第三十八話 ミーアのネガキャン大作戦!
「うふふ、上手くいきましたわ。晩餐会にシャロークさんを引きずりこむことに成功いたしましたわよ」
ペルージャン国王の出迎えを受けた後、ミーアは城の一角に用意された部屋で休んでいた。
部屋の中には、アンヌ、ルードヴィッヒ、ベル、ラーニャ、そしてタチアナの姿があった。
みなを前にして、ミーアは上機嫌な笑みを浮かべた。
「しかし、ここから先はどうなさるおつもりですか?」
ルードヴィッヒは、眼鏡を押し上げつつ言った。
「帝国との取引をやめないように暗に脅すということはできるかと思いますが……」
「ふむ……、それをラーニャさんのいる前で口にするということは、本気ではありませんわね、ルードヴィッヒ」
「どうでしょうか? あえてラーニャ姫にお聞かせすることで、脅そうとしているのかもしれません」
ミーアは、ちらりとラーニャの顔を窺う。幸いにも、ラーニャは落ち着いた顔をしていた。それを確認してから、ミーアはルードヴィッヒに言った。
「では、はっきりと言っておきますわ。過去はいざ知らず、わたくしはペルージャンを力をもって屈服させるつもりはありませんわ」
前の時間軸、帝国は失敗した。
『力』でもって押さえつけたのでは『力』を失った時に簡単に寝首をかかれる。しかも、相手は気付かれぬように、こっそりと帝国の『力』を削ろうとするに違いないのだ。
あるいは、帝国の『力』と拮抗する『力』をどこかの国から借りてくるということも考えられる。
そのやり方では、ミーアの小心者の心はいつまでたっても安心できないのである。だからこそ……、
「ペルージャン農業国は『信頼』をもって説得する。これしかございませんわ」
ミーアへの『信頼』があったからこそ、ラーニャは連絡をくれた。帝国が、自らの力でどうにもならない状況に陥った時に助けてくれるのは、力で屈服させた相手ではない。
信頼関係をきちんと築いておいた国なのだ。
では、そのためにどうするか?
ミーアの立てた作戦はシンプルだ。ミーアはこう考えた。「相対的に敵の信頼を落としてやればいい」と。
悲しいことに……、帝国貴族のこれまでの歴史を見れば、ペルージャンと確固たる信頼関係を築くことは簡単ではない。
ラーニャやアーシャとは個人的に親しくしているつもりのミーアであるが、それを全国民のレベルにまで広げるのは、時間がかかるわけで……。
――まったく、ご先祖さまもやらかしてくれましたわ。農業に対する差別意識なんか、植え付けたりしなければこのようなことにはなりませんでしたのに!
ともかく、帝国貴族の意識改革にも、ペルージャンからの信頼を勝ち取るのも時間がかかるのだ。
ということで、ミーアは発想の逆転をした。
自分たちへの信頼感が上げられないのなら、シャロークへの信頼感を下げてやればいいじゃない? と。
いわゆるネガキャンである。
ペルージャン国王の前で、シャローク・コーンローグの化けの皮を剥ぐのだ。
――“金のためなら容赦なく、徹底的になんでもやります”というあの態度……あれこそが、バケモノじみた得体の知れなさをあの男に付与しているもの。もしかしたら、彼ならばやってくれるかもしれない、という期待感を生み出している要因ですわ。
だからこそ、彼が本当は、普通にいい人なのである、と……優しさも甘さも持ったただの人なのである、と見せつけてやるのだ。
そうして、ペルージャン国王が描いた妄想、シャロークに任せれば帝国を見返すことができるかも……などという甘い夢をぶち壊してやるのだ。
「ふふふ、目を覚まさせてやりますわ」
そのための切り札こそが……、
「そこで、タチアナさんの出番ということになりますわ」
シャロークの過去を知る者、タチアナだった。
実のところ、ミーアは、そこに一抹の不安を感じないではない。
なにしろ、タチアナはシャロークに恩のある者だ。その彼がミーアによって辱められることが、愉快であるはずもない。
――けれど、そのせいで証言を拒否されてはたまりませんわ。
だからこそ、ここで念を押しておく。ということで、
「言いましたわよね、タチアナさん。あの方次第、シャロークさん次第である、と……」
あいつが、なーんにもしなかったら、こんなことにはならなかったんですよー? と。
まず、責任の所在をはっきりとさせておく。
自分は悪くない、とここに明示した上で、
「これはあの方のためでもありますわ」
だらだらと帝国に敵対することは、シャロークのためにならない。傷口をいたずらに広げるだけですよ、とシャローク側のメリットをも強調。
これにより、タチアナの心理的負担の軽減に努める。
なんとも狡い手である。
そんな狙いに気付かれぬうちに、ミーアはタチアナに言った。
「だから遠慮など無用。嘘を吐く必要もない。全力であいつの頬を張り飛ばしてやればいいですわ!」
かくして、方針は決まった。
「……ところで、ミーアさま、その……足や肌は大丈夫ですか?」
「……はて? なんのことですの?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、ラーニャは少しだけ眉をひそめて言った。
「小麦に触れた部分に痛みや痒みはありませんか?」
「そういえば、なんだか、足が少し痛痒いような……」
「ああ、やっぱり……」
ラーニャは、ミーアの足元に跪き、
「ミーアさま、失礼いたします」
ミーアを座らせると、素早く靴を脱がせた。
「いいですか? ミーアさま。小麦にはとても細いトゲがあって、それが刺さると痛みやかゆみを生じます。あの道に敷き詰められていた小麦は、ペルージャンで品種改良をしたものですから、滅多にないことですけど、種類によっては大変なことになりますから、不用意に、あのようなことをしてはダメですよ」
「まぁ! そうでしたの……。どうりで、チクチクすると思いましたわ……」
ミーアの脳裏に、触るとヤバいことになる炎のようなキノコが思い浮かんだ。
「それはラーニャさんにも申し訳ないことをしてしまいましたわ……」
「私は慣れているので大丈夫です。でも、申し訳ありません。止める間もありませんでした」
「全然知りませんでしたわ。今度から気を付けますわね」
やはり、軽率な行動はとるべきではないな、と反省しきりのミーアであるが……。
「でも……、ミーアさまは、知っていてもやってしまうのではないですか?」
「……はぇ?」
「農民たちの誠意に応える方法があれしかなければ……、ミーアさまはそうなさるのではありませんか?」
「え、いえ……、そんなことは……」
と言いかけたミーアであったが……、周りを見て察する。
みーんな、たぶん、ラーニャと同じことを思ってるんだろうナァ、ということを……。
なので……。
「え、ええ、まぁ、そうですわね。必要でしたら、やってしまいますわ、たぶん……」
ついつい、流されるままにそんなことを言ってしまう……のだが……。
――あ、あら? でも、これって、また同じような場面に出逢ってしまったら、わたくし、ちょっと痛かったりかゆかったりしても、我慢してやらなければならなくなるような……?
ふと、そんなイヤァな予感を覚えてしまうミーアであった。
ラーニャはミーアの足をしげしげと観察してから言った。
「少し手当をしたほうがいいかもしれませんね……」
「なにか、薬があるんですか?」
医者志望のタチアナが興味津々といった様子で尋ねると、ラーニャは小さく頷いた。
「王都の中にクロリオの池という場所があります。そこの水は、かぶれや、かゆみをおさえたり、少々の切り傷には効き目があるといわれています。汗を流すのにも使われる場所なので、旅の汗を流してくるのがよろしいかもしれません」