第二十話 ひたり、ひたり……
ミーアは部屋にクロエを招き入れた。
部屋では、アンヌが雑巾を片手に掃除の真っ最中だった。
「アンヌ、掃除の途中で申し訳ありませんけど、これから、クロエとお茶会させていただきますわね。あなたも一息入れるとよろしいですわ」
「あ、はい。かしこまりました。では、すぐにお茶の準備を……」
「無用ですわ。今、ベルが食堂の方に行っていて……」
と、タイミングよく、ベルが部屋に入ってきた。
「お待たせしました。ミーアお姉さま」
その手に持ったトレイには、あまぁい匂いのするホットココアが入ったカップが載っていた。その数は……五つ!
「もう、お茶って言いましたのに……。ところでベル、わたくしとクロエとあなた、それに、アンヌとリンシャさんの分まで持ってきたんですのね?」
部屋には、アンヌのみで、リンシャは来ていないのだけど……、と首を傾げるミーア。そんなミーアに、ベルはにっこにこと笑みを浮かべて、
「もちろん、ボクのお替わりの分です」
堂々と胸を張っていった。
「…………ベル」
ミーアは、ベルがトレイをテーブルに置くのを待って、ベルの二の腕をつまんでみた。幼い二の腕は、FNYっとした感触を返して…………こなかった!?
「なっ……!?」
驚愕に呻きつつ、ミーアは自らの二の腕をつまむ。ベルより、明らかにFNYっとしている! こんな理不尽があっていいのだろうか!
もう一度、つまんでみよう! やっぱり、FNYっとしてない!
「あ、あの、ミーアお姉さま? なにか……?」
「はぇ? あ、ああ、ええ、なんでもありませんわ。ところで、ベル……あなたなにか、体を動かすこととかやってますの? わたくしの知らないところで……」
「へ? うーん、ミーアお姉さまに教わったダンストレーニングぐらいでしょうか……」
「そう……。では、そうですわね、今度また一緒にやりましょうか。せっかくですし、あなたのトレーニング方法を見てみたいですわ」
「はい、わかりました」
などと、かしましいやり取りをした後、ミーアは改めてクロエを見た。
「さて、それでは改めて、クロエ、いったいなにがございましたの?」
クロエはまだ迷っているのか、ミーアの顔を見て、それから自分の手の中のカップに目を落とした。
「…………」
口を開こうとしないクロエにため息一つ。それから、ミーアは、自らの胸に手を当てて穏やかに微笑んだ。
「先ほども言ったけど、水臭いですわよ、クロエ。あなたは、わたくしの大切なお友だちですわ。あなたの元気がないと、わたくし、こんなに甘いココアだって美味しくいただけませんわ」
後半の主張の真偽に関しては、若干の疑義がないではなかったが……、それはさておき、ミーアは続ける。
「ですから、もしもあなたがわたくしのことを、お友だちだと思っているのなら、ぜひ話してくださらないかしら? 必ず力になりますわ」
「み、ミーアさま……うう」
ミーアを見つめていたクロエの顔が、次の瞬間、くしゃりと歪んだ。メガネの奥、可愛らしい瞳からは、ポロポロ、ポロポロと涙が零れ落ちた。
「ふむ……」
ミーアは、一つ頷くとハンカチを取り出して、クロエのところに歩み寄る。
「ほら、クロエ……、落ち着いて。涙をお拭きなさい」
そうして、ハンカチを差し出し、クロエの背中をさすってあげる。
その姿は、どこに出しても恥ずかしくない、実に聖女じみた姿で……。でも……、
「すみ、ません、ミーア、さま……。実は……、お父さんが、倒れて、しまってっ」
「…………はぇ?」
しゃくりあげ、途切れ途切れのクロエの声を聞いた瞬間、ミーアの完璧な笑みが崩れた。
「なっ、おっ、はっ、くっ、クロエのお父さま……、フォークロード卿が、倒れた……?」
一瞬、ミーアはクラッとしかける。なにしろ、クロエの父、マルコ・フォークロードが率いるフォークロード商会は、今やティアムーン帝国の生命線と言ってもよいものである。備蓄が心もとなくなってしまった現状、もし、それが切れてしまえば、連鎖的にガヌドス港湾国あたりもなにか仕掛けてくるに違いなくって……。
ひたり……ひたり……。ミーアの耳は、なにかが近づいてくる音を敏感に察知した。
思わず振り返ったミーアは……、谷底から這い上がってくるギロチンの姿を幻視してしまい……、
――ひぃいいっ! やっやや、ヤバイ、ヤバいですわ!
背筋に冷たい汗をびっしりかいたミーアは、一度、ホットココアを飲んで、小さくため息。気持ちを落ち着けてから、クロエに凛とした視線を向ける。
「詳しい話を聞かせていただけないかしら?」
クロエは、そんなミーアを見つめてから、こくり、と小さく頷いた。
「実は……、うちの商会に攻撃を仕掛けてきた商会があるんです」
そうして、クロエは話した。
フォークロード商会と取引のある商会のすべてに、ちょっかいをかけてきた者がいた。
シャロークというその大商人は、フォークロード商会に敵対し、その販路をことごとくつぶしていったのだという。
その結果、クロエの父、マルコは、状況打開のために働きすぎて、倒れてしまったのだ。
「ゆっ、許せませんわね……。クロエのお父さまに喧嘩を売るなどと……」
ふるふると、怒りに打ち震えるミーア。
なにせ、クロエのところのフォークロード商会は飢饉の際の生命線の一本だ。
特に、入学式でいろいろとぶち上げてしまったミーアである。小麦の備蓄が心もとない現状、フォークロード商会につぶれられては、一大事である。
――下手をすると、ギロチンにつながる状況ですのに、いったい、どこのどいつが、わたくしに喧嘩を売ってきましたの?
そう……、今や、フォークロード商会に喧嘩を売るということは、ミーア自身に喧嘩を売るに等しい行為なのだ。ミーアはクロエの方を見て、力強く頷いた。
「よく相談してくれましたわ、クロエ。大丈夫、わたくしに任せるとよろしいですわ」
「ミーアさま……」
「とりあえず……、ルードヴィッヒに相談してみるのがよろしいですわね……。商人のことは、わたくしにはよくわかりませんけれど、たしかルードヴィッヒは、商家の出身だったはず。きっと良いアイデアを出してくれますわ」
それから、ミーアは不気味な笑みを浮かべる。
「ふふふ、わたくしに喧嘩を売ったこと……後悔させてやりますわ!」