第十六話 持つ者には持つ者の……
――ふぅ、やれやれ……なかなか大変なことになりそうですわね……。
予想外の宿題を出されてしまったミーアは、生徒会室から出たところで、小さくため息を吐いた。
「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ?」
成り行きで、一緒に女子寮まで向かうことになったラフィーナが、いつもどおりの涼やかな笑みを浮かべる。
「そうはいっても、なかなかに難題ですわ。こういうのは、あまり得意ではなくって……」
「大丈夫よ。ミーアさんなら。伝えたいことを素直に伝えれば、きっと大丈夫」
そう励ましてくれるラフィーナ。
でもなぁ……、と思いかけたミーアだったが……、ふいに笑ってしまう。
――この時期に、こんなことで悩めるなんて……、こんなことで、ラフィーナさまから励ましてもらえるなんて、とっても幸せなことかもしれませんわね。
セントノエル学園に戻ってきて、しばらく経った頃から、徐々にミーアは状況を楽観視し始めていた。
――なんだかんだで、ルードヴィッヒが大丈夫って言ってますし。しっかり備蓄も増やしましたし……。いつまでも心配してもいられませんわ。
唯一の不安要素といえば、セロが寒さに強い小麦を見つけることができるかどうかではあるが……。
――まぁ、それが上手くいかなかったとしても、なんとかなるんじゃないかしら?
そう。なんと言っても備蓄は十分にある。たっぷり溜め込んであるのだ。だから、きっと大丈夫! と……。
かつての地獄が、ミーアを油断させたのだ。
ミーアは忘れていた。変化した状況には変化した状況の……落とし穴があるということを。
それは、唐突にミーアの前に訪れた。
「あら……? あれは?」
ラフィーナと談笑しつつ廊下を歩いている時、ミーアはそれを見つけた。
廊下の一角にて……、新入生と思しき少女が、複数人の上級生に囲まれていたのだ。
上級生の一人が、少女の肩を押した。少女は、そのままへたりこみ、うつむいてしまっていた。
そんな彼女に、口々に罵りの言葉を吐く周囲の者たち。
ミーアは……ササっといじめているほうの生徒に目を留める。ラフィーナの前で無法を犯すとんでもない輩が、帝国の貴族ではないことを素早く確認して、ひとまず安堵。それから、意気揚々とその者たちのところへ歩み寄った。
「こらこら、いけませんわね。弱き者をいじめるようなことをしては……」
「なんだと? 余計な口を……あっ……」
攻撃的な言葉は、途中で止まった。
相手が、決して逆らってはいけない存在であると、すぐにわかったからだ。
「みっ、ミーア姫殿下、それに、ラフィーナさま!」
「いけませんわよ。新入生をいじめるだなんて、この学校の生徒に相応しくありませんわ」
「い、いえ、こいつは、我が国の平民で……、この高貴なるセントノエル学園に通えること自体が間違いといいますか……」
と、無駄な言い訳をする生徒に、静かにラフィーナが歩み寄った。その顔には、とても穏やかで優しい笑みが浮かんでいた。
「ミーア生徒会長は、そういうことはお嫌いよ? もちろん私もだけど……。どこの国の者であれ、このように、大勢で弱い者いじめをすることを許さないわ。ね、ミーアさん?」
「え、ええ、そうですわ」
有無を言わさないラフィーナの迫力に、一瞬、ビビッたミーアであったが、すぐに気を取り直す。
腕組みなどして、堂々たる態度で頷いた。
「国の別など関係のないこと。そのような非道を見過ごすことなどできませんわね」
そうして、ミーアはジロリとにらんだ。
大して迫力のある顔でもなかったのだが……いじめっ子たちは、いっそ哀れなほど震え上がった。
なにしろ、今のミーアはセントノエルの権力の頂点にして、大国の姫君である。しかも、その後ろには聖女ラフィーナが控えている。
このセントノエル学園に通うのであれば、絶対ににらまれてはいけない人間の筆頭なのである。
「まぁ、幸いなことに、過ちは正せば良いだけですわ。あなたたち、二度と彼女に無礼を働いてはいけませんわ。貴族ならば貴族らしく、誇り高く生きるべきですわ。弱者を虐げるなどという見苦しいことはしてはいけませんわ。その力をもって、むしろ、弱き者を助けるべきですわ」
それから、ふむ……、と頷いて……、
「そうですわね。あなたたち、この子と同国人なのでしたら、この子を守りなさい」
「……へっ?」
「この子が、今後いじめられていることがわかったら、あなたたちに関係があろうとなかろうと許しませんわ。陰でやろうとしても無駄なこと、わたくしの情報網を甘く見ないことですわ」
ミーアは、ふと、悪戯心を起こして、ラフィーナの真似をしてにっこり微笑んで見せた。
すると……いじめっ子たちは、ひっと悲鳴を上げて、その場から逃げ出していってしまった。
――ふむ……、なるほど。笑顔も時には脅しに使えるということですわね……。
などと思いつつ、ミーアは尻餅をついている少女を助け起こした。
「あなた、大丈夫ですの?」
「あ、ああ、あの、ありがとうございます。わ、わわ、私なんかのことを、どうして……」
あたふたと慌てふためく少女に、ミーアは、くすり、と笑みを浮かべた。
「別に、わたくしは当たり前のことをしたまでのことですわ」
まぁ、ラフィーナの手前、助けないわけには絶対にいかなかったのだけど……、などと思った瞬間のことだった。
ふいに、ミーアの背筋に嫌な感覚が走った……。
それはある種の気付き。あるいは、ちょっとした思いつきだ。
ミーアは、ふと……思ってしまったのだ。
これから飢饉が来るけれど、その時に、今と同じように助けを求められたらどうしよう……と。
前の時間軸においては、そんなことを悩む必要はなかった。なぜなら、帝国は自国の民のことだけで精一杯だったからだ。
けれど……今は違う。
帝国には十分な備蓄がある。
それこそ、今年一年間をしのぐだけであれば、余るぐらいの食糧を、ミーアは溜め込んでいるのであって……。
それは、飢饉が今年一年では終わらない、大規模なものになることをミーアが知っているからなのだが……。
けれど、他の者たちは……知らないのだ。今年だけの問題と考えるかもしれなくって……。そんな彼らが、数年分の飢饉に耐えうる備蓄を貯め込んだ帝国をどのように見るか……。
否、もっと言うならば、ラフィーナやシオンには、どのように見えるだろうか。
シオンに話してあるし、ラフィーナにも話しておこうとは思っている。けれど、現時点でのそれはあくまでも予想に過ぎないのだ。その予想のために……あるいは未来の不安のために、助けを求めてきた者の手をはねのけるような……そのようなことをやらかした時には……、どのようなことになるのか……。
そして、誤算はもう一つあった。
生徒会長をやることで、ミーアは知らず知らずのうちに、いろいろな国の人間とコネを作ってしまっていた……。生徒会の仕事をするうちに、顔見知りが増えてしまっているし、その中には友人と呼べる者も少なからず存在している。
では……もし仮に、その顔見知りの誰かから助けを求められて……そして、助ける力を持っていたとしたら……?
――他の国が“あの時の帝国”のようになっていたとして……、備蓄を取り崩さずにいられることが、わたくしにできるのかしら……?
ミーアの悩みは思いのほか深刻だった。
数年分の飢饉に対する備えをしたがゆえに現れた、新たなる危機……。それは、完全に油断しきっていたミーアにとって想定外の事態だった。
かくて、ミーアは再び動き出す。入学式の挨拶に向けて……。