第三十三話 ミーア姫、果物狩りをエンジョイする
ティアムーン帝国の国境を越えて一日の場所にある、小さな村。
ミーア一行は、ラーニャと合流すべく、その村で待ち合わせを行った。
そして、そこは広く果物の栽培を行う村であった。
というか、広い果物畑の中に、ちょこちょこっと家が建っているような有様だった。畑の中に村がある感じである。収穫期を迎え、たわわに実った果実が、そよそよと風に揺れていた。
……ということでミーアは……、
「あら、これなんか食べごろではないかしら?」
果物狩りを楽しんでいた!
頭には、大きなつばの麦わら帽子を被り、農村で借りた収穫用の長袖長ズボンの服を着用して……、実に本格的なスタイルである。
「ああ、美味しそうですわね。まさに、食べる宝石……。香りがたまりませんわ」
スイーツソムリエ、ミーアは、もぎ取った果物に鼻を近づけて、そのかぐわしい香りを胸いっぱいに吸い込む。それから、その色合いをしげしげと見つめて、
「うん、太陽の恵みをよく受けていますわね。熟れていて……、少し熟れすぎという感じもしますけれど、そちらのほうが、えてして甘味というものは出てくるもの。これなどは、きっと、食べたらたまりませんわ」
ミーアたちの目の前にたわわに実っているのは、ルビワと呼ばれる果物だった。
赤い楕円形の、大きな種の周りに薄い果肉がついた果物である。皮をむいて、前歯でこそぎ落とすようにして食べるもので、甘味と酸味のバランスがとても良いフルーツである。
「あっ、タチアナちゃん、こっち! こっちにもたくさんありますよ!」
少し離れたところで、ベルがタチアナを呼んでいた。ニッコニコと笑顔を弾けさせつつ、年下のタチアナを手招きする。
「ちょっ、ちょっと待ってください。ベル先輩。そんなに急ぐとまた転んでしまいますよ」
慌てて、タチアナがその後を追う。馬車の中で、すっかり打ち解けたベルとタチアナを見て、ミーアはにっこり笑みを浮かべた。
――ベルにシュトリナさん以外のお友だちができるというのは良いことですわ。
孫に新しいお友だちができたのが嬉しいミーアお祖母ちゃんである。
「さぁ、二人とも、一つも取り逃したらいけませんわよ! 食べごろのものをとれなかったらもったいないですわよ」
なにはともあれ、心からエンジョイしているミーアであった。
「ああ、贅沢ですわ。採れたての果物をその場で食すなど、贅沢の極みですわ!」
後で、休憩時間の時に食べさせてもらえるよう、すでにルードヴィッヒに話をつけてもらっている。ミーアに隙はない。
「楽しみですわ。実に楽しみですわ!」
休憩時間を心待ちにするミーアであった。
そもそも、果物狩りは、アンヌの発案によるものだった。
ペルージャンに少し早めに行かなければならなくなったミーア。難しい取引に臨むミーアが、重圧のあまり、甘いものを食べすぎてしまうことを危惧したアンヌは、少しでも運動してもらいたいと、この果物狩りを提案したのである。
もっとも、ミーアは採れたて果物をお腹いっぱい食べる気になっているので、忠臣の心ミーア知らずといった感じだろうか……。
さて、この果物狩りだが、実は意外な効果をもたらしていた。
それは、村の農民たちの、ミーアに対する感情である。ミーアたちを見つめるその目は、どこか親しみのこもったものになっていた。
理由はもちろん、収穫を手伝ってもらっているからだ。
ミーアはお姫さまである。ぶっちゃけた話、作業効率的には、あまりよろしくない。というか、むしろ邪魔をしている疑いすらある。労働力としての評価は低い。
されど……、その行為……、農民たちとともに働くという行為は極めて象徴的なものだった。
彼らにとって自分たちの姫とは、自分たちとともに額に汗して収穫する存在であり、自分たちの先頭に立って行動してくれる者だった。
そして……、ミーアは、それと同じことをした。
大帝国の姫が、自分たちの、農業国の姫と同じことをし、そして……。
「そろそろ休憩にしましょう。ミーア姫殿下、あの、よろしければ、もぎたての物を召し上がりますか?」
恐る恐るといった様子で、村長が言った。
これには事情があった。
ルビワは、美味しいけれど、少しばかり食べづらい果物なのだ。
その皮は薄く、ナイフで剥くのには適さない。必然、食べる当人が手でむかざるを得ないのだが、果汁が豊かなので、どうしても手がベタベタになってしまう。
しかも、その果肉は、大きな種の表面を薄く覆うのみ。そぎ落として皿の上に出すわけにもいかず、前歯でこそぎ落とすようにして食べなければならない。
正直、少し、行儀の悪い食べ方になってしまうのだ。
それを知らない帝国貴族からは、しばしば、食べづらい下品な果物、などと揶揄されることもあった。
だからこそ、ミーアがそれを食べてくれるか、心配していたのだが……。
それは杞憂だった。
「まぁ! いよいよですわね! 楽しみにしておりましたわ」
などと満面の笑みを浮かべ、ミーアはルビワを手に取った。そうして、いそいそと皮をむき、躊躇うことなく、ルビワに噛みついた。前歯で果肉をこそげるようにして、しゃぶしゃぶ食べる。
その子どもっぽい仕草に、周囲には和やかなムードが広がる。
「あら? みなさん、どうかなさいましたの? 食べ方が、どこか違っておりましたかしら?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、村長は、思わず優しい笑みを浮かべる。
「いやいや、合ってますよ。それが一番、ルビワを美味しく食べる食べ方です。ただ、帝国の貴族さまの中には、手が汚れるとか、食べ方が無様だとか言って食べてくださらない方もおられるので……」
「まぁ、もったいない。これは、こうして手を汚しながら食べるのが楽しいのでしょうに」
そう言いつつ、ミーアは手首についた果汁をペロリ、と舐める。
奇しくもそれは、幼き日のラーニャ姫と同じ仕草で……。
「なんだ、そうか。帝国の姫さまも、うちらの姫さまと変わらないんだな……」
そんな印象を強烈に刻み込んだ。
お高く留まった帝国の姫、という彼らの先入観は、完全に払拭され、後には親しみが残った。
帝国の姫君は、自分たちの姫さまの「大切なお友だち」になったのだ。
まぁ、ミーアは楽しくルビワ狩りをして、美味しくルビワを食べただけなのだが……。
ルードヴィッヒとアンヌは、その光景を少し離れた場所で見ていた。
「さすがはミーアさまだ。もう、村人たちの心をつかんでおられる。てっきり同行しているベルさまやタチアナ嬢のためを思って、この果物狩りの話を受けられたのだと思ったが、まさかこのような効果をも見越してのことだったとは……」
感心した様子のルードヴィッヒだったが、ふと心配そうな顔をする。
「しかし、彼らの心を開くためとはいえ、ミーアさまの健康が気がかりだ。無理をされて食べ過ぎなければ良いのだが……」
そんなルードヴィッヒを安心させるように、アンヌが小さく首を振った。
「大丈夫です。たぶんあのルビワという果物は……、そこまでたくさんは食べられませんから」
まるで予言のようなアンヌの言葉……、ルードヴィッヒは半信半疑でミーアのほうを見る……と、
「あれは……」
たしかに三つ目の皮むきにかかっているミーアだが、若干、その勢いは鈍っているように見えた。あの調子では、四つ目は食べられないのではないだろうか……。
「私の弟妹もそうなのですが、食べるのに手間がかかる食べ物は、食べるための作業だけでお腹がいっぱいになってしまうものなんです」
村人から、皮がむきづらく、果肉の薄いルビワの話を聞いていたからこそ、アンヌは果物狩りを提案したのだ。
帝国の叡智の右腕が、帝国の叡智の胃袋に勝った瞬間であった。
「なるほどな、さすがはアンヌ嬢だ……」
感心した様子のルードヴィッヒに、アンヌはちょっとだけ得意げな顔をしてから、ミーアのもとに歩み寄る。
「ミーアさま、お口をお拭きいたします」
「あら、ありがとう。あなたも座ってお食べになればいいのに、美味しいですわよ?」
そうして、楽しいひと時を過ごしていると……。
「ミーアさま……、いったいなにを……」
「あら、ラーニャさん、来ましたのね」
ペルージャン農業国の王女、ラーニャ・タフリーフ・ペルージャンが姿を現した。