第三十六話 二人の姫は黄金の坂道を上る
「あら……? あれは……」
王都へと続く道へと馬車は向っていた。段々畑の合間を通る坂道、その近くまで来た時、ミーアはふと気付いた。
道の両側に人々が立ち並んでいる。それは、まぁ別にいい。帝国の皇女をおもてなししようというペルージャン側の表明なのだろう。
仮にも帝国皇女のミーアだから、国民を挙げての歓迎程度で驚きはしない。
その程度ならば慣れているのだ。
けれど問題は坂道のほう……、黄金色に飾られた道のほうだった。
「はて……、王都に向かう道が段々畑と同じ色に……」
「あれは、小麦を道に敷いているんです」
ミーアの疑問に、かたわらのラーニャが答える。
「国賓が道を通る時には、都へと至る道を綺麗に掃除して、それから道を黄金に染めること、それこそが我がペルージャンのもてなしです」
「なっ! それでは、あれは、すべて小麦なんですの?」
ミーアは慌てて、前方に目を移す。
「はい。最上の小麦こそが、我がペルージャンの宝。ゆえに、姫殿下をお迎えする道を、それで飾るのです」
――な、なんてもったいないことを!
ミーアは内心で悲鳴を上げる。けれど、同時にこうも思ってしまう。
ああ、実に、貴族が好みそうなもてなしだ、と……。
いかにもったいないことをするか、いかに無駄遣いをするか、そこにもてなしの心を求める者こそが貴族。自分のためにいかに無駄遣いをしたかで判断するのが、貴族というものなのだ。
だからこそミーアも、この歓迎を当然のこととして受け止めていたことだろう……前の時間軸の彼女であれば……。
されど、ミーアは、もう知ってしまったのだ。
食べ物がない時にする後悔の苦さ……。空腹の時に「あの時、無駄にした食べ物が今あればなぁ」と思う、むなしい気持ち。
あの空虚な後悔は、一度でも体験すれば十分だった。だから……。
「馬車を止めなさい」
ミーアは御者に馬車を止めさせる。それは、黄金の道の少し手前のことだった。
「ミーアさま、なにを?」
きょとん、と首を傾げるラーニャに、ミーアは小さく笑みを浮かべて、
「少し、行ってきますわ」
それだけ言って、馬車を降りてしまった。
突如、降りてきたミーアに、路肩の民衆は呆気にとられた様子だった。
ミーアは、そんな彼らに、朗らかな笑みを浮かべて言った。
「みなさま、わたくしはティアムーン帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
スカートの裾をちょこんと持ち上げ、ミーアは言った。
「この度は、このように素晴らしい歓迎を感謝いたします。みなさまの好意を、わたくしは嬉しく思いますわ。ありがたく受けさせていただきますわね」
それから、ミーアは静かに顔を上げ、王都へと伸びた黄金の道を見上げた。
「けれど、この美しい小麦を踏み潰してダメにしてしまうことは、わたくしの本意ではありません」
そう言うと、ミーアは静かに靴を脱いだ。
「小麦は食べてこそ真価を発揮するもの。ですから、どうぞ、わたくしが通った後で、この小麦、食べられるようにしてくださるかしら? うーん、そうですわね、あのお城型のケーキを作るのなんか、最高のおもてなしだと思いますわ」
そうして、躊躇なく裸足になると、黄金の道に足を踏み入れた。予想していたような硬さはなく、麦は優しくミーアの素足を受け止めてくれた。
「みっ、ミーアさま!」
「ああ、ラーニャさん、あなたも一緒に行きましょう。どうぞ、わたくしをエスコートしてくださいな。後の者は、馬車と一緒に道の麦が拾い上げられたら来なさい」
「は、はい。わかりました!」
大慌てで、ラーニャも靴を脱ぐと、すぐにミーアの横に並んだ。
そうして、二人の姫は歩き出した。
皇女ミーアの態度に、民衆は驚嘆する。
未だかつて、この黄金の道を、自らの足で歩いた貴族はいなかったからだ。
ある者は、小国の卑屈なもてなしだと嗤った。
ある者は、くだらぬもてなしだと見向きもしなかった。
心ある貴族ですら、仕方がないと受け入れた。
そうして、豪奢な馬車が、自分たちの小麦を踏み潰して汚すのを、農民たちは何とも言えない気持ちで見つめていた。
誰も、自分の労苦の実りを踏みつけられて、気持ちの良いものなどいない。されど、国のためを思い仕方なく、道に最上の小麦を敷き詰めたのだ。
けれど、この姫は、農民の労苦を馬車で踏みつけにすることを良しとせず、それどころか、靴さえ脱いで、その上でもてなしを受けると言った。
彼らが飾った道を通らないこと、それはもてなしを拒絶することになる。だから、その上を馬車で、土足で、通ることはせず、生身の足をもって歩くことを自らの誠意としたのだ。
その上で彼女は所望する。
城を模したケーキが食べたい、と……。
ペルージャンの民が誇りとするところの小麦を使い、彼らの王族の宮である城を模したケーキを食べたいのだ、と。
自分たちの誇りに対する皇女ミーアの敬意を、彼らは確かに受け取った。
人々の口から、歓迎の声が迸る。それは、嘘偽りのない歓迎の言葉。自分たちの姫の友人に、自分たちの大切な客人に向けた、心からの歓迎。
その歓声の大合唱に包まれて、ミーアとラーニャは王都、黄金の天の農村に入るのだった。
黄金の道を並んで歩く二人の姫君。
その気高き姿は、ティアムーンとペルージャンの関係に、新しい時代が来たことを感じさせるものだった。その姿を見ていた、とある農民の手により、この時の情景は一枚の絵になった。
絵のタイトルは「黄金の道を行く、二人の姫」
その荘厳な絵とともに、黄金の道を裸足で歩く二人の姫の逸話は、さまざまな脚色を加えられて、長く語り継がれることになるのだった。