第四十五話 大将軍ミーアの容赦ない残党狩り
――これは……、なんとかなったのかしら?
ユハル王の顔を見ながら、ミーアは、心の中でニンマリ笑う。
てっきり、シャロークをボコボコにしなければならないものと思って用意していたわけだが……、それをするまでもなく完勝できてしまいそうな勢いである。
――アーシャさんとラーニャさんの援軍が効きましたわね。うふふ、我ながら、わたくしの人徳が怖いですわ!
人徳の人、ミーアは徳が滲みだすようなニマニマ笑いを浮かべる。
ちなみに、言うまでもないことではあるのだが……、ミーアには深い考えなどない。もちろんない。
ルードヴィッヒが言っているようなことを考えているわけもなし。
ミーアの思考はいつだってシンプルだ。それはもう、シンプルにシンプルを掛け合わせたような、一に一を掛け合わせたような思考こそ、ミーアの真骨頂である。
ミーアが愚直に考えていたことは、ただ一つだった。
それは、ペルージャンとの信頼関係だ。
ペルージャンには豊富な農作物がある。だから、不作の年にも、ある程度の余力があるだろう。豊富な農作物を持つ隣国と仲良くしておけば、困った時に助けてもらえるに違いない。
そんなペルージャン農業国との関係を邪魔する条約が存在する。
ならば、どうするか? ミーアならば、それをどうするか?
簡単なことだ。目的のために邪魔になるものならば排除するのみである。
その邪魔な石っころを蹴り飛ばしたら、どんなことになるのかとか、そういう難しいことはとりあえず置いておけばよい。
というか、難しい話はルードヴィッヒに任せてしまえばよいのだ。
ミーア的にはシンプルイズベストに、邪魔者は蹴り飛ばすのみなのである!
その結果、なんとなくではあるが、ペルージャン国王の態度が軟化してきたっぽい気がする。
これは、流れが来ているか? などと、満足感を覚え始めるミーアであったが……。
「……ペルージャン国王、まさか契約書も交わさぬ口約束を、信用なさるつもりではありますまいな?」
水を差すかのような、シャロークの苛立たしげな声が聞こえた。
ユハルが驚愕したのと同様に、シャロークもまた驚愕を隠しえなかった。
そもそも、彼にとってはすべてが不意打ちのようなものだった。
皇女ミーアが予定より早くこの国にやってきたことも、こうして、晩餐会に招待されたことも……。
思えば、招待を受けた時点で、疑ってかかるべきだったのだ。けれど、彼は不審に思わなかった……。否、そう思いたくはなかったのだ。
自分の動きをすべてミーアが把握しており、なおかつ、ペルージャン国王の心を溶かす術を持っているなどと……。
そもそもが、そのような深刻な話に持っていく必要など、まったくなかったのだ。
今まで通りの付き合いをすると口約束をしておき、飢饉が起きた際には価格は上昇するものであるから、多少の値段交渉はさせてもらうことも付け加えておく。
その程度の軽いやり取りで、この場を乗り切れば良かったのだ。
にもかかわらず……、ペルージャン国王が乗ってしまったのは、ミーアが口にした言葉に原因があった。
「友好的な信頼関係」
……なんとも白々しい言葉ではないか。
ティアムーンとペルージャンの関係を知っている者であれば、決して言えないような言葉、帝室の姫が口にすれば、憎悪すら抱かれかねない偽善の言葉……。
あの一言は、確実にユハル王の逆鱗に触れるものだった。
本音など作り笑いの裏に隠して、適当にその場を乗り切る……、それこそがこの場での最善策。
心でたくらむ悪だくみを証明することは不可能。であればこそ、感づかれることなく、尻尾をつかませることもなく、無駄な話で時間を潰せば良かったのだ。
されど、皇女ミーアは逃がさない。
あえてユハル王の怒りを誘い、自らのフィールドに引きずり込んだ。そこを起点にして、あとはミーアの独壇場だった。
次々と到来する援軍に、シャロークは口を挟む余裕もなかった。
それは、ただの談笑で誤魔化そうとしていた者と、この場で勝負を決めに来た者との差だった。
そうしてミーアは、シャロークが拠り所にしていたもの、ペルージャンが抱く帝国への不信感をすべて払拭した上で言っているのだ。
自分を信頼するか? と。
自分の言葉を信頼し、受け入れるか? と。
「ユハル陛下……、よもや、そのような言葉を信じるわけではありますまい?」
そう言ってはみるが……、シャロークは自らの言葉に力がないことに気付いていた。
なぜなら、すでに、ユハル王が魅せられていたから。帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンの見せた、希望の光に……。
――最悪のタイミングで、最悪のことをやっていく……。なるほど、これが帝国の叡智か……。
「ああ、シャロークさん、わたくし、あなたにもお話がございましたの」
ふいに、ミーアがこちらを向いた。
「以前、わたくし、あなたに言いましたわよね? お金がすべてではない、と……。それに対して、あなた、なんて言ったか覚えてますかしら?」
ミーアは、わざとらしく頬に指をあて、首を傾げて見せる。
「たしか、お金のためにならないことをやるのは甘いとか、そんなことを言ってたかしら?」
「さようです、ミーア姫殿下。商人とは金に信仰を捧げて生きる者。我が神はこの世すべてを支配する力である金です」
答えつつ、シャロークは自身が冷静さを欠いていることを自覚していた。そして、動揺の原因もわかっていた。
金がすべてではない、と言うミーアの言葉と体現する行動。それは、シャロークの今まで生きてきた道のすべてを否定するものであったから……。
……もしかしたら、間違っていたかもしれないと言う……微かな傷口をえぐる言葉だから。
自身が、ほかならぬユハル王と同じ状態にあることを自覚しつつも……、それを止めることができなかった。
「商人、いえ……、人はそのようにあるべきではありませんか? 人は働くもの。何のために働くのか? それは金のためではありませんか……。ならば、効率的に金を儲けるために最善を尽くすことこそが、正しいのです」
自身の一生は金を儲けるためにあり、商人は持てるすべての知恵と力を使い、効率的に金を儲けるべきである。そうでなければならない。
だから……、寒さに強い小麦などという、金儲けの情報を、ただで教えて回るという暴挙が許されるはずがなくて……。
「そうかしら? あなたも昔は、ずいぶんと……、あら? どうかしましたの?」
ふいに、ミーアが眉を顰める。
なにが、どうかした、なのか……、一瞬わからずにいたシャロークであったが、直後、胸に強烈な痛みが走った。
「う……ぐぅ」
「シャロークさまっ!」
悲鳴にも似た少女の声が聞こえて……、直後、シャロークの意識は深い闇の中へと落ちていった。