第六十話 ミーア姫、本当にすべきことを始める!
「それにしても、ベル、あまり適当なことをやってはいけませんわ」
「適当なこと……?」
きょとりん、と小首を傾げるベルに、ミーアは苦言を呈する。
「ペルージャンでやった演舞を見せていたのではなくって?」
「あ、はい。そうなんです。リーナちゃんが、どうしても見たいって言うから……」
そう言ってから、ベルはシュトリナのほうに顔を向ける。
「リーナが見せてって頼んだんです。ベルちゃんのダンス見たかったなぁ、って」
「それはいいんですけれど、ベル、ところどころ違っておりましたわよ? やるならきちんと踊らなければいけませんわ」
などと言いつつ……、シュトリナの様子を観察して、ミーアは、ふむ、と鼻を鳴らす。
――リーナさん、ベルと一緒にペルージャンに行けなかったのが残念そうですわ。将を射るにはまず馬からと言いますし……。つまり、リーナさんを一緒に連れていきたければ、ベルを先に連れていけ、ですわ!
ミーアは、いち早く相手のウイークポイントを看破! それからベルのほうに目を向ける。
「ベル、実は急な話なんですけど、エメラルダさんと一緒にサンクランド王国に行こうと思っておりますの」
「えっ? サンクランド王国!?」
ベルがキラッキラと目を輝かせるのを見て、ミーアはにっこりと微笑んだ。
ミーアにとってベルを操ることは、そう難しいことではないのだ。なにしろ、ベルは……ミーハーベルなのだから!
――シオンの故郷であるサンクランドを訪れる機会を、ベルが逃すはずもありませんわ。
そんなミーアの予想通り、ベルは二つ返事で同行を了承する。
はたで様子を見ていたシュトリナは、しょんぼり肩を落とした。
「せっかく、ベルちゃんと遊べると思ってたのに……」
……やっぱり、遊ぶ気満々だったらしい。まぁ、今はそれはいいとして……。
「それなんですけど、せっかくですし、リーナさんにもぜひご同行いただけたら、と思っておりますの」
「え……? リーナも……?」
ぱちぱちと瞳を瞬かせるシュトリナ。ミーアは優しげな笑みを浮かべたまま頷いた。
「ええ。もちろん、ほかに予定があ……」
「絶対行きます! お誘いいただきありがとうございます、ミーアさま!」
シュトリナはそう言うと、深々と頭を下げた。
「リーナの心からの忠誠心をおささげ致します」
「……こんなことで心からの忠誠心をささげられても困ってしまいますけれど……でも、大丈夫ですの? お父さまにおうかがいを立てなくても……」
「ふふ、大丈夫です。お父さま、リーナのこと大好きですから。このぐらいのわがままなら許してくれますから」
にっこり笑みを浮かべるシュトリナ。その、花のような笑みは……、花は花でも魔性の花、どこか妖艶な雰囲気を持ったものだった。
「あー、まぁ、リーナさんがそれでよろしいのなら、いいのですけど……。それと……」
と、ミーアは、そっとシュトリナに耳打ちする。
「できれば、暗殺によく使われる毒の解毒薬を、揃えて持っていくようにしていただけないかしら?」
「……解毒薬……? 毒薬ではなくってですか?」
眉を顰めるシュトリナに、ミーアは静かに首を振る。
「覚えておいていただきたいのですけれど、暗殺というのは、わたくしにとっては下策ですわ。ゆえに、わたくしが毒を用いて他人を害することは決してございませんし、それを許すつもりもありませんわ」
なにしろ、暗殺した人間に過去に戻ってやり直し、などと始められたら大変だ。
――わたくしは、温厚で寛容な性格ですからシオンやティオーナさんを害そうなどと、物騒なことを考えませんけれど、ほかの者がそうとは限りませんし……。
ゆえに、他人を殺すことで、やり直しをさせる危険を冒すことはしないし、もし、過去に戻ってやり直しを誰かがやった時のために、極力恨みも買わぬように立ち回るのがミーアの基本線である。
「それに、ベルのお友だちの手を汚させるようなことは、決していたしませんわ」
そう断言してやってから、ミーアは続ける。
「ただ、リーナさん……、今回は少しばかりの危惧を抱いておりますの」
「危惧……ですか?」
「ええ……。時期的にもそろそろあの蛇たちが動き出すやもしれませんし……、一応、念のために備えをしておきたいんですの。イエロームーン公爵家が持つ、その知恵をわたくしに貸していただけないかしら?」
そのミーアの言葉に、シュトリナはそっと背筋を伸ばした。
「はい、わかりました、ミーア姫殿下。リーナの持てる知識のすべて、我がイエロームーン家のすべての知恵をもって、ミーアさまのご期待に応えてご覧に入れます」
「ええ、よろしくお願いしますわね」
シュトリナの了承を得たことで、ミーアはあらかた必要な陣容を整えた。
盗賊団を始め、武力的な事態に対する備えとしてディオンと皇女専属近衛隊を。
陰謀などの知略的な事態に対する備えとしてルードヴィッヒを。
毒を用いての暗殺に対する備えとしてシュトリナを。
あとは、医学的な人材としてタチアナを連れていければベストなのかもしれないが、今は遠くの地にいる彼女を呼び寄せるわけにもいかない。
「ふむ、このぐらいで満足するべきですわね。あと、わたくしがやるべきことは……」
そうしてミーアは、ようやく、自らが本当にしなければならないことを始める。
それは……、
「サンクランドの名物料理……。名産のキノコは……」
かくて、ミーアはグルメ旅行……もとい、シオン王子救出のためのサンクランド行きの準備を進めていくのだった。
さて、もろもろの根回しを終えたミーアだったが……、肝心なところへの根回しを忘れていたことを思い出すことになる。
それは……皇帝、マティアス・ルーナ・ティアムーンへの根回しである。
「サンクランドへ行くだと!?」
ミーアから話を聞いた皇帝は激怒した。
「せっかく……、ミーアと一緒の夏を過ごせると思っていたのに……。こうなれば、ミーアと一緒にサンクランド旅行に……」
「やめてくださいまし、お父さま。話が大きくなりすぎですわ!」
かくて、ミーアは出立の日まで父親の説得に、頭を悩ませることになるのだった。