第二十五話 愚か者を嗤え
さて、ミーアが情報収集(一時間ぐらい)したり、おやつを食べて、ベッドの上でゴロゴロしたり(七日ほど)いろいろやっているうちに、ルードヴィッヒからの連絡が入った。
呼び出しに応えてシャロークがやってきたとのことで、ミーアは急遽、ルードヴィッヒが滞在している町に赴いた。
準備を事前に整えるため……、一日前に辿り着くようにして……。
そうして、待機していたルードヴィッヒとともに、ミーアは迎撃の準備を整える。
あの日の『復讐』をすべく、彼を迎え入れるための宿の一室を手配。そこで一日滞在することとする。
小さな町には高級宿などあろうはずもなく「姫殿下をお迎えするなんて、とても……」などと恐縮しきりの店主を説き伏せる。
「清潔で、普通の商いをしているのであれば、それで十分ですわ」
なにより、ミーアが重視したのは、その宿に風呂がついているか否かである。幸いにも、その宿には風呂があったため、ミーアはゆっくりと体を休めることができた。
そうして、しっかりと準備が整ったところで、シャロークはやってきた。
宿の一室、さして広くもない部屋に、ミーアはシャロークを招き入れた。
ミーアのかたわらにはルードヴィッヒ、反対側にはアンヌが、さらに、ミーアの勇姿を見ておきたいというベルも、部屋の片隅にたたずんでいる。
「これは、わざわざ遠いところをいらしていただいて感謝いたしますわ」
余裕の笑みを浮かべつつ、ミーアは言った。
それから優雅な動作で立ち上がり、スカートの裾をちょこん、と持ち上げ、
「はじめまして。帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
文句のつけようのない、堂々たる自己紹介を決める。
以前、シャロークのもとを訪れた時、彼は自分から立ち上がろうとしなかった。傲然と自らの玉座から動こうとはしなかったのだが……、ミーアは違う。
真の覇者とは、偉そうに見せる必要など、そもそもない。虚勢を張る必要などないのだ。むしろ、完全なる礼節の中にこそ、その香りは匂い立つのだと……。言外に言わんばかりの、堂々たる、落ち着き払った態度だった。
――ふふん、ああ、楽しみですわ。すっごーく、楽しみですわ!
否、落ち着いてなどいなかった。ミーアの心は、今、大変に昂っていたのだ。待ちきれないから、ついつい先走って自己紹介をやっちゃったのである!
それもこれも、すべては、シャロークに言ってやりたいことがあったためだ。
「これは、ご丁寧な挨拶痛み入ります。シャローク・コーンローグにございます。お目にかかれて光栄にございます。ミーア姫殿下」
膝をつくシャロークに向かい、ミーアは小さく頷いて、
「さ、どうぞ、そちらにお座りになって。とりあえず、お茶を楽しみましょう」
そうして、ミーアはお茶菓子を出すように指示。それは、ラーニャに用意してもらった、ペルージャンの最高級のクッキーだった。
前の時間軸、シャロークは一切、ミーアにお茶菓子を勧めたりはしなかったが、ミーアは違う。太っ腹なところを見せて、格の違いをアピールしておくのだ。決して、自分だけが食べていると、食べすぎだとアンヌに怒られるから……ではない。
「それにしましても、驚きましたな。まさか、帝国の皇女殿下がこのような……」
と、シャロークは部屋の中を見回して、それからミーアの髪に目をやった。
「それに……失礼ながら、そのかんざしは……」
「ああ、これですの?」
ミーアはにこやかな笑みを浮かべて、そのかんざしをとった。
「一角馬の角のかんざしですわ。帝国のとある森でとれる、美しい木のかんざしですの」
「ほう、木でございますか……」
わずかに、白けたような顔を見せるシャロークに、ミーアは嫣然と微笑んだ。
「ふふふ、おかしいかしら? 大帝国の姫であるこのわたくしが、木のかんざしを身に着けていることが……。それに、先ほど、なにか言いかけておりましたわね? もしかすると、わたくしが、この宿に泊まっていることが、おかしいと……、そう言いたかったのではないかしら?」
シャロークは、わずかに目を見開いて言った。
「まことにその通りでございます。御身は、高貴なる姫にございますれば、このような小さな宿にお泊りでは名を落とすことになるかと……。これならば、馬車のほうがマシではありませんか? 失礼ながら、表にあった姫殿下の馬車は非常に豪奢で素晴らしい細工がしてありましたが……」
ミーアは、それを聞き、会心の笑みを浮かべる。
「だって、馬車にはお風呂がございませんので……」
「は……?」
首を傾げるシャロークにミーアは言った。
「この宿には最高のお風呂がありますのよ。そのお湯でたっぷり温まった後、湧き水でのどを潤すのは最高の贅沢ですわ」
ヴェールガ公国は豊富な水源を誇る水の国だ。その水は、飲むだけで美しくなれるなどという逸話があるほどに、清らかで、澄み渡っている。
「そも、その土地の最高のものを求めるのであれば、その土地に住む者に聞き、その土地に居をなす宿に泊まるのは、当たり前のことですわ」
そう、ミーアは知っている。
ティアムーンにはティアムーンの、ヴェールガにはヴェールガの、レムノにはレムノの……キノコが生えるのだということを。
どこに行っても、自分の知る、自国のキノコのみを最高の贅沢と思い込むのは、愚かなこと。その土地にはその土地の最高のキノコがある。
ゆえに、その地でとれる最高のキノコを求めることこそ、最高の贅沢なのだ。
すべては同じこと。その土地の宿を軽んじ、自身の豪奢な馬車に閉じこもるなど、狭量極まること。あらゆる価値を、自身の常識の物差しである「金」で測ることもまた、愚かなことだ、と言外に訴える。
「それに、このかんざしですけれど……、これは、わたくしのために、ある子どもが作ってくれたものですの。思いがこもった、わたくしのお気に入りですわ」
ミーアはすぅっと瞳を閉じて、
「ただ高いだけの髪飾りなど、わたくしには不要ですわ。わたくしは、物の価値を自分で決めることができる、そのような立場にいるものですのよ?」
傲然と言い放った。
「そう……ですか」
シャロークは少々気圧された様子で、
「さ、さすがは姫殿下。素晴らしきお考えにございます。それはそうと、例の、わたくしめの申し出、受けていただけるのでしょうか?」
「申し出……、ああ、あれですわね」
「はい。私としては最大限、良い条件を、と……」
「ええ、そうでしたわね。フォークロードの三分の一程度のお値段とか……」
「フォークロード商会のマルコの娘と、姫殿下はご友人とお聞きしておりますゆえ……、その友情のお値段と考えていただければ……」
「ほう……」
スゥっと瞳を細めるミーアに、シャロークは媚びるような笑みを浮かべる。
「取引のために、コネをふいにさせるのですから、このぐらいの値段をつけなければ、ご満足はいただけないでしょう?」
そんなシャロークに、ミーアもまた笑みを返す。
「なるほど、納得いたしましたわ。とても良い条件の契約ですわね。シャローク・コーンローグ殿。けれど……」
ミーアは、そこで言葉を切って、シャロークを睨む。
「今こそ、あの日、言ってやりたかった言葉を、あなたに言いますわ」
「は? なんのことでしょうか?」
ぽかんと口を開けるシャロークに、ミーアは、
「なんでも金で解決できると思っていたら、大間違いですわよ?」
にやり、と会心の笑みを浮かべる。
「先ほども言いましたわ。金など、わたくしにとっては重要ではないのですわ。わたくしにとっては、お金よりも友情が大切。信頼が大切。忠義が、感謝が大切ですわ。それをお金で売り払うなんて、愚か者のすることですわ」
「なっ……」
その言葉に、わなわなと肩を震わせるシャローク。構わず、ミーアは続ける。
「世の中、なんでもお金で解決できるだなんて思っているのだとしたら、勘違いもいいところ。そんなことだから、物事の真の価値を見失うのですわ」
前の時間軸、言ってやりたかったことを言ってやって、ミーアはちょっぴりスッキリする。だから、
「愚かな……。しょせん、帝国の叡智とは、この程度か……」
シャロークの負け惜しみの言葉さえ、なんとも清々しい。
「僭越ながら、姫殿下、友情だの、信頼だの、そのような感傷にとらわれて損得を見誤るのは弱さに他なりませぬぞ? 金の合理を、感情で否定するなど……」
「無礼な。姫殿下に向かって……」
ルードヴィッヒが鋭い叱責を加えるが、ミーアはそれを片手で制する。
それから、
「シャローク殿、なんと言われてもわたくしの判断は変わりませんわ。わたくしはわたくしの力が及ぶ限り、フォークロード商会のことを助けますわ。マルコ殿は、わたくしを信頼し、契約を守ってくださりましたから、わたくしもまた、その信頼に応えなくてはなりませんわ。彼に敵対することは、わたくしに敵対することと、心得ておいていただきたいですわね」
ミーアは、すっきりした笑みを浮かべて言うのだった。