第二十一話 ルードヴィッヒの教育
クロエから相談を受けた翌日、ミーアは、即座にルードヴィッヒに連絡を取った。
「いろいろと忙しいでしょうけれど……、ルードヴィッヒにも来ていただいたほうが良いでしょうね」
緊急性が高い事案と判断、最も頼りになる知恵袋を呼び出す。
「ふむ……そういえば、ルードヴィッヒはベルの先生役もやっていたんでしたわね。どうせなら、算術の教育も一緒にお願いしてしまうのが良いのではないかしら。なにか上手い手を考えてくれそうですわ」
などと、考えつつ「ベルに教えを施してほしい」旨も書き加えて、書状を送る。
ミーアお祖母ちゃんは、教育熱心なのだ。
さらに自らもセントノエル島を出て、クロエから聞いたフォークロード商会の商隊がとどまっている街へと向かう。幸いにもと言ってよいかは微妙ながら、クロエの父、マルコはそこでしばらくの間、療養するらしい。
会いに行くなら今である。
「あの、ミーアお姉さま、ボクも一緒に行ってもいいでしょうか?」
島を出る際、ベルがそんなことを言い出した。
「あら、特に楽しいこともないと思いますけど……」
「ミーアお姉さまの勇姿をぜひ、目に焼き付けておきたいんです」
「勇姿を見せるようなこともないとは思いますけど……でもそうですわね……ふむ」
ミーアは腕組みしつつ、考え込む。
――算術といえば商人……。実際の商人を見たら、もしかしたら、勉強に身が入るかもしれませんわ!
ミーアお祖母ちゃんは、教育熱心なのだ。
「では、一緒に行きましょう」
そうして、一行は、フォークロード商会が駐留している街へと向かった。
「これは、ミーアさま……。わざわざいらしていただけるとは……」
突如、現れたミーアを見たクロエの父、マルコ・フォークロードは目を丸くして驚いた。
宿屋のベッドの上、慌てて起き上がろうとするマルコ。そんな彼を片手で制し、ミーアは優しげな笑みを浮かべた。
「ご無事なようでなによりですわ。お加減はいかがかしら?」
「娘から聞いたのですか? 申し訳ございません。大したことはないのです。ただ、疲れが出てしまっただけで……、姫殿下に足をお運びいただくようなことでは……」
「気にする必要はまったくございませんわ、マルコ殿。あなたは、我が帝国にとって重要な方。文字通り生命線ですわ」
ミーアは、それから、悪戯っぽい笑みを浮かべて付け加える。
「それに、あなたは、わたくしの大切な読み友、クロエのお父さまですわ。あなたの元気がないと、クロエと読書談義もできなくって、楽しくないんですの」
「ミーア姫殿下……」
マルコは、深々と頭を下げた。
「ご厚意に感謝いたします」
「わたくしで力になれることがございましたら、遠慮なく言っていただきたいですわ」
「ああ……その……、本当に大したことではないのです。あくまでも商売上のことですので……」
「でも、妨害を受けたとお聞きしましたわ。もしや、なにか暴力的な攻撃を受けたりとか……、たとえば、盗賊を雇って襲わせたり……」
「いえ、決してそのようなことはございません」
慌てた様子で首を振るマルコに、ミーアが首を傾げていると……。
「フォークロード卿、我が主、ミーア姫殿下は、聡明な方です。どうか、今、あなたの商会が置かれている状況をご説明ください」
部屋の入口から聞こえた声。ミーアが目を向けると、そこには頼りになる忠臣の姿があった。
「ああ、ルードヴィッヒ、来てくれたんですのね」
心強い援軍の到来に、ミーアは声を弾ませた。自分一人では、マルコから話を聞くことはできなさそうだと感じていたからだ。
「遅くなりました。ミーアさま」
ルードヴィッヒは深々と頭を下げてから、改めてマルコのほうに目を向けた。
「さて……、商売上のことは言いづらいということであれば、私のほうで推論をお話しさせていただきますので、どうかそのままお聞きください」
それから、ルードヴィッヒは、眼鏡を指で押し上げる。
「まず、ミーアさまの誤解を訂正させていただきたいのですが、商人同士の争いの場合、盗賊を雇うなどして、直接的に攻撃することはたしかにあります。けれど、それはそこまでよくあることではありません。特に相手が大きな商会の場合、ほとんどそんなことはしません」
「まぁ、そうなんですの?」
「はい。明確な悪事には、当然、制裁があるからです。法を犯せば国の介入を求めることができます。それに、規模の大きな商会であれば、自衛の手段を整えることもできましょう。それはリスクが高く、防ぐ手段もわかりやすい下策です」
「なるほど。そういうものですの……」
「商人には商人の攻撃の仕方があるのです。例えば、そうですね……、わかりやすいのは、過度な値下げで、競争を仕掛けてきた、とか……」
ルードヴィッヒはメガネを押し上げながら言った。それを見たマルコは、苦々しげに顔をしかめた。
「へ……値下げ……?」
きょとん、と首を傾げたのはベルだった。それを見たルードヴィッヒは、おかしそうに笑って、
「そうか。ベルさまには、少し難しいかもしれませんね。うーん……」
少し考えてから、ルードヴィッヒは言った。
「そうですね。例えばベルさま、同じ味、同じ大きさの焼き菓子が片方は銅貨一枚、片方は銅貨二枚で売っていたとしたら、どちらを買いますか?」
「え? えっと、銅貨一枚の方、でしょうか?」
「そうですね。客としては当然の心理です。値段が安いほうから買うというのは。だから、敵対する商人より安い値をつけて、自分のところの商品を売りつけることは、相手の商人の商売を邪魔する上での基本的なやり方です」
ルードヴィッヒの言うことは、ごくごく当たり前のことだった。そのぐらいはミーアにでもわかることである。
「そして、悪質な場合には、利益を度外視した安売りを仕掛けてくることがあります。極端なことを言えば、銀貨一枚で仕入れたものを銅貨一枚で売ったりとか」
「へ? そんなことをして、なんの意味があるんですか? 損になってしまいますけれど……」
その答えに、ルードヴィッヒは厳しい顔で頷いた。
「意味は大いにございます。これをされた場合、大商人が資金力にものを言わせて、ライバルとなる商人をすべてつぶしてしまえば……市場を独占することができますから」
そのやり取りを横目に、ミーアはマルコが用意してくれたお茶菓子を食べていた。
――ふむ……、見たことがないお菓子ですけれど……、これはもしや、海の向こうのお菓子ではないかしら……。この黒いペーストは、豆でできているんですのね……。なんともすっきりした甘さ……、これは、クリームと混ぜると美味しくなりそうな予感がいたしますわね。
スイーツ鑑定士ミーアの審味眼が冴え渡る。