第二十三話 食べ過ぎたるは、なお……
商人王シャローク・コーンローグ。
大陸を襲った大飢饉、多くの民を苦しめた災害を逆に好機として、莫大なる富を築き、やがては「王」を名乗るようになった男……。
ミーアは、その男にかつて会ったことがあった。
それは、前の時間軸。帝国が飢饉によってあえぎ、死に瀕していた時のこと。
ルードヴィッヒとともに助けを求めに行った先の一つが、この男のもとだった。
資金難から、すっかりグレードの下がった馬車の中。ガタゴト揺れる車内にて、ミーアはお尻をさすりながら、不満を口にする。
「もう少しマシな馬車はないのかしら? もっと、こう、乗り心地の良いものは……」
「そのようなものを維持する金がどこにありますか?」
極めて的確なツッコミに、ミーアは、ぐむ、っと黙り込む。
「別に私の前では不機嫌な顔をして構いませんが、取引相手の前では愛想良くお願いいたします」
「わかってますわ。商人王コーンローグだったかしら? ずいぶんと大仰な二つ名ですわね……」
「ええ。正直、あまり頼りたい人間ではありませんが……。借りを作ってしまうと、後で高くつきそうなので」
「あら、クソメ……じゃない。あなたがそんなことを言うなんて、よっぽどですわね」
「やれやれ……一国の姫たる者が、クソなどと言うものではありませんよ」
肩をすくめつつ、ルードヴィッヒは首を振った。それから、生真面目な顔をして、
「しかし、冗談ではなくお気をつけください。一代で大国に匹敵するほどの財を成した人物です。相当、癖がある人物のようですから」
「問題ありませんわ。なにしろ、わたくし、癖のある方とは付き合い慣れておりますから」
チラッとルードヴィッヒの方を見て、ミーアは笑みを浮かべた。
けれど、残念なことに……、この日の会談は無為なものとなった。
二人は……、相手にすらしてもらえなかったのだ。
辿り着いたのは、帝国の国境付近の村だった。
てっきり宿屋かどこかでの会合かと思いきや、指定されたのは、シャロークの保有する馬車の中だった。
その豪華さに、ミーアは思わず目をむいた。
それは、在りし日の白月宮殿のミーアの部屋と同じぐらいに、きらびやかで、豪華な馬車だったのだ。
「素晴らしい馬車ですわね、商人王、コーンローグ殿」
迎え入れられた車内にて、ミーアは馬車の持ち主たる男、シャローク・コーンローグに言った。
鼻の下にくるんと巻いた口髭、それを指で撫でつけながら、その男、シャロークは笑みを浮かべた。
「恐縮でございます。ミーア・ルーナ・ティアムーン殿下。帝国皇女たるあなたに認めていただけるとは、金をかけたかいがあったというもの」
「ええ、まさに、王が乗るに相応しい馬車であると思いますわ」
と、素直に口にしたミーアに、シャロークは皮肉げな笑みを浮かべた。
「姫殿下からすると、たかが商人風情が王を名乗るのは、いささか、不遜に感じますかな? 民も、軍も、国土も持たぬ私のような者が王を名乗るなど、おこがましいとお考えでしょうか? 商人王などと、大仰な名だと思いますかな?」
図星を突かれたミーアは一瞬言い淀む。それを見たシャロークは、くつくつと口の中で笑い声をあげた。
「みなそうでございますよ。されど、私は王だ。あなた方、王侯貴族に決して引けを取らぬ王にございます」
そう言うと、シャロークは立ち上がり、傍らに置いてあった袋の中から、なにかを取り出した。
「これこそが、我が軍、兵にして城、利を生み出す田畑にて家畜。そして、私が信仰する神」
そうして無造作に、ミーアの足元にそれをばらまく。ジャリっと硬質な金属音を鳴らすそれは、黄金の輝きを放つ……、
「あら……それは……金貨?」
「そう、金ですよ。これこそが我らが力ある神。世界を支配する力です。わかりやすいでしょう?」
「え……ええ、まぁ、そうですわね……」
芝居がかったシャロークの動作に、ミーアは引きつった笑みを浮かべた。
対するシャロークは、構うことなく椅子に……否、自らの玉座に座り、そうして笑みを浮かべた。
「さて、それでは聞きましょうか。ミーア皇女殿下、我が国になにをお求めかな?」
「ええ……、こちらが求めているものは……」
と、ミーアはかたわらのルードヴィッヒに目配せする。それを受けて、ルードヴィッヒが口を開いた。
「我が国は食糧を必要としています。ぜひとも小麦を売っていただきたい」
「もちろん、お売りいたしますとも。お金さえいただければ……」
そうして、シャロークが差し出してきたのは一枚の羊皮紙だった。そこに書かれている小麦の値段を見たルードヴィッヒが、小さく呻き声をあげる。
横からそれを覗き込んだミーアは……、
「……なっ!」
思わず絶句する。
「ぐぬぬ……小麦がなぜ、こんなに高いんですの!? 暴利ですわ!」
ミーアの抗議もどこ吹く風、シャロークは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「恐れながら、欲しい者がいるならば、値段は上がるもの。それがこの世の理にございますゆえ」
「でも、これはあまりに高い。高すぎますわ。城を建てようというのではないのですのよ?」
「城より小麦が求められているというだけでございます。なにしろ、城は食べられませんからな!」
わはは、と笑うと、シャロークはかたわらに置いてあったクッキーをバリバリと頬張る。ミーアの目が、一瞬、その美味しそうなクッキーに釘付けになる!
「ふふふ、お若い姫殿下にはわかりませぬかな。この世界は金が支配しているのです。金こそが力、金こそが神……。私は私の神に信仰をささげているのですよ。もっと我がもとに来たれ、と。だからほら、金さえいただければ、なんでもいたしますよ」
ぐぬっとうなり声をあげるミーアに代わり、ルードヴィッヒが口を開いた。
「必ず約束の金額をお支払いしよう。この苦境を乗り越えれば帝国は必ず立ち直る。だから、しばしお待ちいただければ……」
「空手形などいくらもらっても無益。復興の目途が立っているならばまだしも、帝国の財政が破綻していることはすでに存じ上げておりますよ。今日、私がお会いしたのは、あなた方、帝国からまだ絞りとれるものがあるかどうか、ということだが……」
シャロークは、それから、ミーアのほうに目を向けて、小さく肩をすくめた。
「あの馬車や、姫殿下の安物のドレスを見るに……、もはや帝国は末期の様子ですな。ああ、しかし、その髪飾りは一品ですな」
ふむ、とシャロークは笑みを浮かべた。
「クッキーひと箱と交換でしたら、応じますが……」
「ふざけないでいただきたい」
ミーアの心がクッキーひと箱に揺れるのを待たず、ルードヴィッヒが言った。
「民が飢えて、死にかけているのだ。民は働き手、国を支える力、社会の基盤となるものだ。商売人のあなたにとっても必要なものではないか?」
「ルードヴィッヒ殿と言ったか。ふふ、忠勤の士だな。そして善良だ。心底から、民を飢えから救おうとしている。恐らく貴殿は優秀でもあるのだろうが、商人としての資質はなさそうだな」
「どういう意味だ?」
「貴殿では聖人にはなれても、金持ちにはなれん、ということさ。他人の痛み苦しみも、その死すらも商機として見る視点、それこそが金の信徒には必要なのだ」
シャロークは、小さく肩をすくめた。
「帝国の民がいくら餓えようが知ったことではないのだよ、ルードヴィッヒ殿。貴殿も知っているだろう? 大陸の民すべてが餓死するわけではない。問題は、どうすれば一番、金が儲けられるのかということだ。民がいなくば商売は成り立たぬだろうから全滅などさせぬ。されど、儲けを度外視してすべての民を救うのは商売ではなく慈善だ」
「きっ、聞きましたわよ、今の発言! ラフィーナさまが聞かれたら、さぞや不快に思われるでしょうね」
ミーアはここぞとばかりに声を上げる。が……。
「どうぞ、ご自由に。評判のよろしくない姫殿下と、後々の投資として慈善活動にきっちりと金を積んでいる篤志家のわたくしめの言葉、どちらが世に受け入れられるか、問うてみるも一興」
シャロークはミーアを馬鹿にしたように笑った。
「ぐっ、な、なんでもかんでもお金さえ払えば解決すると思っていたら、大間違いですわよ!」
「姫殿下、一応、ご忠告申し上げますが、その手の負け惜しみは、持たぬ者が言うと大変見苦しいものですよ」
いっそ優しげな、憐みのこもった瞳でミーアたちを見てから、シャロークは言った。
「さて、用件は以上でしょうか。でしたら、どうぞお引き取りを。こう見えても、忙しい身でしてな」
……まさに、門前払いだった。
――あの日の屈辱……忘れておりませんわよ……。いや、まぁ、忘れてましたけど……。甘いものを食べたら、すっかり思い出しましたわ。どうでもいいけど、この甘い豆のペースト、とても美味ですわ!
腹にふつふつと湧いてくる怒りを抑えるように、ミーアはお茶菓子を口に入れる。
ほわぁ、っと広がる甘味……、それがミーアに冷静さをもたらした。
――さて、これからどうするかですわね……。とりあえず、この甘い豆を売ってくれるようにフォークロード卿にお願いして……っと、そのためには、フォークロード商会を助けなければなりませんわね。そのためには、シャロークと戦う必要があるのかしら……?
ルードヴィッヒの話によれば、シャロークが敵視しているのは、あくまでもフォークロード商会である。帝国とはむしろ、取引を望んでいる様子である。となれば、こちらから攻撃するのは難しい。
――クロエが元気がないのも見ていられませんし……。それに、このまま黙っているのもシャクですわ。ならば……。
ミーアはルードヴィッヒのほうを見た。
「ルードヴィッヒ、もしもフォークロード商会が嫌がらせを受けているのであれば、わたくしたちのほうでも、なにか助けて差し上げられないかしら? そうですわね、フォークロード商会が抱え込んでいる商品を帝国で買い取って差し上げるとか……」
敵は損をする覚悟で、フォークロード商会の商品が売れないようにしている。ならば、相手の目的である「フォークロードの商品が売れない」という状況を崩してやるのが良いだろう。
――ふふふ、これは、一石二鳥。フォークロード商会を助けると同時に、良い嫌がらせになりますわよ。あのヤロウ……、ではなくって……、あの方の悔しがる顔が目に浮かぶようですわ。うふふ。
けれど、問題は、それが無駄遣いといわれないかどうかだが……。
ミーアはルードヴィッヒの顔をうかがう。
「それとも、お友だちのお父さまの商会だからといって、売れ残った商品を買い取ったりしたら、無駄遣いになってしまうかしら? それよりも安い商品があるのに、高い値で買い取ったりしたら、怒られてしまうかしら?」
ミーアは、不安にドキドキしながら、ルードヴィッヒの答えを待つ。
さぁ、答えは? 可か? 不可か!?
緊張の一瞬、ミーアはごくり、と喉を鳴らして――それから口の中を甘味で潤そうと、新たなお茶菓子に手を伸ばした!
……食べ過ぎである。
「いえ、問題ないでしょう」
その返答に、ミーアは思わず安堵のあまり、お茶菓子に手を伸ばそうとして……、アンヌに止められた。
……食べ過ぎだったのである。
――ふむ……、何事にも適度が大事ということですわね。ルードヴィッヒが今、話してることと同じですわ。適正価格が大事、お菓子も適量が大事……。そういうことですわね。
……いや、適量ではなく、食べ過ぎである。
気を取り直して、ミーアは言った。
「まぁ、そういうわけですから、フォークロード卿、あなたの商会が抱え込んでいる在庫、適正価格で買い取らせていただきますわ。帝国だけで難しければ、そうですわね、わたくしの友人たちにも協力を求めましょうか。売れ残っているからといって、過度な値下げは不要。互いに敬意を持った取引をお願いいたしますわね」
「いえ、ですが、ミーア姫殿下、そのようなことをしていただいては……」
「フォークロード卿、わたくしは、先ごろ、セントノエル学園の入学式で申しましたの。何事も助け合いが大事だと。あなたには、助けていただいておりますから、わたくしが動くのは当然のこと」
それから、ミーアは、少しだけ考えてから続ける。
「それにクロエのことも、ありますし……。だから、そうですわね……、もしもお礼だというならば、クロエをわたくしがお借りすることをお礼だと思っていただきたいですわ」
ミーアとしては、クロエは本当に大切な読み友なのだ。これからの学園生活でも良い関係を続けたいと思っているのである。
その期間、読み友としてクロエを借りたいと……ちょっぴりくさいセリフを吐いてしまうミーアなのであった。
さて……マルコは、後日、クロエから、入学式でのミーアの言葉を聞くことになった。
例の『パン・ケーキ宣言』である。
そうして、その後のミーアの行動を思い出し……、「クロエを借りたい」との言葉を、改めて考えて……マルコは理解する。してしまう。
ミーアの真意を!
入学式での宣言からうかがえる、大陸における食料相互援助の構想……、そのために力を貸せと……、クロエに協力してもらうと……。
ミーアはそう言っているのだ。
「これは……とんでもないことに巻き込まれたものだな……我が娘ながら」
思わず、つぶやいてしまうマルコであったが……、同時に、帝国の叡智とともに羽ばたくことになるであろう娘を誇らしくも思うのであった。
「となれば、その構想のために、私もお手伝いしないわけにはいくまいな……」
かくて、着々とミーアネットの布石は打たれていくのであった。