第四十二話 トゲのように蝕むもの
「ユハル陛下、この度は、このように素敵な席を用意していただき、感謝いたしますわ」
ミーアはかつてないほどに絶好調で、勝負の時を迎えようとしていた。
お腹は満腹、戦意も上々。
その上、この場には頼りになる味方、ルードヴィッヒやアンヌが控えている。ラーニャもいざとなれば加勢してくれるはずだし、なにより、切り札のタチアナもいるのだ。
さらにさらに、空腹ミーアの食べっぷりを見て、王妃も弟王子も友好的な雰囲気。
――これは、どう転んでも負けませんわ!
まるで、十万の大軍で一万の敵を包囲殲滅しようとする、大将軍のように……、絶対の勝利の確信と余裕を持ちながら、ミーアはユハルのほうを見た。
「いえ、こうしてわざわざ収穫感謝祭に足をお運びいただいたのですから、当然のことにございます」
腰の低い王に、ミーアは笑みを返す。
「なにをおっしゃいますか? 我がティアムーンとペルージャンの仲、わたくしとラーニャさんの仲ですわ。アーシャさんにもお世話になっておりますし、来るのは当然のこと。これからも、固い信頼関係を築いていければよろしいのですけれど……」
なにげない言葉の中で、しっかりとペルージャンとティアムーンとのこれまでの信頼関係を強調。その上で、シャロークの信頼を揺らして、国王の気持ちに揺さぶりをかけるつもりであった。のだけれど……。
「信頼関係……ですか」
王は、なぜか苦笑を浮かべた。
その顔が……なぜだろう……、ミーアは少しだけ気になった。
けれど、だからと言って、そこで立ち止まるわけにはいかない。
「ええ、友好的な信頼関係ですわ。ですが、実は、先日、よからぬ噂を聞いて、わたくし、大変に憂慮しておりますの。なんでも、ティアムーン帝国に対しての小麦の価格を、飢饉に合わせて吊り上げようとされているとか……?」
「……さて、なんのことでしょうか? 私にはさっぱりと……。第一、飢饉が来るなどと、そのようなことは誰にもわからぬことではありませんか?」
ユハルは、見るからに驚いた、という顔で、そんなことを言う。
「とぼけるのは、やめにしましょう。ユハル陛下。ペルージャンであれば、察しがつくのではなくって? 去年から、小麦の収穫量は減少傾向にある。これを機に、小麦の値段を吊り上げれば、なるほど、儲かりはするでしょうけれど、民は飢えることになりますわ。そちらの、シャロークさんの差し金かもしれませんけれど……、その方は……」
とても信用が置けない、ただのいい人ですわよ! などと、続けようとしたミーアであったが……。
「ははは、なるほど。民を思うそのお心、お見事にございますな、ミーア姫殿下」
突然、笑い出したユハルに、ミーアはきょとん、と瞳を瞬かせた。
「民を思う、優しき慈愛の聖女のお姿、さすがでございます……。昨冬のあのやり方もお見事でしたな。我が娘の心も掴んだようですし、先ほどの小麦の道を行く演出も、あなたさまはどうやら、人の心を誘導する術をお持ちらしい。その御年にして、末恐ろしいことです」
ユハルは、静かな笑みを浮かべて、言った。
「民が飢えることのないように、と大義名分を掲げて、我が国を縛りに来ましたか? そう言えば、私が、あなたの言葉に従うと?」
――ふむ……。
ミーアは、その言葉の中にあるトゲに気が付いた。
否、正確に言えば……、その前、信頼関係という言葉を口に出した瞬間から、それはあったのだ。それは鋭い剣のような敵意ではなかった。むしろ、注意していても気付かないほどの小さく細かいトゲ……。さながら、あの、小麦のトゲのようだった。
気付かず、無視して踏み抜けば、後で苦痛にのたうち回ることになる危険なトゲ……。決して油断して、無視しても良いものではない……。
そんな危険な兆候を敏感に察知して……、ミーアは……静かに手を伸ばす。目の前のテーブルの上にある、たわわなフルーツに!
甘いものを補充して、脳内を活性化させる作戦である。ミーアの常套手段である。
口に入れたペルージャンベリーの甘味と酸味に、ミーアの脳内が一気に覚醒する。
それからミーアは、ユハルとシャロークの顔を改めて観察する。そうして……、ふと思う。
もしかして……帝国への信頼感って想定以上に低いんじゃないかしら? と……。
てっきり、シャロークなどという怪しげな商人と同程度はあるものだと思っていた。だからこそ、シャロークの信用度をほんのちょっぴり下げてやれば、帝国を裏切るようなことはないと……、そんな甘い想定でいたのだが……。
ミーアは、自らの油断に歯噛みする。
そう、戦は、そう甘いものではないのだ。
十万の兵を揃えていると思っていたが……その実、ミーアのもとにある兵は、大半がハリボテで……。敵とほぼ同数程度の戦力しかもっていなかった。戦力は拮抗していたのだ!
そして、そこまでの作戦を練らずに、ミーアはこの場に臨んでしまったのだ。
――なんたる失態! これは、ヤバイですわ。
懸命に打開の方策を練るものの、
「帝国の都合を押し付けたいというのならば、どうぞ、武力を持ち出しなさい。そうすれば、我らは逆らうことなどできないのですから。信頼などと、民のためなどと、綺麗事を言う必要はどこにもございませんよ」
――ああ、それでは意味がないのですわ。力で押さえつけたのでは、力が落ちた時に裏切られてしまう。弱っている時に敵になるなど、最悪の展開……。ぐぬぬ、今までの帝国貴族の態度の悪さを甘く見てましたわ!
突如として劣勢に立たされたミーアは、心の中で帝国貴族に毒づく。それから、なんとか、態勢を立て直そうと模索するが……。
「それは違います。お父さま」
援軍は意外な方向からやってきた。
それは、会場の入り口の方から聞こえてきた女性の声で……。
「アーシャ? 帰っていたのか?」
ペルージャン第二王女、アーシャ・タフリーフ・ペルージャンが、そこに立っていた。