第五十六話 それぞれの夏
帝都へと向かう馬車の途上、おもむろに、ルードヴィッヒが話し始めた。
「改めまして、この度のペルージャン平定の件、お見事でした、ミーアさま」
「ふむ……、まぁ、たいしたことではございませんわ。このぐらい、わたくしにかかれば……」
などと、胸を張るミーア。
まぁ……実際のところミーアがやったことは、果物狩りをして、裸足で坂を上って、踊って、お友だちのお父さんと仲良くなってきただけであるが……。
なんだかんだで、楽しい夏休みを満喫中のミーアである!
それはさておき……、
「女帝を目指すにあたり、やはり、他国の要人の支持は不可欠なものでしょう。そういう意味で、ペルージャンは小国とはいえ隣国で友好国。その王家の支持を取り付けたのは大きいと思われます」
神聖ヴェールガ公国を中心とした文化圏では、セントノエル学園に見られる通り、各国の関係が緊密である。
貴族同士の関係性は国内にとどまらない。ミーアがセントノエルで築きたかった人脈も、まさにそれである。
「女帝として、戴冠の日を迎えるまでに、他国の有力者とも続けて関係を築いていただければと思います」
「そうですわね。なにしろ、帝国初の女帝ということになりますから、人脈はとても大切ですわ」
できれば、避けたいところですけど……などと付け足すミーアである。
「はい。しかし、それはそれとして、ラフィーナさまとシオン王子殿下を味方につけることができたのは、やはり大きいのではないかと思います。あの生誕祭で貴族たちに見せつけたのはお見事でした」
「うふふ、別に大したことはやっておりませんわ」
実際のところ、本当に大した政治工作をしていなかったわけだが……、それはともかく。
――あら、そう考えると、もしかして、わたくし……、もう女帝になれちゃったりするんじゃないかしら? ラフィーナさまだけじゃなく、シオンの……未来のサンクランド国王の支持が得られるんですもの。これだけ状況が整っていれば、もしかしたら……。
ふと、そんなことを思ってしまうミーアである。
――ふむ、そう言えば、最近は皇女伝のこと読んでおりませんでしたわね。帰ったら、チェックしてみようかしら……。
かくしてミーア一行は帝都への帰還を果たすことになるのだった。
さて……、一方のセントノエル学園にて。
ラフィーナ・オルカ・ヴェールガは、自室にて客人を待っていた。
本を読みつつ、待つことしばし……、やがて一人の男がやってきた。
ノックの音も軽やかに、部屋に入ってきたのは精悍な容貌の青年だった。後ろで結んだ長い黒髪、その引き締まった体躯は、思わず見とれてしまいそうなほどに鍛えられていた。
ラフィーナは、そんな男……、林馬龍に涼やかな笑みを向ける。
「どうも、お久しぶりね。馬龍さん」
「ああ、ラフィーナの嬢ちゃん、久しいな」
馬龍は、いつもと変わらず、堂々とした態度で片手を上げた。
「卒業したのに、馬の面倒をお願いしてしまって」
「いや、なに。俺自身も気になっていたことなんでね……。それに、騎馬王国は、定住地を持たないから、ヴェールガの近くにいる時に来る分には、さほど大変でもないさ」
勧められるままに、馬龍はラフィーナの正面に座る。そこには、騎馬王国で親しまれている夕紅茶が用意されていた。
熱いお茶を、躊躇なく一息で飲み込んでから、馬龍はラフィーナのほうを見た。
「で……、俺になにか用なのか?」
「あら? 遠路はるばるいらしていただいたお客さまにお茶をご馳走したいと思っただけですけど……」
「とぼけるなよ。多忙なラフィーナの嬢ちゃんは、俺なんかとお茶を楽しむなんて趣味はないだろう?」
「騎馬王国で最大の勢力を誇る林の一族の、次期族長候補、林馬龍殿との会合は、政治的に見ても意味があると思いますけれど……」
ラフィーナは、一度、そこで言葉を切り、
「私はともかく、馬龍さんは、少しお忙しいとお聞きしておりますから、本題に入りましょうか」
それから、静かに馬龍の顔を見つめる。
「昨年の冬、ミーアさんたちが命を狙われた件、ご存知かしら?」
「ミーア嬢ちゃんが? いや、初耳だな」
馬龍はわずかばかり驚いた顔で言った。
「ついこの前、見た時には元気そうだったが……」
「なんとか、無事に事なきを得たのですけど……、その時に、ミーアさんたちの命を狙った者がいた……。その男は、月兎馬である荒嵐よりも速い馬を乗りこなし、巧みに剣を使い、そして……、二匹のオオカミを連れていた」
「荒嵐に匹敵するほどの馬と、それを乗りこなす狼使いの戦士……ねぇ」
馬龍は、腕組みする。いつも飄々とした顔をしていることの多い彼であったが、この時は、少しだけ厳しい表情を浮かべていた。
「ええ、もしかしたら、心当たりがおありなのではないかと思って……」
ラフィーナはそっと、自らの紅茶に口をつけてから、上目遣いに見つめる。
「たしか、以前、お聞きしたことがあったと思うのだけど……。騎馬王国の失われた部族のこと……」
馬龍は、無言のまま、静かに頷いた。それから、考え込むように腕組みして……。
「去年の冬、か……。サンクランド近郊で暴れてる盗賊と、なにか関係があるかもしれないな……」