第五十四話 ペルージャンの夜明け~ケーキのお城の行き着く場所~
カーン、カカーン!
静寂を切り裂いて……。
カーン、カカーン!
夜の空気を震わせて……。
カーン、カーン! カカーン!
舞が始まる。
火の灯された祭壇、風に踊る炎に照らし出されるは、二人の姫君の姿……。
それは、アーシャとラーニャの姉妹姫の姿だった。
その顔を覆う、薄いベールをなびかせながら、二人は風に揺れる小麦のように、優雅に祭壇の周りを舞う。
ぎこちなさのない滑らかな動きに、その場に集う民は優しい微笑みを浮かべる。
「ラーニャさま、昨年は、もうちょっと……その、アレな感じだったけど……、ずいぶんとお上手になられた」
「本当だ、ご立派になられて……」
などと、我が子の成長を見守る親のような感想が口々にこぼれる。
くるり、くるり、祭壇を回るようにして、ペルージャンの姉妹姫の舞は続いた。
それは、いつもの年と変わりのない風景。懐かしくも、どこかホッとする、毎年の風物詩だった。
けれど、今年は、そこに変化があった。
カカーン、カカーン、カカーン!
聞き覚えのない木のリズム。それに呼応するように、闇の中から、カーン、カカーンっと音が響いた。
そちらに目をやった人々は、思わず息を呑んだ。
そこに立つ人物、その身にまとう衣装に人々の視線が集まった。
マレビトの衣装、それは、遠き東方の地より来たりし旅人がまとっていたものを模して作られたものだった。
布の色は、澄み渡る青空の色、長く垂れた袖には、金糸で小麦の柄が縫い込まれている。
煌びやかな帯には、芽吹きから実りに至る、果実の移ろいの刺繍がされていた。
そして……、それを身に着けたのは、白金色の髪が美しい姫君、ミーア・ルーナ・ティアムーンその人だった。
その後ろには、ミーアの従者、あるいは血縁のものだろうか?
同じ色の髪を輝かせる、愛らしい少女の姿があった。
二人は、呼吸を合わせ、音に合わせ……、ゆっくりと祭壇のほうまで歩み寄る。
「なるほど、今回は帝国のお客人がマレビトの舞を踊るのか……」
などと、のんびり見つめている彼らの目の前で――ミーアが躍動する!
祭壇の前までやってきたところで、リズムが変わる。
“静寂と穏やかさ”から一転、激しい落雷のようなリズムに。それは歓喜のリズムだった。
マレビトの舞は遥か昔、ペルージャンが興るよりもさらに前の、古代の伝承に由来するものだった。
かつて、この地に住まう農民たちは、枯れた土地に苦しんでいた。その時、やってきた旅人が、肥沃なる土地の存在を教え、導いたという。
その時の喜び、歓喜、感謝を表現するのがマレビトの舞なのである。
この激しいリズムはベルには難しく、必然的に中心となって舞うのはミーアだった。
優秀なダンススキルを誇るミーアが、気合十分に踊っている。
――来年も、どうか良き実りを。美味しいキノコをたっぷり、生えさせていただきたいですわ。あと、小麦。ケーキに必要ですし。ああ、それと果物ももちろん。甘いのをたっぷりと、収穫させていただきたいですわ。
などと考えていると、自然、舞にも気合が入ろうというものである。
さっと手を挙げる。そのしなやかな動きを追いかけるようにして、袖がふわりと踊り舞う。それを体に巻き付けるように、体を半回転。急停止して逆回転。
流れるような動から完璧な静、その立ち姿は指先すらも美しく、再びの動。緩やかな動き出しから、激しい炎のような動き。高く上げた足を、たーんっとつき、その場で小さくジャンプ。着地と同時に体を回し、両手の木をカカーンっと鳴らす!
激しくも、神々しさすら覚える完璧なる舞に、人々の心は一瞬で魅了されてしまう。
マレビトの舞が行われたことは、過去に何度かあった。されど……、されど、これほどまでに本気で、熱心に舞った者がいただろうか?
誰もが手を抜き、簡単に、お付き合いで終わらせようというところを、このミーア姫は、自分たちの姫と同様、否、場合によってはそれ以上に熱心に舞っている。
自分たちの収穫を祝うため、神聖なる演舞を、舞ってくれているのだ。
――キノコ、キノコ、美味しいキノコ。ケーキにフルーツ、ターコース。来年もできれば、みなで一緒に食べたいですわー。
……収穫祭に相応しい神聖(?)な願いを胸に躍るミーアである。
そんなミーアに近づいてくのが、ラーニャだった。
ミーアの舞に呼応するように、ラーニャの動きもまた激しい。時にミーアに近づき、時に離れ、まるでじゃれあう小鳥のように、二人は軽やかに舞い踊る。
笑みをかわしつつ楽しげに舞う二人の姫君に、人々は、あの日を思い出す。
あの日……、そう、黄金の坂を二人の姫が手を取り合って登ってきた日のことを。
帝国の姫が示した最大限の敬意と、ラーニャと共に並んで歩く、あの姿を……。
かくて、人々は熱狂する。
舞の見事さと収穫の喜び、そこに、あの日の歓喜が増し加わり、その熱狂は例年とは比べ物にならないものになった。
やがて、舞が終わっても、人々の歓喜の声は鳴りやむことがなかった。
そこに……、満を持してユハル王が歩み出た。
「今年の収穫の感謝を神に!」
「感謝を神に!」
祭壇を背に高らかに叫ぶ王。それに呼応して叫ぶ民。
「そして、誠心誠意、我らに向き合ってくださったミーア姫にも、感謝をしたいと思う」
ユハルは、やり切った顔でホッと一息吐いていたミーアに歩み寄った。
「見事な舞を、感謝する、ミーア姫殿下」
「ああ……いえ、上手く踊れていたなら、よかったですわ」
ミーアは、瞳を輝かせているベルを見て、ちょっぴり満足げな顔で頷く。
「ところでミーア姫殿下……、先日の問いの答えを今、この場でしたいのだが……よろしいか?」
そう言うと、ユハル王は再び民のほうに顔を向けた。
「みなに、頼みたいことがある。今日の光景を、覚えておいてもらいたいのだ。先日の黄金の坂での光景を、熱狂を、感動を、その心に、魂に刻んでもらいたいのだ」
ユハル王の、静かな声が響き渡る。
「みなは、見たはずだ。ここにおられるミーア姫殿下は、我らが知る帝国貴族とは違う。我らに真剣に向き合い……隷属ではなく、信頼の関係を求めてくださっているのだ」
おおおっ! と人々の口から驚きの声がこぼれる。
帝国貴族から属国だ、農奴だと蔑まれた彼らにとって、対等な信頼関係という言葉は、重い。それが、例え口先だけのものであったとしても、帝国の姫の口から出ることには大きな意味があった。
そして、彼らは知っている。
目の前の姫、ミーアは……、その言葉を証明するかのように、先日来、ずっと行動してきたのだ、ということを。だからこそ、その言葉は決して口先だけのものではないのだ、ということを。
「ゆえに、私は……、ミーア姫殿下と信頼による縁を結びたいと願う。仮に帝国の貴族がなにを言おうとも、我らはミーア姫殿下を信頼する。姫殿下は決して我らの信頼を裏切らぬ方。ゆえに、我らもまた姫殿下の信頼を裏切ることはない。ここに集いし我が民よ、我が同胞よ、ここに誓いを立てよ。これから先、どれほど苦しい時があったとしても、我らとミーア姫殿下との信頼は決して揺らぐことはないと……」
おお……おおおっと、人々の口からこぼれる歓声。それは、さながら波のごとく広がり、やがては王都、黄金の天の村を揺るがした。
ペルージャンの夜明けと呼ばれるこの日は、後の歴史書に刻まれる重大な日となった。
この日こそが、ペルージャン農業国にとっての分岐点となったからだ。
ペルージャン農業国。
ティアムーン帝国の南方に位置するこの国は、長らく帝国の属国と見なされていた。
ろくな軍隊を持たず、軍事的な城を持たぬこの国は、他国から攻められれば単独で対処することは難しく……、それゆえに帝国に依存していた。
けれど、後の世を生きる人々にとって、ペルージャン農業国は、農奴の国などでは決してなかった。
そこは、敬意をもって語られる国だった。
ペルージャン農業国……そこは、飢饉に対する“国家を超えた相互救済の仕組み”通称ミーアネットの本部が置かれた場所であったからだ。
ミーアネットの始まりを、いつにするかは、専門家の間でも議論が分かれるところである。
正式な立ち上げを考えるならば、ペルージャンの夜明けより三年の後、夏が再び暑さを取り戻した時であるし、その原型となる相互支援の取り組みは、その前ということになる。
そして、専門家の中にはこの年、この収穫感謝祭こそが、まさにミーアネットの始まりであった、という説を唱える者がいた。
なぜならば、ミーアネットの中核を担う人物たちが、その本部が置かれる土地であるペルージャン農業国にて、一堂に会したのが、実にこの時だったからである。
ミーアネットの代表として手腕を振るったクロエ・フォークロード。
迅速な食糧運搬のため、商人たちの協力を取り付け、強固な輸送網を確立したマルコ・フォークロードとシャローク・コーンローグ。
農業知識の普及に尽力し、大陸に安定した生産体制を確立したラーニャ・タフリーフ・ペルージャン。
そして……、大陸の貧困国を中心に、医療体制の充実を図った聖白衣の女神、タチアナ。
帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンのパン・ケーキ宣言のもとに集った、ミーアの友人たちは、飢饉と疫病の根絶のために尽力した。
そして、ペルージャンの人々は、それに全面的に協力した。
ケーキのお城は、平和の使者たちの本拠地として長く使われることになるのであるが……。
それは、もう少し先の未来の出来事である。
ミーア皇女伝 ペルージャンの夜明けの章より抜粋