旅行を楽しみ倒そうというわけではない。
あくまでも……真面目な理由なのだ。たぶん……。
「ほほう、この干しキノコ、サンクランド特産のものなんですのね。どこで買えるのかしら……」
……きっと。