第三十九話 メイド暗躍 その2
リオラ・ルールー。
ティアムーン帝国森林地域に住む少数民族、ルール―族出身。
メイドとしてのスキルはともかく、未だに大陸共通語が苦手な彼女は、本来、セントノエル学園に連れてこられるような人材ではない。
にもかかわらず彼女が選ばれたのは、ほかに人がいないという、極めて消極的な理由だった。
ただでさえ、金銭的に余裕がないルドルフォン家としては、娘をセントノエルに送るだけですでに、かなりの無理をしている。
ヴェールガ公爵令嬢ラフィーナの方針により、学園の門戸は大貴族や名門貴族のみならず、貧乏貴族や弱小貴族にも開かれている。それゆえに入学自体は可能だ。けれど、金銭的な補助があるわけではない。
給金の高いベテランメイドをティオーナに随伴させるわけにはいかなかったのだ。
加えてもう一つ、彼女が選ばれた理由があった。
それは……、
「リオラ、無茶しないで」
頭の上、窓から顔を出したティオーナが言った。
「ティオーナさまこそ、危ない、です。あまり、体を出さないで」
そう言って、リオラは足元に目をやった。
高い……、落ちたら、たぶん命はないだろう。
ティオーナたちが閉じ込められたのは、セントノエル学園校舎の中で、もっとも高い場所だった。
星見の教室と呼ばれるその場所は、校舎の北に立つ塔の最上階に存在している。出入り口は一つしかなく、そこを閉じられてしまえば出ることはできない。
一応、窓はあるけれど、そこから逃げ出すなんて無茶をするはずがない、と……、二人を閉じ込めた者たちは判断したのだろう。
けれど、彼らにとって予想外だったのは、リオラの存在だった。
森に住むルール―族は、非常に身体能力の高い人々だった。
幼いころから森に住む獲物を追いかけ、木登りも楽々こなす彼らにとって、高いところは苦にならない。
するすると壁伝いに降りていき、ほどなく地上についたリオラは、一番に目についたアンヌに声をかけたのだ。
「ティオーナさま、閉じ込められて、ます」
「え……?」
リオラの言葉を聞いて、アンヌは耳を疑った。
「閉じ込められてるって……、いったいだれに?」
それに、なんのために?
「わからない、です。私だけ、逃げること、できました」
上目づかいにアンヌを見つめて、リオラは言った。
「お願い、です。ティオーナさま、助けてください。お願い、です」
「わかりました。力をお貸しします」
戸惑いつつも、アンヌは即答した。そして、その行動に、少なからず驚いた。
――私、ぜんぜん迷わないで返事しちゃった……。
以前までの自分では考えられもしない行動、けれど、アンヌは自分がなぜそうしたのかがよくわかっていた。
――ミーアさまから自由裁量を認められているんだ、私はミーアさまの恥にならないように行動しなきゃならないんだ。
きっと、優しくて正義感にあふれたミーアならばそうするに違いない、そんな確信が一切の迷いも、躊躇いも許さないのだ。
ちなみに、その確信は、実は間違ってはいない。
確かにミーアがこの場にいたならばティオーナを助けるために行動しただろう。
なぜなら、ミーアは優しくて正義感にあふれているから……、ということでは、もちろんない。
ただ単に、小心者であるからだ。
ここで無視を決め込んだら、ギロチンルートに直行かもしれないし、それ以上に、忠臣アンヌの期待に満ちた視線を向けられたりしたら、もうどうしようもない。
ミーアは心の中で血の涙を流しつつも、助けに行ったことだろう。
ここに、主従の行動選択は完全なる一致を見たのである。
その心のうちは完全にすれ違っていたのだけれども……。
リオラに連れられて、アンヌは、学園の校舎に向かった。
広い校舎内は、しんと静まり返っていた。授業が行われていない時の校舎というのは、意外と人気のない場所だ。
まして今は、生徒はすべてパーティーの方に行っているし、使用人たちは寮で待機しているか、アンヌと同じように休暇を与えられ街に出ている。
普段以上に人がいないこの場所は、なにか悪だくみを行うには良い場所なのだろう。
北塔の長い螺旋階段を上り、上り、ようやくたどり着いた細い廊下。薄暗い廊下の奥に、かろうじて人影が確認できた。
「あれは……?」
「しっ! 気を付けて、です。見はり、です」
「見はり……?」
暗さに目が慣れてくると、アンヌにもはっきりと見えてきた。
星見の教室の前には、二人の男が立っていたのだ。
この距離では、彼らが何者かはわからないけれど、一見した感じでは、屈強な印象を受ける。
使用人の中には主人を護衛するための武勇に優れた者もいると聞くけど、彼らももしかしたらそうなのかもしれない。
「どうしよう……?」
アンヌには、残念ながら武術の心得はない。彼らが普通の男であったとしても、殴り倒して先を進むなどと言うことは不可能だった。
では、説得が可能かと言われると、それもまた怪しい。
「……どうしよう、どうすれば……」
「おや? どうかしましたか? お嬢さん方」
その時、ふいに、背後から声をかけられた。
びっくりして、飛び上がった二人。あわてて振り返ると、そこに立っていたのは……、
「あなたは……」
「なにか、お困りのことでも?」
「たしか、シオン殿下の……?」
親しげな笑みを浮かべたキースウッドだった。