第十七話 パン・ケーキ宣言
さて、入学式の日がやってきた。
セントノエル学園の入学式は他の行事と同じように、儀式的な側面を持つものとなっている。
生徒でいっぱいになった大聖堂。ミーアは、その最前列に座り、そっと瞳を閉じる。
やがて、式が始まった。
神にささげる聖歌に続いて行われるのは「香の儀式」と呼ばれるものだった。
香の儀式は、新入生をこの学園の生徒として迎える際の重要な儀式だ。神にささげられし香油の、貴き香りを身にまとい、セントノエルの学生にふさわしく行動する、そのことを表すための儀式だと、ミーアは聞いている。
純白の衣装を身にまとったラフィーナが聖堂に入ってきた。上質な布で作られた衣装は艶やかな輝きを放ち、ラフィーナの透き通るような肌を彩っていた。その天使のような衣装に……、ミーアは、先日の聖ミーア学園で見た像を思い出して、ちょっぴり複雑な気分になった。
ラフィーナは司祭から灯を受け取ると、そのまま前方へと歩いていく。
その向かう先には、儀式卓の上に置かれた巨大な銀の盃があった。杯の中には、最上級の香油が入っている。ラフィーナは、ゆっくりと炎を近づけた。
ぼっ、と弾けるような音を立て、炎が灯される。と同時に、あたりに甘い香油の香りが広がった。
――ふむ……、どうでもいいですけれど、貴い香りというのは、甘い香りなんですのね……。なるほど、納得ですわ。
半分、スイーツ教に足を踏み入れかけているミーアは、思わず納得してしまう。将来的に、ラフィーナに異端審問を受けてしまわないか、いささか心配である。
まぁ、それはどうでもいいことだが……。
やがて、一連の儀式が終わった後に、いよいよミーアの出番がやってきた。
「それでは、生徒会長のミーアさんに挨拶をしていただきます」
ラフィーナに呼ばれたミーアは、小さく息を吐いてから、顔を上げた。
聖堂の前方、静かに燃える香油を背負い、ミーアはみなに視線を向けた。聖堂に詰めかけた一同を見渡して、再び深呼吸。
甘い空気を存分に吸い込んでから……、静かに口を開く。
「ご機嫌よう、みなさま。わたくしが、生徒会長を務める、ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
心は、思いのほか落ち着いていた。
この日まで、考えて、考えて……ミーアは一つの結論に至っていた。
――帝国の備蓄を他国のために一切使わずにいるのは……恐らく不可能。
いろいろと言い訳を考えてはみたものの、すぐに諦めた。
仮に、備蓄の量を誤魔化したとして、上手くシオンやラフィーナを騙せたとしても、神出鬼没の蛇の目を欺くのはほぼ不可能。
それに……。
――後味、悪いですし……。
前の時間軸、幾度も口惜しい想いをしたミーアとしては、断られた相手の気持ちをついつい考えてしまうのだ。きっと、お断りした日には、夢見が悪いし、お腹が痛くなってしまうだろう。
――であるならば、むしろ……助けを出す前提で考えるのがよろしいですわ。
ということで……、ミーアは方針を変えた。すなわち……。
「わたくしが、みなさんに言っておきたいこと。それは……助け合いの精神ですわ!」
積極的に、周囲を巻き込んでいく!
「困った時はお互いさま。我ら、民の上に立つ者は、民が困窮している時には、国の別に関わらず助け合わねばなりませんわ」
物資を出さざるを得ないのであれば仕方ない。ならば、自国だけではすまさないぞ、と。どこかの国が助けを求めてきた時、お前らもきちんと出すもの出せよ! と釘を刺しておく。
さらに、狙いはもう一つあった。それは……、出し損にならないようにすること。
「助けて、助けられて……そうした国同士の連帯が重要ですわ!」
ミーアは力説する。翻訳するならば、それは、仮に帝国が飢饉のために、備蓄を供出したとして……、今度は帝国が困ることがあった際にはきちんと助けるように、ということである。
困った時はお互いさま……、すなわち、お前が困った時には助けてやるから、代わりに自分が困った時には必ず助けろよ! ということなのである。
自分が出さざるを得ないと察したミーアは、他人からもきちんと取り立てることにしたのだ。余力のあるやつは、隠してないできちんと出せ、と……。
そして、それをラフィーナの目の前で、そして、各国の王侯貴族の子弟の前で堂々と宣言しておく。それが大事である。
かつて、ミーアは知らずにいろいろとやらかしたことがあった。ゆえに、知らなかったとは言わせないために、きっちりはっきりと言っておく。
「みなには、ぜひ、そのようにあっていただきたいのですわ。そう……」
一度、言葉を切り、ミーアはみなの顔を見回して……。
「今日、食べるパンがなくて餓えた者がいるなら……、明日、あなたが楽しみに食べる予定だったケーキを出して一緒に食べなさい。ケーキを惜しんで、困窮した者を放っておいてはいけませんわ」
明日、食べる予定だったケーキを全部くれてやれ、とは言わないミーアである。
だって、ケーキ食べたいし……。
自分が食べるケーキを減らし、一緒に食べること……。それがミーアのギリギリの妥協点。率先して、自分が行える、ギリギリのラインであった。ちなみに、イチゴが乗っていたら当然、自分の方に乗せるミーアである。そこは譲れない。
それから、ミーアは小さく息を吐いた。
「これから先……、大陸にはいろいろなことが起こるでしょう。さまざまな国で苦難の時代というものも経験するかもしれませんわ。けれど、我らはセントノエルでともに学びし者。この気高き香りをまといし仲間。ともにこの大陸に生きる者同士。どうか、国に帰ったとしても、忘れないでいただきたいですわ」
そうして、ミーアは祈るかのように、瞳を閉じた。
否……、ミーアは実際に祈っていた。
――ああ、どうか……セロくんとアーシャさん……、寒さに強い小麦作りを成功させてくださいませね……。うう、そうしないときっと備蓄が足りなくなってしまいますわ……。
と。
この日語られたミーアの言葉は、「パン・ケーキ宣言」と呼ばれ、後世に記録される言葉となった。
それは、類稀なる言葉だった。
語られた瞬間は、まぎれもなく凡庸な言葉だった。
陳腐で古臭い、埃をかぶった綺麗事だった。
困った時はお互いさま? 互いに助け合いましょう? そのような使い古された綺麗事をいったい誰が真に受けるというのだろうか。
その場で聞いていた者たちは、誰もが笑った。陳腐な言葉だと嘲笑った。
けれど……、その言葉は時間を経るごとに、少しずつ輝きを放つようになった。
なぜならそれを語った者、ミーア・ルーナ・ティアムーンがその言葉を体現するように、率先して振る舞ったからだ。
ティアムーン帝国からの食糧援助によって、救われた者たちが、少なからずいたからだ。
ミーアは、たしかに困った者の手を振り払うことはしなかった。誰一人として、見捨てることなく、困窮している国に物資を送った。そして……そんなミーアの後に続く者たちがあった。
はじめはミーアの友人たちが属する国から始まり、やがては、大陸全土を覆い尽くすほどに、その流れは大きなものとなった。
そして、それはある仕組みの礎となっていく。
ミーアの友人、クロエ・フォークロードが中心となって作り上げた、後の世に≪ミーアネット≫と呼ばれる仕組み――大陸から餓死を一掃したとまで言われる、国を超えた食糧の相互援助の、巨大な繋がり。
それを支える基本理念として……、決して揺らぐことなき黄金律として「パン・ケーキ宣言」は語り継がれていくことになるのだった。
……ちなみに、結局は入学式でも甘い物の話をしてしまったミーアなのだが、そのことにツッコミを入れる者は誰もいなかった。
めでたし、めでたし……。