第四十六話 ミーア姫、腕をブンブンする
シャローク・コーンローグが倒れた時、一番に動き出したのはタチアナだった。
崩れ落ちる巨体を受け止めようとして、受け止めきれずに、一緒に転倒。それでも頭だけは打たないようにしっかりガード。
それから、体の下から這い出すと気道を確保し……、最低限の処置を施す。
てきぱきと指示を出すタチアナを、ミーアは、ぼけーっと口を開けながら見つめていた。
せっかく、精神的にとどめを刺しにいったところを物理的に倒れられるとは、さすがのミーアも予想外だったのだ。
そうして、大の男四人がかりで運ばれていくシャロークの巨体を横目に、ミーアは、タチアナに話しかけた。
「シャロークさん、大丈夫なんですの?」
「あ、はい……。恐らく、ですが、一時的な発作ではないかと思います。呼吸も落ち着きましたし、少し横になっていれば……」
「あれは、なにかの病気なんですの?」
「病気……かどうかは、調べなければわかりません。ただ、同じような症状の話は聞いたことがあります。ある裕福な国の貴族さまが、あのような症状で亡くなったと……。その方は、美味しいものをたくさん食べて、一切、運動をせず部屋で生活していたそうです」
タチアナは難しい顔で、腕組みする。
「つまり、食べ過ぎと、運動の不足によって、あのような病にかかるということです」
タチアナの話を聞きながら、ミーアは自らのお腹をさすってみた。
――食べ過ぎと……、運動の、不足……っ!
「幸い、まだ間に合わないというほどではありませんが……、あの……、申し訳ありません、ミーア姫殿下……、私、シャロークさまのことが気になるので、行ってきてもよろしいでしょうか?」
「はぇ? あ、ええ……もちろんかまいませんわ。心配でしょうし……」
タチアナに話しかけられたミーアは、慌てて頷き……、もう一度、自らのお腹をさすってから……ふぅむ、と考える。
「シャロークさんが運び込まれた治療室は、どこにございますの? ああ、お城の中の、少し離れた場所……ふむふむ、なるほど……それは好都合……。たしかに気にはなりますしね……」
ミーアは、うんうん、と頷いてから、
「ならばタチアナさん、わたくしも一緒に行きますわ」
「え? なぜですか? ミーアさま」
きょとんと首を傾げるタチアナ。その純粋な視線を受けて、ミーアは、スススッとお腹を隠すように体の角度を変えてから……。
「なぜ……、えーと……、そうですわね」
……言えない。まさか、寝る前にちょっとでも運動しとかないと、ヤバイと思ったからなどと……。言えるはずがない。
ミーアにだってプライドというものがあるのだ。
かといって……お見舞いに行くというのもおかしな話だ。自分が行ったところで何ができるわけでもなし。そもそも敵同士なので、行ってやる義理もない。
むしろこの場で、ユハル王との会談を続けるのが普通ではあるが……。
ゆえに……、ミーアは難しい顔で考え込むことしばし……、やがて考えを開陳する。
「……シャロークさんが、弱っているからですわ」
そう、大将軍ミーアは知っている。戦で情けは無用。敵の弱った部分を徹底的に叩く必要があるのだ。
シャロークは今、弱っている。それゆえに、今こそ彼にとどめを刺し、二度と帝国に楯突くことがないようにする必要があるのだ。
断じて、運動のためではない。ミーアは、最後の戦いに赴くのだ!
と、まぁ、そんな具合に自分に言い聞かせつつ、ミーアはニッコリ笑みを浮かべた。
「ようやく、あなたの出番がやってきましたわよ、タチアナさん」
そう、シャロークにとどめを刺すための切り札、タチアナは、まさにこの時のために連れてきたのだ。
彼女の存在を示して、シャロークに言ってやるのだ。
「お前なんかが冷酷で合理的な商人を名乗るなどおこがましい。お前はしょせん、甘さも弱さも思いやりもある、普通の人間に過ぎないんだ」と。
そのためには、タチアナの協力が不可欠。
ゆえに、逃げられないようにミーアは釘を刺す。
「しっかりと、働いていただきますわよ、タチアナさん」
と、タチアナの目を見つめて……。
「ミーアさま……」
その言葉を聞いて、タチアナは納得する。
ミーアの、いくつかの言葉の意味が……、今こそ理解できたのだ。
――ミーアさまは、シャロークさまが弱っているのを見て……お見舞いに行かれるつもりなんだ!
と。
先ほどのやり取りを見る限り、ミーアとシャロークの仲は良くない。というか、敵同士といった感じである。
だからてっきり、ミーアは“自分を使って、シャロークを痛めつけようとしている”のだと、タチアナは思っていた。
けれど……違った。
――ミーアさまは、シャロークさまを、救われようとされているんだ!
すべての事象が、今まさに、タチアナの目の前でつながっていくかのようだった。
あのクロリオの池でのできごと……。ミーアは言った。
「率直さを失うな」と。
「物おじせずに注意せよ」と。
そして、もしもそのことで、タチアナが危機に陥る時には自分が助けてやるから、と勇気づけて、背中を押してくれたのだ。
ミーアの言葉は次々に甦ってきた。
ミーアは言っていた。「すべてはシャローク次第である」と。
それは、まさに、今この時のようなことを言っていたのだ。
知っていたのだ……、ミーアは。シャロークが、このままの食生活を続けていたら、体を害することを。
だから、タチアナを連れてきたのだ。健康を損なうような生活を諫めさせるために……。
――ううん、それだけじゃないかもしれない。もしかしたら……、ミーアさまは……。シャロークさまに思い出させようとしているのかもしれない……。
タチアナに不健康を諫めさせることでシャロークの命を救い、なおかつ過去に彼がなした素晴らしいことを思い出させようとした。
心と体、同時に健康に戻すために、ミーアは自分を連れてきたのではないか?
そんなことさえ思ってしまう。
――シャロークさま次第だと言いながら、できるだけ、シャロークさまが、破滅せずに済むようにする……、正しい道に戻れるようになさるなんて……。
それは医の道にも通じるのかもしれない、とタチアナは考える。
シャロークが節制をするかどうか、それはたしかにシャローク次第で、彼が長生きしようがしまいが、健康であろうがなかろうか、最終的にはシャロークの選択にかかっていて……。
「でも、働きかけることはできる」
なにもできないと、諦めてしまう必要はない。
聞く耳を持たない者に、それでも何度でも伝え続ける。そうすれば、いつかはその言葉に耳を傾ける日が来るかもしれない。
真摯に受け止めるがゆえではない。ただやかましいがゆえに、その言葉を止めるために、話を聞いてくれることだってあるかもしれない。
――シャロークさま次第……、ミーアさまのお言葉は、冷たい言葉のように聞こえたけど……。
タチアナは、今、心底からミーアに感謝した。
この場に、自分を連れてきてくれたこと……、シャローク・コーンローグという恩人を救えるかどうかという……、この分水嶺に、自分を連れてきてくれたことに!
「ミーアさま、行きましょう」
そう言ってタチアナが見ると、なぜだろう……、ミーアは、なんだか、腕をぶんぶん回していた。
それは、ミーアの連れている少女、ベルの動きに似たものだった。