第十九話 ミーアお祖母ちゃんは、教育熱心
さて、入学式にて、ミーアが高らかにパンとケーキに関する自説を開陳してから十日ほどたった日のこと。
ミーアは、図書室に訪れていた。
本国で小麦の研究に勤しむセロたちに、なにか有用な情報がないかを探すため……ではない。
ベルに勉強を教えるためである。
「今年の夏ごろはあまり余裕もないかもしれませんし、テストに備えてきっちりと勉強しておかなければなりませんわよ」
すでに、ベルの学力がアレなことが分かっているミーアは、心を鬼にして腕組みする。
「う、うう、ミーアお姉さまが、鬼になってしまいました。うぐぅ、まだ、テストまでは時間があるのに……」
「リンシャさんから、しっかりと聞いておりますわよ。最近、また、サボっているようではありませんの?」
「でも、ミーアお姉さま、このお勉強って、なにかの役に立ちますか?」
上目遣いに見つめてくるベルに、
「無論ですわ!」
ミーアは胸を張って言い放った。
「きちんと勉強していれば、そのうち、偉そうにガミガミ言ってくるクソメガネ……ではなくって……熱意溢れる臣下に目にもの見せて……ではなく、いいところを見せて驚かせることができますわ。なかなか気持ちいいものですわよ?」
ちょいちょい本音が漏れてしまうミーアであったが、幸いにもベルは気付いていなかった。
「うう、本当に役に立つかなぁ……」
ぶつぶつ言いつつも、机に向かうベル。教本を開き、自習を始めたベルを横目に、ミーアは持ってきた本を開く。それは、世界中の珍しいキノコ料理を集めた「キノコ百珍」という本だった。
著者は、有名な冒険家で「死なない毒キノコならば食べられる!」をモットーにしている人である。ヤバい……。
そうしてミーアは、そのヤバい本を開きつつも……、
――しかし、実際、どうしたものかしら……。
思わず考え込んでしまう。むろんキノコのことではない。ベルのことである。孫娘とキノコとでは、かろうじて孫娘に比重が傾く、常識人ミーアである。
――勉強嫌いなのもそうですし、ベルの浪費癖も結局のところ、この“いついなくなってしまうかもしれない”という投げやりな気持ちがあるのでしょうね……。
それは、同情の余地のあるものではあった。ミーアとてその気持ちがわからないではないのだが……。
――けれど、このまま無駄遣いを許すわけにはいきませんわ。ギロチンの足は……思いのほか速いのですから!
金貨一枚無駄に使うごとに、百歩ずつぐらいの速度で迫ってくる印象である。特に帝国のギロチンの足が速いことはミーアは身をもって知っている。なんとかして、ベルを納得させておく必要があるのだ。
――それに、いずれにせよ、ベルがこの世界で生きていくためにも教育は必要でしょうし。頑張らせないといけませんわ……。もっとも、お父さまにお願いしたら、それなりの爵位と領地をいただけて、楽に生きていけるような気もいたしますけれど……。
もちろん、そんなことを口に出したりはしない。ますます、ベルが勉強をしなくなってしまう。
自分がグータラするのも、他人がグータラすることにも寛容なミーアであるが、相手が孫娘だと、なんとなく黙っていられない。
――ベルの母親……わたくしの娘に悪いですしね……。
ミーアお祖母ちゃんは教育熱心なのだ。
「ミーアお姉さま、ここ、わかりません」
「あら、もう……、仕方ありませんわね。見せてごらんなさい」
ミーアは、ベルが差し出してきた本を受け取って……、
「……ふむ」
小さくうなる。それから、こめかみを指でコツコツたたきながら……、
「……ふぅむ」
懸命に、自らの脳みそを回転させる。
言うまでもないことながら、ミーアのテスト勉強は物量に頼ったものである。範囲内の情報をすべて頭に叩き込むスタイルである。
意外でもなんでもないことながら、そんなものいつまでも覚えてはいられないわけで……。テストが終わると、きれいさっぱり忘れることもしばしばである。
まして、今ベルがやっているのは『算術』という、ミーアが不得手なものである。
――アンヌ……、アンヌはどこにいるかしら?
無意識に、軍師アンヌの姿を探そうとしたミーアは……ふいに気付く。
ベルが、キラッキラした瞳で、見つめていることを。それはもう、期待にあふれた瞳で、じぃいっと見つめてくる。
「尊敬する帝国の叡智はどんな風にこの問題を解くんだろう!?」
などというメッセージを如実に伝えてくる視線を、ミーアに向けてきているのだ。
「…………ふむ」
ミーアは再びうなり、本に目を戻した。
さすがにこの状況でアンヌに解いてもらうことはできない。ミーアは気合を入れる。
――問題ありませんわ……。わたくしの、この、記憶力があれば……。
そう……、ミーアは決して忘れない。テスト前に暗記した無味乾燥な知識は忘れたとしても、自分が生き残るために必要な知識と……そして……、自らが受けた屈辱のことは!
――あの時、クソメガネに似たようなものを教わった気がいたしますわ! 算術は、取引に必要とかなんとか言われて……、それで、たしかあの時は……。
そう、ルードヴィッヒを見返すために覚えたことは、執念深く日記帳に書き連ねていたのだ。ゆえに……。
「ベル、覚えておくとよいですわ。この手の問題は、たいてい、そのそばに例題というものがあるのですわ。そして、それを応用して……」
すべてルードヴィッヒから教わったパクリである。教え方のパクリである。ミーアの暗記力が冴え渡る。
答えを直接言うのではなく、あえて自分で考えさせるという……、答えはちゃんとわかってるけど、あなたに考えさせるために、こうやってますよー、という、ルードヴィッヒのやり方のみを完コピして!
「他人に教わったことを、そのまま覚えても意味がありませんわ。やはり、自分で考えなければいけませんわ」
他人に教わったことを、そのままやって見せてから、偉そうにそんなことを言った。
「さすがは、ミーアお祖母さま。わかりました。考えてみます!」
素直に頷いたベルが、再び本に目を落としたのを確認してから、ミーアは一つため息、それから顔を上げる。と、ちょうど本棚の前にうつむきがちに立っていたクロエの姿が見えた。
「あら、クロエ、戻っておりましたの?」
近くまでフォークロード商会の荷馬車がやってきているとのことで、父に会うために島を出ていたクロエ。数日ぶりに会う友人に、ミーアは愛想よく話しかける。
「フォークロード卿……、いえ、お父さまはお元気でしたの?」
そう声をかけるものの、聞こえなかったのか、クロエはうつむいたままだった。
「クロエ……?」
立ち上がり、歩み寄りつつ再度話しかけてみる。と……、
「あっ……ミーアさま……」
ようやく気付いたのか、クロエが顔を上げる。その顔を見て、ミーアはわずかに眉をひそめた。
「クロエ……。どうかなさりましたの?」
ミーアは言った。友人の顔には、深い憂いの色が浮かんでいるように見えたから……。
「いえ……、なんでも、ありません……」
「なんでもないという顔ではありませんわ。なにを遠慮しておりますの? あなたとわたくしとは、読み友ではございませんの。水臭いですわ」
ミーアはクロエの手を取ると、
「とりあえず、わたくしの部屋に行きましょう。なにか、お茶菓子はあったかしら……」
「あっ! ミーアお姉さま、任せてください! ボク、厨房まで行って準備をしてきます!」
弾むような声で言って、ベルが図書室を駆け出して行った。
機を見るに敏、実にちゃっかり者のベルなのであった。




