第三十五話 ケーキのお城⇔お城のケーキ
ラーニャと合流したミーアは、そのままペルージャンの王都に向かった。
途中、いくつかの村に立ち寄ったミーアは、そこでも収穫のお手伝い(果物狩り)を満喫した。ルビワの件で味を占めたミーアは、その都度、採れたて農作物を食し、大変に充実していた。
ちなみに、その都度、食べ過ぎにならないように、アンヌとルードヴィッヒが腐心していたのは、言うまでもない。
そうして、あと少しで王都というところで、ミーアは馬車の中から見える景色が変わってきたことに気が付いた。
豊かな緑色から、月影のごとき柔らかな黄金色へ。景色は色合いを変えていた。
「このあたりの小麦はまだまだ収穫が終わっておりませんのね」
首を傾げるミーアに、ラーニャは微笑みを浮かべる。
「はい。城の近くの土地は、六日かけて刈り取ることになっています。国中の十歳を超えた長子が集まって一斉に刈り取り、その後に感謝祭を執り行うのです」
ペルージャンの収穫感謝祭は、神に感謝をささげる祭りの側面と、人口調査の側面を持っている。毎年、各家庭の長子が都に集まり、出産状況などを報告するのだ。
そして、その中の選ばれた幾人かの者たちはこれから二年間、王の近衛兵としての務めを果たし、その後、自分たちの村に帰っていく。
そして村に帰った者たちは農業を営みつつ、自身の村の治安を守ることになるのだ。
「なるほど。国を挙げてのお祭りですわね……」
「あっ! ミーアお姉さま、見えてきました!」
ベルの歓声につられて、ミーアは前方に目を移した。
「あれが……、ペルージャンの王都オーロアルデア。なるほど。黄金の天の農村とは、よく言ったものですわ」
かつて、この国を訪れた帝国貴族は「黄金の町など名前負けもいいところだ。ただの貧乏くさい属国の、取るに足りぬ町ではないか」などと吐き捨てたという。
けれど、ミーアは思う。その貴族も、きっとこの収穫の時期にここを訪れていれば、意見を変えたに違いない、と。
なぜなら、そこは、確かに黄金に飾られた広い村だったからだ。
豊かに実った麦畑が、規則正しい段々畑になっている。それは、さながら黄金の階段のようだった。そして、その頂上には四角い建物が建っていた。
――ふむ、珍しい形ですわね……。あの形、どこかで……。
「お城が気になりますか?」
ミーアの視線に気付いたのか、ラーニャが言った。
「ええ、変わった形をしておりますわね。なんだか、お城っぽくないですわ」
「ふふ、そうですね。私たち、ペルージャンの城は、戦うためのお城ではありませんから。城壁もありませんし、見張りが立つ塔もありません。壁は薄くて、木で作られています。だからでしょうか、民からは親しまれていて……。うふふ、お城を模した伝統的なケーキもあるんですよ」
――ああ! そうですわ! ケーキ! あの色合い、いい感じに焼いたケーキにそっくりなんですわ!
それで親しみを感じたのか、とミーアは一人で納得する。
――それにしても、あのお城を模したケーキ……、どんなものなのかしら? まさか、大きさは、あのサイズだったりするのかしら?
「ご興味がおありですか?」
「ええ、とても!」
ミーアは、ふんふん、と大きく頷いた。
――ああ、そうか。やはり、ミーアさまは、そこが気になるのか……。あの城に住まう王族の考えが……。
ミーアの反応は、ルードヴィッヒにとって、ある程度、予想の範囲内のものだった。
ルードヴィッヒは、無論、ペルージャンの城のことは知っていた。
その、戦のことをまったく計算に入れていないその構造は、極めて特異なものだった。
帝都ルナティアの白月宮殿は、美しさを重視した設計になっているが、それだとて、まったく戦城としての機能を持っていないわけではない。
城とは多かれ少なかれ、そういうものなのだ。
にもかかわらず、ペルージャンの城は、それをまるで度外視した造りになっている。それは、城というにはあまりにも無防備な建物だった。
威圧的な無骨さよりも、素朴さ……、あるいは、のんきささえ感じてしまうような城だった。その理由は……。
「おかしなお城でしょう? きっと戦になれば、簡単に焼かれてしまうでしょう。でも、どちらにしろ戦になれば、田畑は焼かれてしまいますから。立派なお城だけ残っても何の意味もありません」
ラーニャはこともなげに言う。
そう、それこそが、国土の大部分を農地にするペルージャンの基本戦略だった。戦争における勝利条件自体が、他国とは異なっているのだ。
自国の領土が戦場になった時点で、ペルージャンの負けなのだ。ゆえに、彼らは通常の小国のように、後ろ盾となる国からの援軍が送られてくるのを待つような、遅滞戦闘でさえする気がない。
そもそも、戦争自体をするつもりがない。戦争自体を遠ざけるように立ち回ることこそが、彼らの戦略の基本線。そして、ひとたび戦が起きれば、仕方がないという割り切りが、そこにあった。
戦のための備えなどするだけ無駄。ならば、しなくてもよい。
無論、ティアムーン帝国の武力を背景にした威圧と、聖ヴェールガ公国の敷いた倫理観によって生まれる「戦争の起こしづらさ」は、戦略の根底に存在している。それを最大限に生かすように外交的に立ち回りもするだろう。
されど、そこに絶対の信頼を置くことなど、ルードヴィッヒには考えられなかった。
彼は、そこまで人間の理性を信じることができないのだ。
戦争が起きた時には諦める、というのは、大飢饉が起きた時には、いくら食料をため込んでいても足りなくなるのだから諦める、と言っているのと同じように、ルードヴィッヒには思えてならなかった。
ゆえに、彼自身も気になっていた。
ラーニャ姫が、どのような考えを持っているのかと……。
「そのように、諦めきれるものですか? ひとたび戦争が起きればすべてを失う。だから、起きてしまったら素直に諦めると……そのように、割り切れるものなのですか?」
姫同士の会話に口を挟むのは気が引けたが……それでも彼は聞いていた。
その問いかけに、ラーニャは一瞬考えこんでから……、
「そういう諦めは確かにあると思います。けれど……、私は思うんです。あれを最初に建てた私のご先祖さまは、きっとあれに理想を見ていたんじゃないかって……」
「理想……ですか?」
「いつか、戦うためのお城なんか必要なくなる時代が来る……。食べるものがみんなに行き渡れば、きっと平和になって、猛々しいお城なんかいらなくなるんだって……、その時に、世界中のお城は、ああいう平和な形になるんじゃないかって……」
そう言って、ラーニャは照れ笑いを浮かべた。
「なんて……ごめんなさい。変なことを言ってしまって……。おかしかったですよね?」
それは、たしかに滑稽な話だ。
ルードヴィッヒから見れば幼い子どもの夢物語にしか見えないものだ。
けれど、彼は知っている。彼の主君であるミーアは決して、その夢を嗤うことはないと……。だから、ミーアの顔に浮かぶのは、
「おかしくなどありませんわ。とても素敵なことですわ」
穏やかな笑みだった。
――やはり、ミーアさまは、そうおっしゃるだろう……。
その夢が、その理想が、いかに現実離れしていたとしても、ミーアは決して、その努力を嗤うことはない。
そして、同時にルードヴィッヒは、こうも思うのだ。
もしかしたら、ミーアであれば……、そんな夢物語さえ、実現してしまうかもしれないと。
そんな畏怖すら覚えながら、ミーアのことを見ていたからだろうか……。
「うふふ、とっても素敵ですわ、お城のケーキ」
――お城のケーキではなく、ケーキの城だと思うが……。
ミーアのちょっとした言い間違いが微笑ましく感じてしまうルードヴィッヒであった。
…………言い間違いだろうか?
犯罪者の取り締まりはどうしてるの!? というご指摘を受け、ちょっぴり加筆。